彼と彼女の◯◯な時間
「ところで先輩」
「ん?」
「先輩はどうして生きてるんですか?」
喫茶店のテーブルで、目の前に座っている彼女が何の脈絡もなしに話を振ってきた。しかも、僕の存在の理由が質問内容ときた。
大学の2回生である僕が一個下の彼女と知り合ったのはサークルの新入生歓迎会の時だった。地味な弱小サークルのささやかな新歓で、特に緊張しているわけでもなさそうなのに仏頂面を下げ、先輩や同級生に声をかけられても固い返事しかしない彼女を見かけたのは。
そんな彼女に周りも愛想を尽かしていったわけだが、どういうわけか僕とは相性が良かった。いつの間にか気兼ねなく会話する先輩と後輩になり、いつの間にか付き合っていた。
しかし、変人な彼女との会話はいつも甘いわけではなく、むしろ下手に口にするとどんな毒に当たるか分かったもんじゃない時もあった。
今だってそうだ。
「暗に、貴方に生きている価値はあるの?とでも言いたげなメッセージが見え隠れしてるんだけど」
「それは先輩の気のせいです。いえ、むしろ自分で自分の存在を肯定できないからそう錯覚してしまうのでは?」
「飽くまで僕の気持ちのせいにするんだ。そういう風に導いた自覚は?」
「ないです」
「本当に?」
「本当に」
「微塵も?」
「微塵も」
僕はほうっと息を吐いた。
「哲学的な問いだね、答えはないよ。死ねない目的を持って活動している人間に僕が見えるかい?」
そういうことはソクラテスとかニーチェとかそういう人に尋ねればいいんじゃないかな。
「先輩はホント朴念仁ですね。鈍くて暗愚で独活の枯木です」
「そこまで使えない人間となるとそれはもう存在を許されてないよね、僕。と言うか何故唐突にそこまで貶されなければならないんだ」
「当たり前じゃないですか。私はこう言って欲しかったんです。君がいるからさ、と」
僕はテーブルに置いてあった中身のなくなったコップを傾け、氷の残骸である水を自分の喉に流し込んだ。
まずい。
「君の問いからその答えを導き出すのは至難の技じゃないかい?」
「そうでもないです。そもそもいつも想っていれば導き出すのではなく自然と出てくるはずです」
「君はどうして生きてるの?」
「先輩がいるからです」
この不意打ちの質問に要した解答時間、僅か0.1秒。今思いついたでっち上げの理論ではなかったらしい。
けれど彼女の端整だがいつも無表情な顔が、今若干のドヤ顔に見えるのは果たして気のせいなのだろうか。
「と言うわけです、先輩。私だけの片思いだったなんて、私との関係は遊びだったんですか?」
「そのセリフはもうちょっと感情の起伏に富んだ言い方をされるべきだよね。なんで事務的な口調なの」
「これでも内心ではドス黒い渦が巻いているかもしれませんよ」
「いや、その可能性を示唆する言い方は明らかにドス黒い渦なんてない証拠だよね」
「言い回しだけで判断しないで下さい。そうでない確固たる証拠なんてありません」
「そうでないものをそうでないと証明するのは難しいよ。誰も悪魔がいないことなんて証明できないんだから」
すると、向かいに座っていた彼女は小さく息を吐いた。
「そうじゃないんです、先輩。考えることこそに価値があったわけで、答えの正誤は問題ではありません。この場合私について思考して頂くことこそが正解だったのです」
「考えたじゃないか」
「内容ではなくてメタ的な視点から考えましたよね、反則です」
「ルールがあったんだ」
「ありました。私は、とにかく先輩が私を想っていることを証明させたかったんです」
「したかった、ではなくて、させたかったって辺りに君らしさを感じる……」
「おっと、それで私が悪い意味に受け取ったらさっきのブーメランを投げつけるつもりですね。『君らしさ』と言うのは良い意味で受け取っておきます」
先を読まれてしまった。これは恥ずかしい。
もし彼女が「どういう意味ですか?含みを感じます」と言ってきたら、『自分で自分の存在を肯定できないからそう錯覚してしまうのでは?』と言うセリフを投げつけることができたのに。
彼女は表情から、僕が悔しがっていることを察したらしい。
にっこりと微笑んだ。
「良い顔です」
……ひどいSっぷりだ
「ねえ、僕達って付き合ってるよね?」
「あら、先輩もそう思ってくれてたんですね。嬉しい限りです」
随分可愛いセリフだが、どうにも棘を感じてしまうのは本当に僕に負い目があるからなのだろうか。
すると、彼女は予想外に真顔になってこう続けた。
「先輩は、私達が付き合っているようではない、と感じているのですか?」
ちょっと真面目な口調に、今度こそ僕はちゃんと考えて答えようと思った。
しばし、間を置いて
「ううん。どう見てもカップルの会話だ」
僕のストレートな答えに彼女はちょっと面食らったようだった。
「よく、正解を言えましたね」
よく考えてみれば分かる。言い方が少し捻じ曲がってたが、彼女はずっと僕に甘えていただけなのだ。朴念仁と言われた僕だが本気を出せばこんなもんだ。
「そのドヤ顔が気に入りませんが」
おっと、せっかくの完答に傷を付けてしまった。
「ですが、」
クスリと笑って彼女は続ける。
「分かっているならいいです」
言って、彼女は一口もつけていなかったドリンクを飲み始めた。僕はとっくに飲み終えていたのに。
きっと、彼女は飲む時間すらも惜しくて会話をしていたんだと思う。返答に詰まった時にドリンクを飲んで時間を稼いでいた僕とは対照的に。
次からは僕もドリンクを最後に飲むようにしよう。