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第四話

        《 四 》



 ある日の深夜。

 その異変は、闇に紛れてひっそりと訪れた。

 ――ザワザワ、と。

 草むらが激しく揺れ始めたかと思うと、その数秒後には、古びた家屋が跡形もなく崩壊した。その見るも無残な光景に吹く風は、どういうわけか、不気味なほど爽やかで清浄ですらあった。

 翌朝。その地を、とある家族が訪れた。立派なスーツ姿の父親と、柔らかな桃色のワンピースを着た妻。そして、利発そうな息子が一人。

「…随分と寂れた土地だこと。本当に、こんなところに診療所を建てるの?」

 妻の第一声に、夫が頷く。

「町の中央にありながら、こんなに広い空き地が取り残されているなんて、ついてるじゃないか。これはもう、私のためにあるとしか思えないぞ」

「…あなたときたら、本当にどこまでも楽天家なのね」

 呆れながらも、妻の表情はきらきらと明るい。それもそのはずだ。これから、夫婦の夢が叶い、開業できるのだ。嬉しくないはずがない。しかも、町の中央という一等地を驚くべき安価で購入できたのもまた、喜ばしい。

 そんな夫婦に手を引かれた少年は、じっと新たな住処となる土地を見つめている。

「あら、どうしたの? もしかして、また、オバケがいるなんて言い出したりしないでしょうね?」

 母親の咎めるような声に、少年は首を横に振った。

「ううん、オバケはいないよ。でも」

 視界の先に、知らない少女が立っている。純白の着物に、真っ白なおかっぱ頭。髪にはリボンなのか蝶なのか、よくわからない髪飾りをつけている。

「? どうしたの? オバケはいないけど、何か気になることがあるの?」

 訊かれた少年は、咄嗟に、白い髪の女の子がいる、と言いかけてやめた。少女が、そっと小さな唇に人差し指を添えたのが見えたからだ。

 私のことは、内緒にして。

 そう言っているような気がして、少年は慌てて口を閉ざした。

「?? おかしな子ね」

 不自然な息子の様子に首を傾げつつも、母親は期待に胸を膨らませている夫との話を再開した。

「それよりも、あなた。いつ頃、ここに住めるかしら?」

「そうだなあ。なるべく早めに住めるように交渉してはいるんだが」

 日程だの金額だのと、退屈な話を始めた両親から離れて、少年は、こっそりと少女に手招きした。

 やってきた少女は、見たこともないはずなのに、どこか懐かしさを覚えた。

「…あのさ、僕、もうすぐ、ここに引っ越してくるんだ」

 だから、友達になろう、と言いかけた少年に、少女は微笑んだ。

「――おかえりなのじゃ、雪智」

「え……?」

 おかえり?

 初めて来た場所なのに、おかしなことを言う女の子だ。そもそも、ユキチとは誰のことだろうか。

 よくわからないまま、少年は、少女の嬉しそうな笑顔につられて応えた。

「う、うん。た、ただいま…?」

 その返事に満足したのか、少女は頷き、ふうっと幻のように消えた。

「……あ、あれ…?」

 周囲を見回してみるが、どこにも少女の姿は見えない。もしかして、本当にオバケだったのだろうか? それにしては、随分と人間くさくて可愛かった気もするが――。

 それ以来、少女は、たびたび、少年の前に姿を見せるようになった。彼女が姿を見せるときは、決まって何かいいことが起きる。瀕死の重傷を負って運び込まれた子供が奇跡的に助かったり、寝たきりだった老人が急に歩けるようになったり。そういった不思議な出来事が重なったおかげで、診療所では手が回らないほど患者の数が膨れ上がった。ただの開業医にすぎなかった両親は、いつしか大病院を経営するまでに至り、少年もまた成長し、医師としても実業家としても名を轟かせるほどの地位を手に入れた。

 しかし――。

(……何故じゃ…?)

 雪智は帰ってきたのに、楓の心は、いつまで経っても満たされることはなかった。

 病院の窓から見る庭には、大好きなクチナシの花が咲いている。夏を過ぎて秋になり、凍える冬になっても、その花は一年中枯れることはない。それを誰も不思議に思わないのは、土地神としての楓の力が大地に深く根付いているせいかもしれない。彼女は、今や、町そのものを支えるほどの存在に成長していたのだ。それでも――叶わないことがある。

「……のう、雪智。主は、いつになったら、我のことを思い出してくれるのであろうな」

 生まれ変われば、記憶のすべてがリセットされる。それくらい知っているが――それでも、楓にとって、雪智は雪智だ。昔のまま、何も変わらない。

「………生まれ変わっても、阿呆なところは変わっておらぬとは。難儀なことよの」

 雪智は、生まれ変わってもなお、無欲だ。善良で、自分よりも周囲の者を大事にする。それ故に、彼を幸福にすることは、今世でも無理だろう。どんなに大きな幸福を与えたとしても、惜しみなく他者に譲ってしまうに違いないからだ。だが――それならそれでもいい。雪智が人間である限り、何度でもやり直せるのだ。

「――我は、雪智を幸せにしなければならぬのじゃ。そうでなければ、神として存在する意味がない」

 だから――楓は独り、冷たい廊下を歩く。足音もなく、気配も消して。

 歩いた先にあるのは、白いドア。かつて、雪智と呼ばれていた人間が仕事場にしている、小綺麗な部屋。

 そこを訪れると、熱心に書きものをしている背中が見えた。それは、今も昔も何一つ変わらない。

「…雪智よ」

 声をかける。すると、声に反応したのか、彼が振り返る。にこりと穏やかに微笑みながら。

「はい、呼びましたか?」

 それを見るたび、楓は期待してしまう。以前のように――二人で笑い合った、あの日の彼に巡り合えるのではないか、と。

 しかし、その期待はいつも残酷に撃ち抜かれる。

「――あれ? 今、声がしたと思ったんだけどな」

 言って、彼は首を傾げながら、再び作業に戻る。

 その静かな背中を悲しげに見つめ、楓は吐息する。

 十五になった頃から、彼は、楓が見えなくなった。人間には、よくあることだ。ある程度大人になってしまうと、急速に霊力が衰える。そんなことは、珍しくない。しかし――それは、楓にとっては受け入れがたい現実だった。

 たとえ、見えずとも、感じられずとも、雪智は雪智だ。何度もそう思おうとしたが、どうしても割り切れなかった。

 何故なら、彼女にとって、雪智という存在は、特別だったからだ。

 誰よりも自分のことを理解し、強く求めてくれなくては困る。楓の存在を心から必要としてくれる彼でなければ、幸せにしても意味がない。

 ただ一言。

 君のおかげで、幸せになれた、と。

 そう言ってもらうためだけに、自分は存在しているのだから。

(…雪智の心が我から離れるなどということは、あってはならぬのじゃ)

 ヒトは、見えないもの、聞こえない声、感じられない体温を信じない。そこにないものだと判断してしまう。それは、神である楓の心を濁らせる。清浄な神気を穢して、壊してしまう。

 それから、必死で何度も接触を試みたものの、彼の霊力は戻ってこなかった。それどころか、今では過去に楓に出会ったことさえ忘れてしまっている。

「……今の我では、主を幸福にできることはできぬ」

 神は、信心のない者と通じ合うことはできない。今の雪智は、医療と他者を救うことだけで頭がいっぱいだ。そんな彼を影ながら手伝うことはできても、楓が思い描く真の幸福を与えることはできない。

「じゃからの、我は考えたのじゃ」

 聞こえないとわかっていながら、楓は話し続ける。

 二度と振り返らない背中に。

 希望の消えた、その人影に。

「――もう一度、やり直さなくてはならぬとな」

 楓が、踵を返す。

 その白い髪から剥離するようにして、細い葉のような刃が生まれる。それは、ゆっくりと、しかし、的確に、ある一点に向かって飛んで行く。

 楓が、ドアを通り抜けて、すぐ。

 どさり、と何かが落ちる大きな音が聞こえた。しばらく、うめき声らしきものが低く床を這っていたが、すぐに消える。

 楓は、ぴたりと足をとめたが――決して、振り返ることはしない。

「……これで、次こそは、本物の主に出逢えるじゃろう。そのときは、必ず、あのときの約束を果たしてやろう。じゃからの、雪智」

 呟く唇が、薄く笑む。それは、邪悪とは程遠い、清らかな微笑。まるで、生娘が知らず知らずのうちに恋しているかのように、甘く、切ない。

「――…早く、帰ってくるのじゃ。我は、いつまでもここで待っておるからの」

 その声は、誰にも聞こえないし、届かない。

 ただ、どこからともなく飛んできたクチナシの花弁のように白い蝶が、楓の希望を嘲笑うかのようにひらひらと宙を舞った。


                                《 完 》


読んでいただき、ありがとうございました。この話に直接的な続きはありませんが、楓に限って言えば、別作品にも重要キャラとして出てきます。というか、今回の物語は、そちらのスピンオフっぽい感じで書いてるんですよね、実は。本編にあたる物語のほうは長めなので、まだまだ投稿するに至りませんが、題名は『白き神と八十九のわざわい』になる予定ですので、見かけた際には暇つぶしにでも読んでいただけると嬉しいです。

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