60話 帰還
ルドルファン王国との交渉は無事に済んだ。
パレットたちはベラルダの領主の好意で領主館でもう一泊した後、王都へ帰ることになった。
「それでは、お世話になりました」
ベラルダの領主に挨拶をするパレットは、文官服ではなく庶民の普段着姿で、フロストを繋いだ荷馬車の御者台に乗っている。隣に座るジーンも同じように、簡素な服に短剣を腰に差しただけの恰好である。ミィはパレットとジーンの間に寝そべって、まったりとくつろいでいた。
「帰りの道中気をつけてな」
二人はベラルダの領主に見送られながら領主館を出ると、国境の街を後にした。
帰り道は特に急ぐことなく、ゆっくりと進んでいく。立ち寄った街で、屋敷のみんなへのお土産を買うことも忘れない。旅の期日が予定よりも長くなってしまったので、みんなきっと心配しているに違いない。そのお詫びも込めて、パレットはお土産を選ぶ。
思えば誰かにお土産を選ぶなんて初めてだ。そう思うと自身の幼い頃、いつも父からのお土産を楽しみにしていた思い出がよみがえる。きっとその時の父も、こんな気持ちだったのだろうか。
――お土産選びって、楽しいものね。
待っている人がいるからこそ、お土産を買う意味がある。パレットはそのことをしみじみと噛み締めていた。
現在、パレットの気分はまさしく休暇だ。立ち寄る街の中にはパレットたちのことを覚えている人もいて、特にミィは相変わらずの人気ぶりだった。
しかし帰りの道中、奇妙なことがあった。ジーンが宿をとる際に、部屋を別にするかと尋ねたのだ。
「え、どうして?」
尋ね返すパレットに、ジーンが困ったような顔をした。
「どうして、っていうかなぁ」
その後言葉を濁しているが、パレットにはなにが言いたいのかさっぱりわからない。
身分証は往路と同じく夫婦である上、二部屋とる宿賃ももったいない。同じ部屋に泊まることにすでに慣れてしまったパレットは、一緒でいいと答えた。だがジーンの方が悩んでいたようである。
――どうしたのかしら?
最近のジーンは謎だ。
こうしてパレットが新たな疑問に首を傾げながらも、旅は終わりに近付いて行く。そしていよいよ、遠くに王都が見えて来た。
――この景色を見るのは、何度目かしらね。
王都を見晴るかす時は、いつだってパレットの転機だった。良くも転ぶし、悪くも転ぶ。けれどそろそろ、自分の人生は自分の手で転がしたいものだ。叔父が遠くでなにかをやるのであれば、パレットは無害で済んだ。しかし今回、放置しておくわけにはいかない。
――もう叔父さんに振り回されるのは、終わりにしなくちゃ。
強い決心を抱いたパレットだったが、ジーンがその様子を横目に見ていたことなど、本人は気付いていなかった。
たどり着いた王都の門で見張りをしていた兵士は、ジーンの知り合いだった。
「ジーン、ずいぶん長く王都を空けたな」
「ああ、ちょっと国境まで行ってきた」
気安く声をかけて来たところを見ると、そこそこ上手く交流できている相手のようだ。兵士は隣に座るパレットにも視線を向けてくる。
「へえ、お嬢さんと一緒にか。お帰り、遠かっただろう」
兵士がこちらに声をかけると思っていなかったので、パレットは驚く。
「……どうも」
上手く応対できないパレットを、愛想のない女と思われたのだろうか。兵士はそれ以上なにも話しかけることなく、パレットたちに通行許可を出した。
「ジーン、今度旅の話を聞かせろよ!」
「ああ、訓練所でな」
ジーンがひらりと手を振りながら、荷馬車は王都へ入った。
――お帰り、か。
パレットは家出して王都に来るまで、誰かに帰りを出迎えられたことなど、一度もない。それが王都に来てジーンの屋敷で暮らすようになってから、屋敷に戻るたびに「お帰り」と声をかけられる。パレットにはいつも、それがこそばゆく感じていた。パレットがそうして自分の思考に浸っていると。
「なあ、パレット」
ジーンが声をかけてきた。パレットがそちらを向くと、ジーンはフロストの手綱を持って、正面を向いたまま話し出した。
「あんたはあの時言ったな、帰る場所があるのは幸せだと」
ソルディアの街で、反乱集団の若者たちに言った言葉を、ジーンは覚えていたようだ。
「……そうね」
帰るべき家、それは十年前にパレットが失ったものだ。パレットのそれまでの楽しいふわふわとした気持ちが、とたんに沈んでいく。それを見て取ったのか、ジーンがパレットの髪をぐしゃぐしゃにかき回す。
「なにをするんですか!」
ムッとして睨みつけるパレットに、ジーンは微笑んだ。
「その帰る場所は、今のあんたにもちゃんとあるさ」
「え?」
ジーンの言葉に、パレットは戸惑う。
フロストの引く荷馬車が、貴族区の道をゆっくり進んでいく。そしてその先に、すっかり見慣れた屋敷が見えた。屋敷の門の前に、複数の人影がある。
「ジーンにぃ、パレットさん、ミィちゃん、おかえりー!!」
屋敷の前で、アニタが叫びながら大きく手を振った。屋敷の者が全員で出迎えてくれている。偶然遊びに来ていたのか、貴族の子供たちの姿もある。
「あの屋敷は、あんたの家になれているか?」
そう言ったジーンは、優しい眼差しをしていた。
「私の……」
パレットは言葉を詰まらせる。
ここに戻って来たと、ホッとしている自分がいる。パレットが十年さすらった間、一度も抱かなかった感情だ。そう、自分にもちゃんとあったのだ。
――私の家、私の帰るべき場所。
「……もったいないわ」
目に涙を滲ませるパレットに、ミィが甘えるようにすり寄る。ジーンがパレットの肩を軽く叩いた。
「おう、今帰った! ほら、パレットも」
「……みんな、ただいま!」
***
王都に戻った次の日。ジーンはアレイヤードへの報告のために王城へ向かった。
長く王城に顔を出さなかったジーンのことを、騎士のほとんどは辞めさせられたと思っていたようだ。久しぶりに見るジーンの姿に、あからさまにしかめっ面をされた。彼らの悪態はいつものことなので、ジーンは気にせずに副団長の執務室へと向かった。
「ジーン・トラストです」
ジーンが名乗ると、すぐに入室の合図が来る。ジーンを待っていたのか、室内には副団長一人しかいない。
「まずは、無事の帰還を喜ばしく思う。よく戻った」
「ありがとうございます、ただいま戻りました」
帰還の挨拶が済むと、ジーンは早速旅の間の報告書を副団長の執務机の上に置いた。
「旅の報告書です。私としては、十分な結果を出したと思っています」
「ソルディング領からも、事件のあらましの報告は来ている。時間がかかるかと思っていたが、予想外にあっさりとかたがついたな」
アレイヤードはジーンの話に耳を傾けながら、報告書を手に取って読んでいく。
「現場で怪しい男を一人逃しました。私の不手際です」
ジーンが己の失敗を口にすると、アレイヤードはひらりと片手を振った。
「私がお前に与えた任務は、パレット・ドーヴァンスの監視だ。今回お前は己の仕事をやりきった。後の話は、我々が考えるべきことだ」
どうやら咎めたてたりはしないらしい。ジーンはそのことにホッとすると共に、肝心のことを聞こうと、ぐっと拳を握りしめた。
「私の調査は、パレット・ドーヴァンスの嫌疑を晴らすに足りますか?」
ジーンの言葉に、アレイヤードが報告書から顔を上げた。
パレットの嫌疑を晴らすためだと言われ、ジーンは今回様々なことを試した。旅の間の行動観察はもちろん、旅に出る前に屋敷の自分の部屋に仕事の書類を放置したりと、地味な工作をしていたのだ。だがパレットは、ジーンの部屋を家探ししようとはしなかった。これは家人にも確認している。
「もうこれ以上、身内を疑うような真似をしたくありません」
ジーンの真剣な眼差しを、アレイヤードは正面から受け止める。
「パレット・ドーヴァンスは、お前にとって身内か?」
この質問に、ジーンは目を細めた。
「庶民にとって、同じ屋根の下で暮らし、同じ食卓を囲む者は家族同然です。貴族の方には、理解し難いことかもしれません」
パレットが家族の一員であれば、屋敷の主であるジーンは、その家族を守らなければならない。その覚悟を、ジーンは視線に込める。二人でしばし無言で見合っていると、ふっとアレイヤードが目元を緩めた。
「……そうか、お前には酷なことを強いた。だがこれで、必ずパレット・ドーヴァンスの嫌疑を晴らすと約束しよう」
「そう願います」
「お前には一週間の休みをやる。まずは旅の疲れをとることだ」
ジーンは一礼して退室した。
「若造が、女を守る男の顔をした」
アレイヤードの呟きは、既に部屋を出たジーンには届かなかった。




