18話 屋敷での日々
パレットが目を覚ましたのは、まだ夜が明けたばかりの時刻だった。起き上がると、布団の中にミィが入り込んでいるのがわかった。そしてぼんやりと周囲を見渡して、自分が寝ているのが知らない部屋であることに気付く。
――そうか、ここはジーンの家だ
昨日何故かジーンの家に泊まることになり、貴族区に新たに貰ったという彼の屋敷に連れていかれたのだ。パレットはフラフラとベッドに倒れ込むようにして入ったことは覚えている。自身の恰好も服を脱いだ下着のみの姿だ。部屋に案内されて早々に寝てしまったが、現在朝ということは、夕食をすっぽかしたことになる。
――そういえば、お腹が空いたかも
パレットは荷物から服を引っ張り出して着替えると、台所に顔を出してみることにした。まだ朝食にはかなり早い時間なのだが、誰かいるかもしれない。部屋を出たパレットは屋敷の廊下をひたひたと音を立てないように気を付けて歩くうちに、台所と思しき場所を発見した。
「おはようございます」
小さな声であいさつをしながら中を覗くと、台所ではもう朝食が出来上がっていた。そして作業中の女性が、パレットに気付いて声をかけてきた。
「おや、お客様じゃないか。おはよう」
赤茶色の髪を目の、パレットよりも十は年上の女性が、そう言ってにっこりと笑った。
「丁度良かった、もうじき朝食だよ」
彼女に食堂で待つように言われたパレットがそちらに向かうと、食卓にはすでにジーンが座ってお茶を飲んでいた。
「ようやく起きたか」
パレットの姿を見たジーンが嫌味ったらしい言い方をする。自分でもちょっと寝すぎたと思っているパレットは、ばつが悪くてしかめっ面をした。
「さすがに、お腹が空いたのよ」
朝早い時間のため、まだ寝かせてやろうとミィをベッドの中に置いてきてしまった。けれど他人との交流の緩衝材として、ミィを連れて来ればよかった、とパレットは後悔する。
――なんだかこういうの、苦手だわ
一人暮らしが長かったパレットは、朝他の人間とどう接するべきかわからない。世間話でもすればいいのだろうかとも考えるが、話題が重い浮かばない。思えば旅の最中は、今後の予定などを話せばよかったので、こんなことを考えなかった。
まずは食卓の席のどこに座るか迷うパレットだが、他の誰もいないのに遠くに座るのもおかしいと思い、ジーンの正面に座る。そして現在気になっていることを尋ねてみた。
「この家は、ずいぶん朝食時間が早いのね」
なにせまだ夜が明けたばかりだ。農村ならばともかく、王都の屋敷の朝食時間ではないだろう。アカレアの領主様だって、日が十分に昇った頃に朝食を食べていた。パレットの疑問に、ジーンは肩をすくめて答えた。
「俺の時間に合わせているからな」
何故ジーンの朝が早いのかというと、兵士の早朝訓練に混じらせてもらうからだそうだ。なので日の出と共に起きて朝食を食べるのが通常なのだとか。この屋敷に住み始めた当初、ジーンは簡単にパンをつまんで行くとみんなに言ったそうだ。しかし屋敷の主はジーンだから食事時間をジーンに合わせる、と逆に言われたのだそうだ。
――ふぅん、お屋敷のみんなに慕われてるんだ
ちなみにどうしてジーンが兵士の訓練に混じるのかというと、身体が鈍らせないためだそうだ。
「騎士団の連中の訓練は、訓練じゃねぇよ。剣の振り方が美しいかを鏡の前で確認するんだぜ?一緒にいて寒気がする」
とジーンは説明しながらも嫌そうな顔をした。なるほど、確かに一緒に訓練したくないだろう。
ジーンとそんな話をしていると、食堂に入ってきた人物がいた。
「やっぱりお客様起きてる!今呼びに行ったけど猫ちゃんしかいなかったの!」
昨日の少女がパレットを見て、にっこり笑った。少女の後ろから、ミィがとてとて歩いてくる。
「ミィ、おはよう。置いてきてごめんね」
「みぃ!」
全くだ、と言わんばかりに鋭く鳴くと、ミィはひょいとパレットの膝の上に乗った。
その後食堂に続々と人が入ってくる。食堂に全員が揃うと、食事が並べられる。ジーンとその母と弟、屋敷の維持管理を任せているというライナス夫妻とその娘二人、そしてパレットの八人だ。
「自己紹介などは追々でいいだろう、とりあえずは食事だ」
全員がパレットに興味深々な中、ジーンがそう告げた。これはおそらく、昨日の夕食をすっぽかしてお腹を空かせたパレットのためなのだろう。しかし空腹をみんなに暴露されたようで、パレットとしては素直に礼を言いにくい。
「では、みんな今日も一日よろしく」
ジーンの朝の挨拶で、朝食が始まった。
――そういえば私、こんなに大勢で食事をしたのは久しぶりだ
パレットは昔、家族で食事をした記憶が脳裏に浮かんだ。
それから王都にやってきて一週間が経過したが、パレットはまだ王都に滞在していた。アカレアの領主様から預かった書類をまだ渡せていないことが理由だ。改めて王城へ面会予約を取ったが、まだ呼び出しがない。それに王妃様による王城への就職計画が未だ続行中だからだと、ジーンの上司経由での情報を聞かされた。
――私なんかを欲しがるくらい、そんなに王城って人材不足なの?
パレットの脳裏に疑問が渦巻く。
その間、ずっとジーンの屋敷に滞在しているわけだが、宿代を払っているわけではない。パレットとしては払おうとしたのだが、
「ジーンがお世話になったのでしょう?お互いさまよ」
とジーンの母親のエミリに言われた。ジーンの母親なのだからそれなりの歳であるだろうに、ジーンの姉だと言われても納得してしまいそうになる女性だ。そのジーンそっくりの美貌で言われると、パレットにはそれ以上何も言えなくなってしまう。
――私って美形に弱いのね、初めて知ったわ
今まで目を惹くくらいに美しい人物が側にいたことがなかったので、これは新たな発見だ。しかし自分が面食いだということは、あまり嬉しい発見ではない。ちなみにそのジーンとは、朝と夜の食事時くらいしか顔を合わせない。することがないパレットと違い、いろいろと忙しいのだろう。
それでもパレットはただ世話になるのも気が引けて、ジーンの弟レオンや、マリーの娘モーリンとアニタに、書類の作り方や計算を教えることにした。アニタはまだ読み書きができないし、モーリンも自分の名前くらいは書けるというレベルだ。一方のレオンは貧民街出身ながらある程度の読み書きはできるらしいが、計算は苦手だという。レオンがどこで読み書きを覚えたのかというと、仕事で出かけた先でだそうだ。
「王都から離れるとね、街や村の教会が週に一度無料で、読み書きの学校を開いてるんだ」
「それ私も知ってるわ。隣の国のシスターが孤児に読み書きを教えたことが、教会学校の始まりだそうね」
これは数年前に隣国で始まったことだそうだ。そればかりか隣国には庶民のための、もっと高度な教育を望む者があつまる学校も、国費で作られたのだとか。教会学校だけが国境を越えてこの国まで浸透してきているのだ。
パレットもアカレアの街で教会学校を覗いて見たことがある。そこでは子供から大人まで、様々な人が勉強していた。何故王都から離れないと教会学校がないのかというのは、パレットにはわからないことだ。一説には、貴族などの特権階級の者たちが、庶民に無料で読み書きを教えることに反対している、という話があるが。
レオンはこちらに引っ越す以前は、荷運びの仕事をしていたらしい。仕事で王都を離れる際にそう言った教会学校に立ち寄り、学んだ読み書きを家でも地道に勉強したのだとか。しかし計算までは覚えられなかったのだという。
読み書き計算ができるようになると、できる仕事がぐっと増える。パレットだって書類作りや計算ができたからこそ、家出した時にも仕事にありつけたのだ。個人商店での収支計算や契約書の解説は、どこに行っても重宝がられた。だがパレットの人嫌いが仇となり、どこでもすぐに問題を起こして首になったのだが。
ところでジーンの読み書き能力はというと、書類作成程度はできるらしい。騎士になる際に必須技能だと、上司に鍛えられたのだとか。その時ジーンは喋り方についても矯正されたようで、その際に猫を被る技術を会得したようだ。
パレットが読み書きを教えることに、マリーがとても感謝した。
「ありがとう、貧民街には読み書きができる人間が少なくて、教えられる人間がいないんだよ」
そうお礼を言われて、パレットはくすぐったい気持ちになる。
「お世話になっているお礼ですから」
礼を言われ慣れていないパレットは、ぎゅっと眉根を寄せてしまうのだった。
一方ミィはといえば、アカレアの街にいた時と同じように、気ままに王都を散歩している。王都で魔獣が出たという騒ぎにはならないので、王都の住人もミィを子猫だと思っているのだろう。




