29話 王子様と遭遇
パレットが王城に勤め初めてから一月ほどが経過し、最近ようやく慣れ始めてきた。それでもパレットが王城で滞在するのは、管理室周辺の財務の部署のみである。余計な場所をうろうろしたりしない。これは室長から言われていることだ。
「女性文官は目立つ」
という理由らしい。妙な輩に絡まれたり、下手をすると乱暴されるかもしれない。特に今は予算請求が通らないことで、おかしな逆恨みをしている者が多い。ゆえに知らない場所に行くなと言われている。帰りも必ず管理室の誰かと一緒に王城を出ることにしている。
――いずれそういった物騒な人たちも、処罰なりなんなりで整理されていくという話だけれど
今はその準備段階なのだと、室長が言っていた。
このように殺伐としているように思える職場だが、パレットの仕事中に時折窓からミィが顔を出すことがある。パレットが王城にいるからなのか、それとも以前からこのあたりを散歩コースにしていたのかは定かではない。
「みぃ!」
今日も窓から鳴き声がしたと思ったら、窓ガラスにべったりとはり付いているミィがいた。
「ミィちゃん、こんにちは」
窓に一番近い机に座っている同僚が、表情を緩めて窓に近寄った。
このミィの愛らしさは、仕事で疲れている管理室の面々の癒しとなっていた。室長の机に、ミィに与えるためのお菓子が常備してあるのを、パレットは知っている。
そしてどうやらオルレイン導師がミィの観察記録をつけているという話を聞いた。珍しい魔獣ガレースの生育を記録したいのだそうだ。同僚がたまにミィを追いかけているオルレイン導師の姿を見かけるのだそうだ。ミィもオルレイン導師を嫌がらないところを見ると、きっと美味しいおやつがもらえるのだろう。ちなみにミィは人間が食べるものはなんでも食べられると、オルレイン導師が言っていた。
こうして忙しくも平穏に王城での仕事をしていたある日。
「パレット、これを会計室までもって行ってくれ」
「わかりました」
室長に呼ばれたパレットは、差し出された書類の束を受け取った。会計室は管理室の目と鼻の先である。パレットが渡された書類の束を持って、会計室に出向いて戻って来る帰り道。それは起こった。
「待て!」
どこからか声がして、パレットは立ち止まった。
――子供?
それは大人のものではなく、幼い子供の声に聞こえた。だが王城でする子供の声は、一体誰のものだろうか。王城に出入りできるような子供など、限られているはずである。嫌な予感がひしひしとしつつも、パレットがきょろきょろと周囲を見回すと、廊下の窓から誰かが飛び込んできた。
「……!?」
驚いたパレットの前に立ったのは、五・六歳くらいに見える少年だった。少年は窓の外にある茂みでパレットが通るのを一人待ち伏せしていたらしく、葉っぱを服や髪につけているが、本人はそれに気づいていないようだ。
「みぃ~」
少年と一緒に、ミィも飛び込んできた。こちらも葉っぱをたくさんつけている。少年と一緒に探検でもしていたのだろうか。
「ミィ、散歩中みたいね」
「みゃ!」
呼びかけたパレットに元気に鳴いてすり寄るミィだが、少年はパレットに懐いているミィを羨ましそうに眺めていた。
「……あの?」
パレットが声をかけると、少年ははっとこちらを見て姿勢を正した。
「私はこの国の王子だ!」
むん、と胸を張って主張する少年。王城をうろつくことができる子供は、王子様くらいしかいないだろう。パレットの嫌な予感は当たってしまった。
「それはその、初めまして」
王子様になんと挨拶をするのが正解なのか、パレットにはさっぱりわからない。だが王妃様の時のようなとんちんかんなことだけは言うまいと、パレットは気持ちを引き締める。
そんなパレットの前で、少年がぐっと両手を握りしめる。そして大きな声で叫んだ。
「そなたが飼っているというその魔獣の子供を、私によこすのだ!」
「……はい?」
王子様の思わぬ主張に、パレットは目を丸くした。
――ミィをよこせって、欲しいってこと?
パレットの脳裏に、王都に向かう乗り合い馬車で出会った小さな女の子の姿が思い浮かぶ。あの子も自分もミィのような猫が欲しいと駄々をこねて、親を困らせていたものだ。王子様の言い分は、それの延長線上のものだろう。なんと答えるのが正解なのか、困ってしまったパレットは、とりあえず王子様の間違いを正した。
「殿下、ミィは飼っているのではありません。私の部屋を寝床にしているだけです」
パレットの言葉に、王子様はきょとんと目を見開いた。
「……なにが違うのだ?」
首を傾げる王子様に、パレットは真面目な顔で答えた。
「ミィは好意で、私の部屋にいてくれるのです。もし私がミィに意地悪なことをすれば、ミィはあっという間にどこかへ去っていくでしょう」
「……むぅ」
パレットの説明はまだ幼い王子様には難しいようだ。上を見上げて唸る王子様に、パレットは言い直した。
「ミィは今は私と一緒にいてくれますが、もし私のところに飽きたらすぐにどこかに行ってしまいます。それだけの関係なのです」
あくまでミィの気まぐれだと主張するパレット。日々ミィに癒されている身としては、自分でそれほど割り切れていない気もするが、ここは妙に期待を持たせてはいけないところだ。子供が動物を拾ってきて親と揉めるのは、世間ではよくあることだ。ここでおかしな展開になって、親つまりは王様たちにパレットが恨まれることは避けたい。
このパレットの説明に、王子様はしょんぼりとうなだれた。
「……では、私は魔獣の子と、遊べぬのか?」
その気落ちした様子に、パレットも言い過ぎたのかと焦る。そして王子様は乱暴な要望をしてきたが、要はミィと遊びたいというのが一番の望みのようだ。パレットとしては遊ぶのならば勝手に遊んでくれて構わないのだが、ミィは魔獣の子である。なので周りからなにか言われたのだろうか。
パレットは可哀そうだなと少しだけ思うものの、ここで妙なことを言って王子様の周辺の貴族から睨まれるのはごめんだ。ただでさえ庶民出の女性文官として噂になっていると室長から聞かされている。これ以上のトラブルの素はいらないのだ。
――遊ぶくらい、勝手に遊んでよね
パレットのいないところで、いくらでも遊ぶといいと思うのだが。王子様にとってそういう問題ではないのだろうか。
「ミィ、散歩の続きをしておいで」
パレットがミィを外に追いやろうとすると、王子様がそれを物欲しそうな顔をして見る。
――ああ、もう!
子供のこういうところに、パレットは弱かった。




