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怪・界・会

羊難

作者: 高野 真

 木屋町の居酒屋で出逢った親爺から聴いた話である。



 お、兄ちゃんええもん食べてるな。鯨のサエズリか?

 おっちゃんもな、むかし鯨取ってたんやで。

 捕鯨船言うでっかい船に乗ってな、大船団や、鯨見つける船、銛撃つ船、捕まえた鯨を加工する船、それで南極の方まで出掛けて行くんやで。


 商船学校出て、水産会社に船員として採用されてな、まだ間もない頃やった。見習いで捕鯨母船に乗ったんや。

 南氷洋はおそろしい海や。吼える40度、狂う50度言うてな。緯度が高うなるほどに地獄が近うなる。

 すぅっと船が波に持ち上げられたかと思うと、だーんと叩きつけられてな。

 甲板から投げ出されたら生きて還ってはこれん。


 あの日はブリッジで見張りをしてたんや。

 前を行く船の航海灯が視界の隅から隅まで飛びよる、旋回窓をフル回転させても波しぶきと雨ですぐ何も見えんようになる、吹きすさぶ風はごうごう吼えたてる。

 ところがな、その嵐の音に混じって、なんや聞こえてきよるんや。

 最初は、前を往く船の霧中信号か何かやと思うた。デリックに張り巡らされたワイヤーが、風で呻ってるんかもしれんとも。

 でもちゃうんや。どない聴いても羊の啼き声やねん。

 めええええ、めええええ、言うてな。

 もちろん、船のうえや。ましてや南氷洋や。羊なんて居るわけあらへん。こら幻聴やと思うた。

 でもな、風に乗って聞こえてくるねん。

 めえええええ、めえええええ、めえええええ。

 それはそれは、優しい声やった。ほんまにどっかの牧場に居るような、のんびりした気分に浸ってな。


 だれかが、ヨウナンや、みんな見るな、聴くな、かまうな、と叫びよった。船長か、航海長かな。

 けれども、もう何人かはふらふらと、熱に浮かされたように甲板に向かって歩いていきよった。

 魅入られてる言うんか、憑かれてる言うんかな。右へ左へ揺れる船の廊下を幽霊みたいにな。

 けど、あの啼き声を聴いてると、居ても立ってもおられんようになるんや。

 早うここから逃げたい、早う楽になってしまいたい、あそこへ行ったら楽になれる、そう思うんやな。

 スリップウェー! 伝声管から声がした。スリップウェー言うんは、船尾にあるスロープのこっちゃ。捕まえたクジラをそこから船内に引き上げるんや。

 わしは引き留める腕を振りほどいて、船尾へ走った。壁のあちこちに身体をぶつけ、他の船員を押しのけながら。


 羊やった。ほんまに。まぁ、顔だけやねんけど。

 どない言うんや、セイウチの顔だけ羊にすり替わったような、何とも言い難い、ともかくやな、赤黒い何かが、スロープのうえを這い上がってくるところやった。

 巻き毛が触手みたいに自在に動いてな、ヒレで以って、ずずず、ずずずと甲板に向かって来よる。

 びちゃびちゃ、びちゃびちゃとこっち寄って来よる。

 ほんで啼く訳や。めえええええ、めえええええ。

 ふらりと現れた仲間が、恍惚とした表情でそれに近寄って行く。

 そうすると、毛や触手やようわからんそれがしゅるしゅると伸びて、くるくると巻きつけて口へ運びよるねん。

 ごりごり、ごりごりと噛み砕く音がしたかと思うと、めえええ、めえええ、や。


 ほんでも食われよる仲間の顔がどうにも気持ちよさそうでなぁ。

 とんでもないもん見てるのに、あの啼き声を聴くたびにわしもああなりたい、思ってしまうねん。

 得体の知れんもんに食われてるんはわかってるんやで。

 ばらばらになった仲間の身体が降ってくる、血しぶきがかかる、それを雨と波が洗う、そこに何やようわからん粘液が降ってくる、身体はそれへ引き寄せられる。

 どこかで逃げなあかんと気づいてる、でも啼き声に惹かれてしまう。




 そやからな、と言ってかき上げた彼の白髪の下には、耳たぶがなかった。

 鯨肉解体用の鉈で自らえぐったというそのかつて耳だった箇所は、耳穴がつぶれ肉が巻き、あたかも羊の角のようなうず巻きを描いていた。


この作品は鵜狩様に提供した原案「遠洋で出会った面妖な綿羊」を元に当方で創作したものです。

「羊灘」との兄弟作品と位置付けております。

羊灘:http://ncode.syosetu.com/n9226bm/479/


(平成27年2月23日脱稿)

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― 新着の感想 ―
[良い点]  短い中に光る語りの上手さ、しっかりした下地を持つ物語の流れと語り主の人物像、そこから生み出されるリアリティ、実際にはありえない状況なのですが、ありえるかも知れないと思わされます。 [一言…
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