2話 騎士様の探し物
「ジーンの探し物とは、なんなのでしょうか?」
無表情を作りなおし、パレットは改めて問いかけた。
「月の花って、知ってる?」
質問に質問で返したジーンに、パレットは答える。
「アカレアの街の者に聞いたことがあります。北に馬と徒歩で二日ほど行ったところにある泉に、満月の夜に咲く花だと。でもとても危険なので、実際に見に行く人は稀だとか」
「そうそれ。よかった、案外詳しいじゃないか」
すぐに答えたパレットに、ジーンはホッとした様子を見せた。こちらは一応案内人という触れ込みなので、何も情報がないのも困るだろう。
「ここでは有名な話ですから」
月の花をモチーフにした飾りは、観光土産になっていたりする。
「その月の花を、わざわざ王都の騎士様が見物に?」
そんなわけないだろう、と思いつつパレットが尋ねると。
「見物じゃなくて。月の花の蜜がね、欲しいんだ」
ジーンが微笑みながらそう告げた。
「蜜、ですか」
花の蜜というが、月の花は満月の夜にしか咲かない花であると聞く。日が昇ると枯れてしまうのだ。その蜜となると、かなりタイミングを計る必要があるのではないだろうか。しかも、直近の満月の夜は三日後だ。
「それって、かなり急ぎじゃないですか!」
頭の中で日程確認をして、パレットは驚く。もし今度の満月を逃したら、次の機会は一ヶ月後だ。
「実はそうなんだよね。途中道に迷うことも考えて、早めに出発したいんだ」
察してくれて助かるよ、などとジーンは言っている。
「わかりました。明日の朝の出発でいかがでしょう?月の花の蜜に関しては、詳しく聞いておきます。採取に必要な道具などもあるでしょうし」
「準備をお願いできるかな?」
必要になるものを考えるパレットに、ジーンが申し訳なさそうにしている。
「街に着いたばかりのジーンでは、わからないでしょうから」
「うん、よろしくね」
ジーンがにっこり微笑んだ。
それからのパレットは、昼食どころではなくなった。往復四日分の旅の荷物を用意して、街の者に月の花の蜜について聞かなければならないのだ。
情報を集めた結果、満月が夜空の真ん中あたりに昇ったときに、月の花に蜜が溜まるらしい。採取した蜜は日に当てないように言われ、その蜜を持ち帰るための小瓶も買った。結構高かったのだが、必要経費ということで、領収書を貰っておくのも忘れない。
「危険なんだけど、王都の騎士様が一緒なら平気なのかもな」
パレットが月の花の蜜を採取しに行くと聞いた者たちは、一様に不安そうな顔をした。
――早まったのかも、私
パレットはそう思うも、後の祭りだ。
こうして慌てて準備した明くる日の早朝。パレットはジーンと待ち合わせたアカレアの街の入り口に立っていた。動きやすいシャツにパンツ姿で、足元はショートブーツを履いていた。着替えも最低限にして、斜め掛けにしてあるバッグに詰めてある。
「お待たせ」
ジーンが馬を引いてやってきた。茶色の毛の馬は、すぐ側で見ると意外と大きい。
「私の愛馬で、フロストというんだ」
「そうですか、よろしくフロスト」
パレットは馬に恐る恐る触る。手入れが行き届いているのか、手触りがよかった。しかしフロスト自身はパレットに懐いてみせるでもなく、嫌悪感を見せるでもなく、無反応だった。嫌われるよりはいいということにしておこう。
「パレットは、馬に乗れる?」
「馬車にしか乗ったことがありません」
ここで見栄を張っても意味がないので、パレットは正直に答えた。
「じゃあ、あまりとばせないね。ゆっくり行こうか」
「お願いします」
パレットは先に馬に乗ったジーンの前に、引き上げられた。
こうして、パレットはジーンと共にアカレアの街を出立した。
アカレアの街が見えなくなるまで、パレットとジーンはポカポカと馬の足音を響かせていた。馬に乗ったことのないパレットを、ジーンはいろいろと気遣ってくれている。
「辛くなったら休憩するから、遠慮なく言ってね」
と微笑みを浮かべて申し出てくれる。
このやさしさが、パレットは胡散臭いと同時に、こそばゆくてたまらない。パレットがなにくれとなく他人に世話をされていたのは、もう十年以上も前の話だ。それ以来一人で淡々と生活してきたパレットにとって、異性からのやさしさというものは、縁のないものなのだ。
――騎士っていう人種は、きっとこういう女たらしな生き物なのだわ
自分が特別だと勘違いしては痛い目にあう。パレットは自分に言い聞かせていた。
そうやって馬に乗って、街から離れてしばらくして。
それは起こった。
「あーあ、かったるい。やってらんねぇぜ全く」
「は?」
背後から聞こえた悪態に、パレットは思わず素で問いかけた。
「あんのバカ領主の野郎、適当な奴つけやがってよぉ。テメェだってそう思うだろ?素人行かせてんじゃねぇよってな」
全く持って後ろから聞こえる声の通りなのだが、ちょっと待って欲しい。パレットの後ろに乗っているのは、ジーンのはずだ。パレットは馬の揺れでずれ落ちる丸眼鏡を掛けなおす。
「しかもしけた女ときやがった。これじゃあなんのお楽しみもねえじゃねぇかよ」
自分がしけた女である自覚は十分にあるパレットだが、こうもはっきりと言われるとそれなりに腹も立つ。パレットは口調を少々とがらせ気味にして、後ろの人物に問いかけた。
「私の後ろにいるのは、王都から来た騎士様であるジーンで合ってますか?」
初めて乗る馬の背中で、後ろを振り向くということができないでいるパレットに、ジーンがそれを察したのか、腕を回してきてお腹を支える。
「おうよ、俺は王都の騎士のジーンだぜ。大正解だ」
そこでようやく、パレットがゆっくりと振り向くと、微笑を浮かべる騎士様の姿はなく、にやりと下品な笑みを見せる男だった。
「外ヅラを取り繕うのも疲れるねぇ。肩が凝ってしかたねぇや」
ガラの悪い、下町の不良のような物言いに、パレットは頬を引きつらせる。
――今まで猫を被ってたの!?
だとしても、なんとでかい猫だろうか。パレットを気遣ってくれていたジーンは、今後ろにはいない。初対面でこの態度だったならば、パレットは王都の騎士という肩書きを疑っていたに違いない。
「憧れの騎士様のイメージが壊れたか?」
からかうように言うジーンに、パレットは眉をひそめる。
ジーンの剣と胸当てにある紋章は本物だ。この紋章を無断で使用すると、厳しく罰せられると聞いている。ジーンが不良だろうと優良だろうと、パレットの仕事は変わらない。月の花の咲く場所まで案内するだけだ。
「貴方が王都から来た騎士様で間違いがないのであれば、私は問題ありません」
パレットの返事が気に食わなかったのか、ジーンは一瞬しかめっ面をした。
「陛下の命令でなきゃあ、こんなところまで一人で来るもんかよ」
ジーンが馬の上からあたりを見渡す。アカレアの街から離れたここは、ずっと平原が続いている。はっきり言って田舎道の風景だ。アカレアの街だってそこそこ賑やかとはいえ、王都に比べれば田舎町だろう。
「そうですね。私も領主様の命令でなければ、こんなところにいません」
しかし、嫌々なのはお互い様なのだ。パレットは引きつりそうになる顔を無表情に隠す。
「おまえ、大人しいかと思っていたがけっこう言うな」
上司や領主様の命令通りにしていたので、従順な女だと思われていたのだろう。
「給料を貰う相手ですから、犯罪でなければ従いますよ」
「なるほど、わかりやすいねぇ」
ジーンがパレットの後ろで笑っている。
――あまり会話しないようにしよう
パレットははっきり言って、ジーンのような人間は嫌いだ。いや、ジーンに限らず、他人は全て嫌いだ。