3話 トカレ村にて
それからの道中パレットは、疲れたの一言であった。慣れない馬での移動に加え、ジーンのガラの悪さも相まって、些細な口論を繰り広げる羽目になった。
――女らしくない体型で、悪かったわね!
一緒に馬に乗っていて、ちっとも楽しみがないとほざくジーンに、パレットはさすがにカチンときた。
ジーンも領主様の意図は察していたようだが、パレット相手では接待を受ける気にならないと盛大に嘆いてみせたのだ。パレットとしてはその気になられるほうが困るのだが、それでも怒りを覚えるものである。基本人付き合いを最小限でこなすパレットは、人と話していてこれほどにイライラしたことはない。
――仕事だ、仕事
パレットはそれを脳内で呪文のように唱えつつ、なんとか無表情を作っていた。
馬で道を進み、途中で昼食をとった。パレットが行きつけの食堂で、無理を言って昼食を用意してもらったものだ。騎士様に食事の不自由をさせるわけにはいかないと、パレットなりに気遣ったものである。
「まあまあだな」
パンにチーズと肉を挟んだ簡素な昼食を、ジーンがそんな感想を漏らす。王都の味に慣れている騎士様に、田舎料理は合わないだろうが、我慢してもらうしかない。
その後、パレットは大きな猫を脱いだジーンとの二人きりの時間が過ぎていく。こう見えてもパレットは年頃の乙女だというのに、これほどにときめきがない二人きりというものがあるのだと、人生で初めて知った。
そしていい加減パレットがお尻が痛くなってきた夕刻に、トカレ村にたどり着いた。トカレ村は、月の花の咲く泉がある森の、手前に位置していた。
「今日はここで一泊ですね。ここからは歩いていくことになると聞いています」
「そう、宿屋が空いているといいね」
トカレ村に入ったとたん、ジーンは微笑をたたえる外面モードに入った。器用な男である。
トカレ村に宿屋は一軒しかなく、幸いにして二部屋空いていた。満月の時期になると時折、月の花を見ようという物好きな旅人が訪れるらしい。
「帰って来なかった人もいますがね」
とここでも宿屋の店主に不吉なことを言われた。だが幸いにも、泉までの地図を見せてもらえた。
「結構森の奥なんだな」
宿屋の店主が示した地図の場所を、ジーンがじっと見つめる。外面モードの真剣な表情は、まさしく騎士様の絵面である。きっと世の女性たちは、コロッと騙されることであろう。
「森には凶暴な獣も出ますから、お気をつけて」
宿屋の主人が再び不吉なことを言う。
「ご忠告感謝しますが、私としても道楽ではないもので」
ジーンが苦笑して答えた。宿屋の店主はここで怖気づくのならば引き返せ、と言いたいのだろう。パレットは凶暴な獣と聞いて十分怖気付いているのだが、ここには王都の騎士様という同行者がいるのだから問題ないだろう。問題ないと言って欲しい。
道も村の猟師が通るような獣道しかないらしい。これは余裕を見て出発した方がよさそうだ。パレットたちは明日に備えて、今日は早めに就寝することにした。
トカレ村には食堂もない。なので宿屋の食事を部屋で食べることになった。しかし明日の打ち合わせもあるので、パレットはジーンの部屋で一緒に食べることになる。
「酒が欲しいところだが無理だな、チクショウ」
部屋に入ったとたんにジーンが悪態をつく。ジーンとて一応仕事でここにいるので、酒を控える気持ちはあるらしい。パレットは愚痴の相手をせずに、黙々と食事を食べる。宿屋から出された夕食は、少々味が薄い。ジーンはパレットの目の前で、パンとスープを上品に食べている。ガラは悪くとも食べ方は綺麗だ。
食事をしながら、明日の出発時刻や持っていく物を確認する。
「明日は森の中で野宿になるんですね」
パレットはさすがに野宿はしたことがない。それを少々不安に思っていると。
「おまえ、王都から来たんだって?」
ジーンは領主様が言った履歴書の経歴を覚えていたようで、そんなことを言ってきた。
「そうですね」
ここで否定しても意味がないので、パレットは頷いておく。
「王都でドーヴァンスてーと、ドーヴァンス商会の縁者か?」
嫌な名前を聞かされて、パレットは作っていた無表情が崩れた。
「まだあるんですね、潰れればいいのに」
盛大なしかめっ面をしたパレットに、ジーンは眉をひそめた。
「身内じゃねぇのか?」
「身内ですとも、商会長が代わってなければ、叔父が商会長のはずです」
パレットは無表情を作ろうと頑張るが、表情菌は思い通りに動いてくれない。むしろ怒りが込み上げてきた。
「なんだよ、ワケアリか?」
にやけ顔のジーンを、パレットはぎろりと睨む。
「泥沼話を聞きたいですか?」
興味本位と顔に書いてあるジーンに、パレットは身の上話をすることになった。十年経った今でも、胸糞の悪くなる話を。
パレットの実家であるドーヴァンス商会は、王都でも大きな店だ。パレットはそこの商会長夫婦の娘として、幼少期を何不自由なく過ごした。
しかし転機が訪れる。パレットが十一歳のとき、パレットの両親が馬車の事故で死んでしまったのだ。パレットは悲しみに暮れるというよりも、事実が信じられなくて呆然としていた。
それを好機と考えたのが、パレットの叔父夫婦である。葬式を終える間もなく、商会に入り込んで従業員に指図し出したのだ。「自分はこの商会を任された」と嘘八百を並べ立てて。
「嘘なのか?」
「少なくとも、私は両親の生前にそんな話を聞かされませんでした」
このジーンの疑問は、その当時の商会の従業員の疑問であった。
しかし、当時のパレットにできることなど、そうあるはずもない。今まで商会の運営に携わったこともなかった叔父の勝手な行動は、結果として商会でのパレットの居場所を奪ってしまった。商会の従業員も、十一歳の子供よりも、大人の方がよかったのだ。
――今までの主に対する、感謝とか恩義とか、そういうのはないの?
若干十一歳のパレットはショックを受けた。両親が死んでしまっても、商会の従業員たちは今まで通りに働いている。命令を出す叔父夫婦を受け入れて、パレットのことなど見向きもしない。
――お金をくれる人だったら、誰でもよかったんだ
そう悟ったパレットの扱いは、今までのお嬢様から下働きの小娘に格下げになった。酷い落差だ。パレットの部屋だったところは叔父夫婦の息子の部屋になり、パレットは屋根裏部屋に追いやられた。掃除や洗濯、皿洗いといった雑用に朝から晩まで追われ、休みなどありはしない。食事も固いパンに薄味のスープのみ。今までちやほやしてくれた従業員たちも、まるで邪魔な物を見るような目を向けてくる。
そんな生活を続けて一年後。このままここで、死ぬまでこき使われるのかもしれない。そう思った瞬間、パレットの頭の中でなにかが弾けた。
――絶対に嫌だ!
誰もパレットを見ないのであれば、ここはもはや他人の家だ。他人の家でただ働きなんて、しなければならない理由はない。そしてパレットに、叔父夫婦への恩義などありはしないのだ。
そう思った夜、パレットの家出は決行された。今までの労働賃としていくばくかの金銭を無断で貰いうけ、少しの着替えをバックに詰めた。そして家を出て乗合馬車に乗って王都を出た。目的地は、両親が生前世話をしたという人のところである。
しかしパレットは、そこで世話になろうなどという甘い考えは、もはや抱くことすらできなかった。身内だと思っていた人間すら、パレットに手のひらを返したのだ。それが赤の他人になると期待する方がバカである。
それでも、仕事の紹介状を貰うことは可能だろう。幸いパレットは、父親から書類の見方や計算を教えられていた。それでもこの時点で十二歳。子供に任せられる仕事などそうありはしない。それでもあの家にずっといるよりは数倍マシだと思い、住み込み仕事などで転々として数年を過ごした。
こうして細い伝を頼りに頼って、現在のパレットはアカレアの街にいるというわけである。
「はあぁ、金のあるところにゃ、やっぱいろいろあるんだな」
パレットの長いようで短い身の上話に、ジーンは顔を引きつらせている。興味本位で聞くには重い話であることくらい、パレットは承知している。他人の身の上に、安易に興味を持つなという教訓になればいい。
「それ以来、他人を信じることがバカバカしくなりました。現在老後に向けて、こつこつと蓄えをしている最中です」
「おまえ、枯れてんな」
枯れていて結構である。結局最後に頼るは、己のみなのだから。
その後パレットは部屋に戻ると、宿からもらった湯を使い、旅の汚れを落とした。旅といってもジーンの操る馬に乗っていただけなのだが、それでも普段し慣れないことであったので疲れたのは本当だ。湯を使ってすっきりとした気分で、パレットは固い寝台に寝転がった。
しかしその夜、パレットはなかなか寝付けないでいた。久しぶりに、実家の話をしたからかもしれない。
――明日も早いんだから、早く寝なくちゃ
そう自分に言い聞かせるが、睡魔は訪れてはくれない。
仕方なくパレットはベッドに起き上がり、窓にはめられた鎧戸を開けて外を眺めた。明日が満月なだけあり、夜空に浮かぶ月は明るかった。その月をぼんやりと眺める。
――この旅に、私はいるのかしら?
この時パレットの脳裏に、そもそもの疑問が浮かんだ。
旅の段取りをパレットが立てているが、そんなことはジーンにだってできることだ。なにせアカレアまで一人でやってきたのだから。住民からの情報収集だって、あの器用な外面でやってのけるだろう。
だとしたら、どうしてジーンは道案内などを領主様に頼んだのだろう。パレットはこの疑問に、答えを出すことはできなかった。