42話 運動中
そうして何事もないとは言わないが、順調に旅路を進め、明後日には国境の街へ着くという頃。今日も宿屋で大きめのベッド一つしかない部屋に通されたパレットとジーンが夜、なにをしているのかというと。
「あ、ちょっ、や……」
思わずおかしな声を上げるパレットに、ジーンが呆れ顔をする。
「妙に色っぽい声は役得だが、あんた身体が固すぎるぞ」
「だって、無理、これ!」
別段やましい行いをしているわけではない。馬車での移動続きで痛むパレットの腰を、ジーンが解してくれることになったのだ。いつも机の前に座って作業をしているパレットと、兵士上がりで身体を鍛えてあるジーンとでは、持っている体力が違う。毎日馬車に揺られて、パレットの身体の節々が悲鳴を上げていた。
最初は腰を揉んでくれていたジーンだが、そもそも身体に柔軟性がないからこうなる、と言われてしまった。そして今、ベッドの上で身体の筋を伸ばす運動をさせられているのだ。
――背中を押されても無理、曲がらない!
パレットとしては、余計に身体を痛めるだけな気がする。そんな情けない状態のパレットにため息をついて、ジーンが手を離す。ようやく解放されて、パレットはベッドに寝転がった。ミィはベッドの脇で、退屈そうにあくびをしている。呑気そうで羨ましい限りである。恨めしそうにミィを見ているパレットを、ジーンが小突く。
「ソルディングに着いてからが本番だぞ、大丈夫か?」
ジーンの心配はもっともなことで、パレットとしても反論できない。向かう場所がそこでなければ、パレットだってもっと、旅を楽しもうという気持ちになったかもしれない。
「だいたい私、ソルディング領って好きじゃない」
パレットの愚痴交じりの呟きを聞いたジーンが、眉をひそめた。
「あんた、ソルディング領に行ったことがあるのか」
そう尋ねるジーンに、パレットは枕に顔を沈めて答える。
「コルニウス様には言いませんでしたが、十年前に一度だけ行ったことがあります」
それもパレットが家出をした際に、最初に向かった街である。
「ソルディング領はかつては王領だったので、王都から乗り合い馬車の直行便が出ていました。だから行きやすい場所だったんです」
ソルディング領は現在、王弟が領主を務めている。だがそれ以前は、王様の代官が治めていた土地であった。
「俺は生憎、資料でしか知らないんだが。どんなところなんだ?」
パレットは言うまいかと悩んだが、到着すればわかることだ。なのでアレイヤードの前では言いにくかったことを、ジーンに説明した。
「貴族の街です、あそこは」
ソルディング領は山間にある領地だ。そしてルドルファン王国の国境とアカレアの街のある海までを繋ぐ大街道から、少し離れている場所なのだ。良く言えば平和、悪く言えば特色のない領地。それがソルディング領だ。
「あそこは作物が育ちにくい土地柄らしく、そのせいで領地全体が貧しいんです。それに大街道から外れている場所でしょう? 特産品みたいなものがないので、人がわざわざ来ることも少ない。だからあそこの商人たちは、貴族に頼った商売をしているんですよ」
金払いの良い貴族に近しい者ほど富んでおり、遠い者は貧しい。ソルディングの領主館のある街は、貧富の差が王都よりもはっきりと分かれている。
「貧民街なんてひどいものです。私が家出をしてすぐに行ったのが、ソルディング領の知り合いの店でした。けれど、この街で未成年の女性が働くのは、あまり勧められないと言われて、すぐに出たんです」
相手は言葉を濁していたが、娼婦になるしかないと言外に言われたのだ。
「なるほどねぇ……」
ジーンはパレットの言わんとすることを察したのか、難しい顔をした。
「物騒な話がお似合いの場所ってことか」
パレットもジーンの言葉に頷く。
「それから状況が良くなっているとは、とうてい思えませんね」
寝転がったまま、パレットはため息をついた。すると突然、ジーンが寝そべるパレットの身体を引き上げ、にこりと笑った。
「だったらなおさら、身体をほぐして準備をしような」
そう言ったジーンに、パレットは上半身を前に投げ出す姿勢をとらされる。
「ミィ、手伝え」
「うみゃ!」
ジーンが呼ぶと、ミィが身軽にパレットの背中に乗った。大きくなったミィは結構な重量がある。
「ほれ、前屈だ」
「痛たたた……!」
こうしてパレットの悲鳴と共に、この日の夜は更けていくのだった。




