6−2
「とりあえず、ここなら、平気だろ」
ラブホテルの屋上。派手な看板と看板の影に隠れて、隆二が言った。
家からはだいぶ、離れたところに来ている。
「ったく、いつだって急なんだよ、あの嬢ちゃんは。人の家に来るならアポぐらいいれろっつーの」
舌打ちする。
『あの……』
マオがおどおどと、小さく声をかけてくる。
「ん、どうした?」
振り返り、出来るだけ優しく見えるように微笑む。
『……手』
「あ、悪い」
掴んでいた手を離す。
マオは掴まれていた右手首を胸の辺りで左手で抱え込んだ。
その手をしばらく見つめ、
『隆二、あの……』
そこまで言って、マオは足元の辺りを探るように見る。まるで、足元に答えが書いてあるかのように。
それを見て、隆二は、
「U078」
先に言葉を切り出した。
『え?』
マオが顔をあげる。
「それが俺の実験体ナンバーだ」
言って笑った。
神山隆二がU078という実験体ナンバーで呼ばれるさらに前、彼はごくごく普通の少年だった。
彼は貧しい家の三男坊として生まれた。
毎日遅くまで仕事をする父親の背中と、それを手伝う上の兄。
母親の後をついて回り、家事の手伝いをする妹。
余所で働き始めた姉と下の兄。
お腹がすいたと泣く二人の小さな弟。
生まれた時から体が弱く、病気で寝込む彼を、困惑と憎悪と心配をごちゃまぜにした顔で見る母親。
何も手伝えない彼を、心配しながらも、邪魔者を見るような目で見る兄弟。
そんな時、村に流れた噂。
ある金持ちが、子どもを欲しがっていると。謝礼は高額。ただ、それは、ある種の人体実験だと。
その話に乗ることにしたのは、親が言い出したのが先か、彼自身が言い出したのが先かは覚えていない。
覚えているのは、彼を連れにきた数人の男。
覚悟はしていたものの、いざとなると怖くなって、泣き叫ぶ自分から視線を逸らし、さっさと家の中に入ってしまった父親。
一言だけ呟いて父親の後を追った母親。
月明かりの下、遠ざかっていく家。
たどり着いたのは、埃っぽい部屋。
そこから先は覚えていない。
眠らされ、次に目が覚めた時には全てが終わっていた。
U078の実験は成功した。人体兵器。死なない兵隊。来たる戦争に向けて、作り出された化け物。
家族を失って彼が手に入れたのは永遠の命と不死身の体だった。そして彼は、人間であることも失った。
「まあ、そんなわけだ」
足を投げ出して座り、シニカルに笑う。
「だから、戸籍上は神山隆二なんて人間、本当はいないんだ」
『だって、そんな、ならどうしてっ』
「どうしてここにいるかって?」
聞かれてマオは頷いた。
「逃げ出したからだよ」
マオと同じように。続けるとマオは痛そうな顔をした。
逃げようと言ったのはリーダー格の少年だった。たった四人の成功した実験体。
自分と他の一人は賛成し、残りの一人は最後まで反対していた。見つかったら何をされるかわからないんだぞ!! と。
それでも結局逃げ出したのは、このまま研究所にいれば、未来などないことがわかっていたからに他ならない。
逃げて離ればなれになった。
逃げて逃げて逃げて逃げて。
ぼろぼろになった彼を助けたのは、一人の人間だった。どこか影のある、和服の似合う、猫が大好きな女の子だった。
彼女は彼が化け物だと知っても変わらずに側にいてくれた。
彼女とならば普通の人として生きて行ける、そう思った。
そんなとき、少女は現れた。
「嬢ちゃんのばーさんだよ」
『おばあさん?』
「イヤー、しかし、久しぶりに嬢ちゃんにあったけど、ますます似て来たよなー本当」
嫌な部分までそっくりだ、とため息をついた。
哀しくなるぐらいの無表情で自分の前に現れたその人の顔は今でも思い出せる。
死神は無表情を崩さずに宣告した。一字一句間違えずに、その宣告を覚えている。多くが消えていく記憶の中で、それは鮮明に脳裏に焼き付いている。
「私たちはもう貴方達を兵器としては必要とはしていません。そこで選んでいただきたい。ここで、証拠隠滅のためにおとなしく消え去るか、または必要に応じて我々の力になるかを」
死刑宣告を暗唱し、そこでマオに視線を合わせる。
「勝手な話だと思わないか?」
マオはぐっと唇をかみしめていた。泣きそうな顔。
その表情があまりに痛々しくて、見るのに耐えかねて、隆二は思わず言っていた。
「過去の話。あまり気にするな」
そして、自分の隣の床を叩く。
マオは大人しく隣に座った。
手をあげる。マオの頭を撫でる。ゴム手袋を何枚か重ねているかのようだったけれども、しっかり触れた。
さらさらと、細い髪の毛が流れる。
『どうして……』
マオが目を見開く。こぼれおちそうになる緑色の瞳をみて、少し微笑んだ。
「さあ? 俺も理屈はわからないが。霊体にも触ることが出来るんだ。副作用、みたいなものかな。実験の」
肩を竦め、それでもまたマオの頭を撫でる。
「約束だったもんな」
微笑んで見せる。
マオはまたさらに泣きそうな顔をした。
『だから、嫌がってたの……? あたしが触るの』
「ああ。人間じゃないことが、ばれたら困ると思ってな」
苦笑する。
そのまま腕をおろす。
今度は、隆二の右手におずおずとマオが手を伸ばした。隆二は避けなかった。
そっと触れる。そのまま手を繋ぐ。
繋ぐことが出来た手を見て、マオは一瞬くしゃりと顔を歪めた。泣きそうとも、笑い出しそうともとれる顔。
『あのね、あたしね』
俯いて、その手を見るようにしながら、マオが言葉を吐き出す。
「うん」
隆二は優しく微笑みながら頷いた。
『実験体ナンバーG016』
「うん」
『人工的に造られた幽霊』
「うん」
『……今まで、黙ってて、ごめんなさい』
俯いたマオの頭を、空いている左手で撫でた。
「お互いさまだろ」
隆二だって黙っていたのだから。
『……でもあたし、黙ってただけじゃなくて、嘘、ついてたから』
下を向いたまま、ぼそぼそと呟く。
「じゃあ、やっぱり記憶喪失、っていうのは」
『うん、嘘……。そうやって言えば、詳しいこと、聞いて来ないかなって思って』
「そっか」
『本当は、ちゃんと覚えてる。変な水槽みたいなのの中で、目を覚ましたときのことも。外に出る実験とかっていうときに、逃げ出したことも』
「うん」
『本当のあたしは、まだ、作られてちょっとしか経ってないの』
だから、妙に偏った知識や子どもっぽい仕草があったのか、と思う。
人工的に無理矢理詰め込まれた知識ならば偏りも出るし、仕草も子どもっぽくなることもあるだろう。
『ごめんなさい、言わなくて』
「いいってば」
また謝り出したマオの額を軽く小突く。
「黙っていたかったマオの気持ち、良くわかるから。……誰かにこういうこと話すのってためらうよな、嫌われそうで」
マオは泣きそうな顔で一つ頷いた。
『それなのに……、ありがとう。先に話してくれて』
「どういたしまして。まぁ、年上の威厳というものを見せようと思ってな」
ふざけていうと、マオは少しだけ微笑んだ。
「さて。嬢ちゃんがこれからどうするか。さっぱり検討がつかないが」
無表情で色々と恐ろしいことをやる少女だ。
「でもまあ、とりあえずここなら大丈夫だろう」
『……うん』
「走り回って疲れた、ちょっと休む」
一度大きく伸びをすると、看板にもたれて隆二は目を閉じた。
マオはその横顔をしばらく見ていたが、やがて隆二の肩に頭を乗せると、同じように目を閉じた。
つないだ手はそのままに。