35話 騎士様と私
それからパレットは悶々とした思いを抱えつつも、毎日が過ぎていく。王子様との出会いから半月ほど経ったある日、パレットはまた仕事中の廊下で王子様に突撃された。
「私はやったぞ!」
王子様は以前会った時と同じように葉っぱまみれになって、廊下に胸を張って立っている。
「ええと、お久しぶりですね殿下」
「うむ、聞くがよい。私はやったのだ!」
王子様が挨拶もそこそこに、自慢げに披露してくれた話によると、どうやら彼は教育係を泣き落としたらしい。
「それほどに心を痛めているのならばと、教育係は魔獣の子との接触を了承したのだ。私の勝ちだな!」
王子様は得意げだが、自分は教育係に恨まれてはしないだろうか、とパレットは不安になった。
「みぃ~」
そこにタイミングよくミィが現れる。
「そなた、待たせたな! これで堂々と遊べるぞ!」
「みゃん!」
王子様がミィに話しかけていると。
「殿下、これからは私たちの目の届く範囲で遊んでくださいね」
そう言って窓からひらりと飛び込んできたのは、見知らぬ騎士だった。肩ほどまである艶やかな黒髪を後ろで一つに束ね、澄んだ青い瞳を優し気に細めた美しい男である。
――綺麗な騎士様だわ
騎士は見目の良さが条件だと言うだけあって、女性に負けないくらいの美しさを持つ男だ。パレットもその容姿に一瞬呆けてしまう。
「うむ、叱られぬのであれば考慮する」
ミィを抱き上げ、胸を張ってその騎士に頷いた王子様は、ポケットに隠し持っていたお菓子をミィに与えている。その様子を確認した騎士が、パレットに近寄ってきた。
「私はラリーボルド・ローレン。トラスト殿と交代で王子殿下の警護をしている者だ」
そう言って騎士が自己紹介をしてきた。
「あ、え、どうもパレット・ドーヴァンスです」
騎士がパレットに話しかけてくると思っていなかったパレットは、慌てて名乗る。
――ジーン以外で友好的な騎士様に会ったのって、思えば初めてだわ
年頃の乙女であれば、ここで頬を赤く染める場面かもしれない。だがあいにくパレットは、見目の良い男は毎日ジーンで見慣れてきたところだ。なので比較的早く立ち直ることができた。
「なんだか、私は余計なことを言ったのではないですか?」
ジーンではない騎士なので、どう思っているのかわからない。パレットは恐る恐る聞いてみた。これに、ラリーボルドは目元を和らげて答えた。
「正直あの魔獣の子に出会う前の殿下は、周囲に遠慮して部屋に籠り切りのことが多かった。このように出歩くようになったのは良いことなのだよ」
確かに、遊びたい盛りの年頃である王子様が、引き込もっているのは身体的にもよろしくないことだろう。いらぬことをしたわけではないようで、パレットはひとまずホッとした。
それにしても間近で見たこのラリーボルドという男は、ジーンとは違った美しさを持つ男だ。例えるならば、ジーンは日の光を思わせるが、この男はさながら月光である。
――ジーンの代わりって、この人も戦える騎士様なのかしら
そんなパレットの疑問が顔に出たのかもしれない。ラリーボルドが自身について語ってくれた。
「私はトラスト殿のように剣が巧みなわけではないが、初歩の魔法が使える。それゆえの警護役抜擢なのだ」
「そうなのですか」
パレットは普通に相槌を打つと、ラリーボルドは興味深そうに目を細めてパレットを見ると。
「……なるほどね」
そう小さく呟いて頷いた。年頃の乙女らしくない反応だと思ったのかもしれない。だがパレットではその期待に応えられそうにない。
――そろそろ、仕事に戻っては駄目かしら
困っているパレットに、騎士はにこりと微笑んだ。
「これから頻繁にお会いするかもしれないが、その際はよろしく」
「はぁ、それでは私、そろそろ失礼します」
そう言って頭を下げるパレットの目の前には、ミィと戯れて声を上げて笑う王子様の姿があった。
その後直ぐにパレットが王子様たちと別れて管理室に戻ると、そこにはジーンの姿があった。
「ジーン、王子様と一緒でないと思ったら、ここにいたんですね」
パレットの職場でジーンの姿を見るとは思わなかった。パレットが驚いていると、ジーンがにこりと微笑んだ。同じ微笑みでも、先ほどのラリーボルドのものとは違って見える。裏があるような微笑みだが、最近のパレットには見慣れたものだ。
――お貴族様の微笑みは、なんだか緊張するのよね
庶民としては、拝まなければいけない気になるのだ。そんなことを考えているパレットに、室長が話しかけてきた。
「王子殿下にお会いしたのか、だから遅かったんだな」
「ええ、護衛の騎士様にもお会いしました」
パレットは室長に今しがたの出来事を報告した。あの様子では、これでもう王子様と会わないということはなさそうだ。ミィを追いかけると、高確率でパレットのところに行きつくのだから。正直王子様と話すことは、恐れ多くて緊張する。
――でも諦めが肝心なのかも
パレットはため息をついて、ジーンに向き直った。
「それにしても、どうしてジーンが?」
この質問に、ジーンの笑みが深まった。
「文官に任せていたら、出した覚えのない書類が混ざるようになったらしく。副団長から私が直々に持っていくように言いつかりました」
それはあれだろうか、パレットがいつも弾いている騎士団長の書類のことだろうか。
だがこの副団長の気配りに室長は感動したようだ。目じりを押さえて揉み解すと、
「副団長殿のお心遣いに感謝する」
そう言って大きく息を吐いた。室長は疲れているのだ。それにしても、副団長から直々に書類を任されるとは、ジーンが意外とすごいのかもしれない。
「ジーンは信頼されているんですね」
パレットがそう称賛すると、ジーンは微妙な笑顔を浮かべた。なんだろうか、とパレットが首を傾げると。
「それは、君と同じことだよ」
室長がそんなことを言った。
「彼は貴族ではないから、余計なしがらみがない。だからこのような用事を頼みやすいのだろうね。王城勤めの貴族というものは、しがらみにがんじがらめになっているものなのだよ」
「……なるほど」
室長の言う通りであれば、王城とは実に生きにくい場所である。
その日の夜、パレットは床の上で遊んでいるミィに話しかけた。
「ミィは王都で、毎日楽しい?」
「みぃ!」
パレットの問いかけに、ミィが元気に返事をする。
アカレアの街を出発した頃から比べて、ミィは身体が大きくなった。あちらこちらでおやつをもらい、いろいろなところに散歩に出かけているため、成長が著しい。赤ちゃんを脱した子猫のようだったミィは、今では子犬くらいの大きさだ。時折大人の獣の唸りのような声を出すこともある。ガレースという魔獣は大型の獣らしい。ミィも将来はたくましい姿になるのだろうが、まだパレットに抱き上げられる大きさだ。
「ミィ、急いで大きくならないでね」
「うみゃ?」
おもちゃで遊んでいるミィが首を傾げる。このおもちゃはエミリが作ってくれた丸い布の塊で、ミィのお気に入りだ。遊んでいる姿はとても愛らしく、パレットは和む。
だがその一方で、ミィは狩りをすることを覚えたようである。人間と一緒に暮らしていても、そこは魔獣の本能がうずくのだろう。ミィは散歩でたまに王都の外に出かけるらしく、時折手土産なのか小さな獣を持ち帰ってくる。ミィが自分で狩ったのか、獣には牙の跡ついている。以前魚を採ったらパレットが喜んだので、それを覚えているのかもしれない。健気な魔獣である。
だからこそ、パレットは納得できない。
「ミィ、本当にあのジーンがお父さんでいいの?」
「みぃ!」
ミィが輝く笑顔で即答したように思え、パレットは困惑する。
――嫌な人ではないのよ、たぶん
けれども、自分の心の中のもやもやがなんなのか、パレットにはわからなかった。




