七
ぱかぱかと規則的に響く馬蹄の音だけが虚しく響く荒野。
つい数十年前までラインホルトとの諍いが絶える事の無かったこのイクティナシア地方の景観は、春の麗らかな陽を浴びても尚映えるものが無い。
剥き出しの岩や茶色い地面、焼け焦げたまま立ち尽くす古木の群れは魔導兵器を用いた激戦の様子を窺わせる。
戦によって放棄された村落があちこち点在する他何も残っていないこの地で、時代に取り残された遺物のように横たわる大掛かりな軍用路を利用する者も今はほとんどおらず、確かに二人の旅路にとっては好都合な行程ではあったが、今はその荒涼とした静けさがより沈黙を引き立たせるようで歓迎しがたかった。
ファンドラーネでの一件を機に、ライゼはあることを決意した。
少年を、北の獣人国スメラギに亡命させる決意だ。
帝都の情報屋から仕入れたのは、それを行う場所についての詳細だった。
半年間旅を続けていて常々考えていた事がある。
自分がもし大きな怪我や病気をして動けなくなってしまったら、もしくは死んでしまったら、あの一人ぼっちの少年はどうなるのだろう。
それはきっと、少年が自分の元から去っていかない一番の要因でもあった。
どんなに運が良くても獣人の、しかも子供が、一人きりでこの国を生きていくことは不可能だ。
祖国は、カドゥゴリは残念ながら、それを許しはしないだろう。
ライゼは少年に、自由を与えてあげたかった。
それを実現することは、この国では難しかった。
方々を歩き回って集めた亡命に関する情報。最後の鍵となるその場所は帝都で突き止めることが出来た。
ラインホルトとの国境沿い、カドゥゴリ帝国と、スメラギ大公国を分け隔てるアクイラ大河。
三国の境が集まるその地ではこの季節、ニエベ火山から降り落ちる火山灰のつくり出す霧に紛れて、自由への渡しが出ているのだという。
今から目指せば、まだ間に合う。
その旨を少年に告げて、帝都を早々に発ってから約十日が経過していた。
少年の様子はこれまでとは変わらない、いや、変わってしまった、何かが。
今も黙ったまま後ろをついて来るだけで一言も口を利かない。表情は人形のように固かった。
確かに、態度としては今までとほとんど変わらないだろう。笑顔を見せてくれたり、親しく口を利いたりしないのには慣れていた。
しかしそれでも、意思表示はしていたし、感情も表さないわけではなかったのだ。
それが、今は違った。その原因が何なのか、ライゼにはわからなかった。
恐らく攫われかけたときの衝撃かもしくは今後、亡命してから先についての漠然とした不安がそうさせるのだろうとは思っていたが、それにしても様子がおかしい。
まるで旅を始めた頃に逆戻りしたような、頑なな態度。食欲もあまり無いらしく、毎日ほんの少ししか口にしなくなってしまった。
徐々に開かれつつあるように感じた彼の心の扉は再び、冷たく重く、閉ざされてしまった。
そんな状態のままもうすぐ二人の旅は終わり、二度と会うこともなくなる。
ライゼにとってそれは、死とさえ比べ物にならないほどの辛さだった。
それが、自分勝手な感情だとはわかっている。間違っても少年に押し付けて良いものではないということも。
最悪の事態はすでに起きてしまったのだ。今回は運良く取り戻すことが出来たが、次は、その次は。
もう二度と、あんな目に遭わせるのは嫌だった。
そのためにも下した自分の決断は恐らく正しい。少年の未来を想うなら自分の感情など安いものだろう。
頭では理解し、納得している。だがそれでも込み上げてくる想いは未練たらしくライゼを蝕んだ。
せめて最後くらいは笑顔を見せて欲しい。
それさえ見ることが出来たなら、安心して送り出せるのに。俺の人生に確かな意味を見出せるのに。
その切実な想いは叶いそうにもないまま、終着の地はゆっくりと、確実に近付いていた。