39話 二人の旅立ち
アレイヤードからソルディング領行きを言い渡された一週間後。早朝のまだ日が昇らない空の下、パレットとジーンは屋敷を出立する荷馬車に乗っていた。
パレットはジーンと並んで荷車の御者台に座っていた。荷馬車をひいている馬は、ジーンの愛馬であるフロストだ。二人は庶民の簡素な普段着を身にまとっていた。ジーンに至っては、長剣や防具を全て荷物に入れており、身に着けているのは小ぶりな短剣のみだ。これで見た目、王城の関係者だとはわかるまい。
屋敷の者に玄関で見送られ、ジーンは笑顔を浮かべている。
「それじゃあ、後のことはよろしく頼む。なにか問題が起これば、副団長が対処してくれる手はずになっている」
そう告げるジーンを、エミリが心配そうに見つめる。
「ジーン、なにか危険なことをするんじゃないの?」
至って普段通りのジーンだが、そんな中にも母親としてなにかを感じ取ったのだろう。不安そうにするエミリに、ジーンは苦笑する。
「馬鹿だな母さん、何度も言ったろう。休暇ついでの視察旅行だって。庶民目線の意見が欲しいんだとさ」
レオンも、エミリの隣に固い表情で立っていた。
「母さんを頼んだぞ、レオン」
「うん、……二人とも気を付けて」
ジーンはレオンと、ぎゅっと握手をした。
「それじゃ、行くぞ」
ジーンが軽く手綱を引くと、フロストがゆっくりと進み出した。
「ジーンにぃ、お土産頼んだからねー!」
元気なアニタの声に送られながら、荷馬車は屋敷を出立した。
早朝の王都はまだ誰も通りを歩いておらず、荷馬車の音だけが響いている。そして騎士の装いではないジーンを見た門番に、少し不審な視線を向けられながら王都の門を出た。
ようやく人目がなくなって、パレットは大きく息を吐き出した。自分の膝の上にはミィが乗っている。その温もりが、早朝の冷えた空気の中ではありがたい。
「なんだか、悪いことをした気分だわ」
そう呟くパレットの隣で、ジーンが肩を竦めた。
「仕方ないだろ、そういう仕事なんだから。レオンには、詳しくは話せないが危険もあると話してある。俺にもしものことがあれば、屋敷共々副団長の保護下に入ると」
そう、内密に動くことはアレイヤードの指示なのだ。視察旅行というのは、あながち間違いではない。実際パレットたちは、ソルディング領へと視察に行くのだ。だがその目的は、物見遊山ではない。
『ソルディング領に、武器や攻撃用の魔法具が集まっている』
あの時パレットが貰ったアレイヤードの資料に、そう書いてあったのだ。
直接口頭で告げずに資料を手渡すやり方は、管理室でも室長が、この場で詳しいことを話せない時に使う手段だ。読んだら燃やすように言われている資料の中には、他人に聞かれたくない内容が書かれていると思っていいだろう。それに資料が書かれているのは、最近神殿から出回っている、ルドルファン王国製の薄くて軽い紙だった。燃え易いという特色があり、すぐに処分したい場合にうってつけだとされている。
それに書いてあった内容によると、財務管理室の文官として、その武器諸々が一体どこから流れてきたのかを、証拠を集めて報告するのが、今回のパレットの仕事である。ジーンは荒事に対処するための、いわば護衛だ。盗聴の魔法具を警戒して、それらの情報を漏らさぬために、ああいった形の指令となったのだ。
管理室の室長から一応、パレットの王城勤めの文官としての身分証と、緊急連絡用の魔法具を預かっている。
「無理をする必要はない。証拠さえつかめば、あとはもっと上が対処する。いいか、己の身の安全が第一だ」
室長はそんな言葉と共に、パレットを送り出した。
だが一方でアレイヤードの資料には、王城の文官が調査に乗り込むと発覚すれば、暗殺もありうると書かれていた。
――そんな大事な役目なら、もっと慣れた人を送り込んでよね!
パレットはそう内心愚痴りはするが、むしろ庶民のパレットだからこそ、捨て駒として丁度いいと思われた可能性も理解できる。室長は心配してくれたようだが、もっと上の人の考えはわからないのだ。どちらにしろ、気分のいい話ではない。
そんなどんよりとした気分を抱えていたパレットは、ちらりと隣を見る。ジーンは内密の仕事は、これで二度目のはずだ。月の花の蜜を探していた時も、こういう旅立ちをしたのだろう。パレットの視線に気付いたジーンが、片手で軽くパレットの頭を叩いた。
「ま、そんな暗い顔するな。案外つまらない程度の案件で、本当に旅行して帰るだけってことにもなるんだぜ」
「……そうね」
わざとらしく明るく言ってのけるジーンに、パレットも表情を緩めた。
パレットたちは、一旦ルドルファン王国との国境へ向かい、それからソルディング領へと入ることになっている。国境の街へ仕入れに行ったという設定なので、念のためというわけだ。
ソルディング領は王都と国境の真ん中あたりに位置し、そこへ向かうには、国の中央を横切る大街道から外れて、少し北上しなければならない。
パレットたちは王都を出た後、アレイヤードが用意した商人夫婦の身分証を使って街へ入る。今のパレットの身分は、ジーンの妻ということになる。
――大体、どうして夫婦なのよ!
パレットは今まで旅の準備をしている間、このことをあえて考えないようにしていた。しかしいざ旅立ちを迎え、二人でこうして荷馬車に乗っていると、再びあのもやもやが再燃する。
――おかしいわ、私ってこんなにうじうじ悩む性質じゃないのに。
考えても仕方がないことは、すっぱりと忘れる。そうやって今まで、辛かったり悲しかったりしたことを流してきた。それが今の自分はどうだろう。ミィがジーンを父親だと思っていることが発覚して、だいぶ時間が経っているというのに、パレットはいまだにこの問題を引きずっている。
夜明けの光に照らされる荷馬車の上で、一人落ち込んでいるパレットを、隣に座るジーンがちらちら見ている。だがこれに、本人は気付いていなかった。
王都を出てからしばらく経ち、空がだいぶ明るくなったところで、パレットとジーンは荷馬車の上で朝食を食べることとなった。ちなみに朝食はエミリが準備してくれた弁当だ。
「どうぞ」
手綱を握ったままのジーンに、パレットが具を挟んだパンを手渡す。すると、ジーンがニヤリと笑った。
「悪いね、奥さん」
パレットは手に持った自分のパンを、思わず握り潰しそうになった。動揺するパレットに、ジーンは呆れた顔をする。
「これから先の街では俺ら、夫婦の身分証で通るんだぜ? 呼ばれるのに慣れておかないと、すぐにボロが出るぞ」
「……全く、その通りです」
パレットだってわかっている、これは仕事なのだ。しかしその呼び方をされると、心中穏やかとはいかない。そんなパレットが視線を下ろすと、己の膝の上で、こちらも朝食の時間となっているミィがいた。
「みゃ?」
ミィが「どうしたの?」と言わんばかりの目で、パレットを見上げる。このおかしな気分にさせられた原因は、元をたどればこのミィである。微妙な心境で見下ろすパレットの膝の上で、ミィは美味しそうにハムを食べていた。




