五
薄橙の陽がガラ山脈の向こうに沈んでゆく。春といってもまだまだ日の入りは早い。
暗くなる前には自分から戻ってくるだろうというライゼの予想に反してリュイはまだ帰ってきていなかった。
「良いことじゃないか。馴染むのは早いに越したことはない」
迎えに行くと言ったはいいものの、それなりの広さがあるホームで子供たちが一体どこで遊んでいるのか、土地勘の無いライゼではわからないだろうと付いてきてくれたレゾンが朗らかに笑う。
「そうですね」
ライゼもほっとしたような気持ちで頷いた。子供で居られる時間は短い。リュイにとって失われていたものが完全に取り戻せなくなるまえに取り返すことが出来たなら、良かった。
木々の高屋根に覆われたなだらかな斜面の道を進む。合間には点々と目隠しとなる大きな木と、それに寄り添うように民家があり、人間と獣人が当たり前のように共に生活していた。すれ違う人々は皆レゾンへの挨拶を欠かさない。そして今日の夕飯を話し合い、明日の天気を語る。すでに人口は二百人あまりに達しているらしい。帝国中を旅して回ったライゼから見ても、完全にここは“村”だった。
「良いところですね」
「そうだろう。まだまだ問題は絶えないが、私の誇りだ」
ライゼが言うとレゾンは嬉しそうに笑みを浮かべる。心の底からそう思っている表情で、ライゼは微笑を返した。
殺伐とした外界と隔絶された平和なホームの風景をゆったりと二人肩を並べて眺め歩きながら、レゾンはふとライゼに問いかけた。
「リュイには話したのか?」
唐突な問いだったがライゼは察する。先程の話の続きだ。ライゼは緩く首を横に振った。
「そうか」
「別に隠そうと思っているわけでは無いのですが……」
「そうだな。もしもいつか聞かれたら、答えてあげるといい」
知らなければ知らないままで良いこともあるのだ、とでも言いたげにレゾンは頷く。
さらに斜面を下ってゆくと広々とした放牧地が目の前に現れる。まだ雪に覆われているが、もう少し暖かくなれば青々とした緑の絨毯が広がるのだろう。
「ほら、あそこだ」
レゾンが指差した先には子供の一団。傍らには様々な特徴を持った多人種な雪だるまが並んでいた。
近付くにつれ話し声が耳に入ってくる。
「も~……だーかーらー、海っていうのはー……」
リュイの声だった。何度も説明しすぎて話疲れてしまったというような声色だ。
「あ、おっちゃんだ!」
放牧地の柵に腰掛けながらふんふんと話を聞いていた子供の一人がこちらを指差す。その声で全員が振り向いた。リュイも気が付いたようだ。
「ライゼ!」
レゾンの元に駆け寄る子供達に遅れてリュイも嬉しそうに駆け寄ってくる。手を広げてやるとその中に飛び込んできた。くしゃくしゃと頭を撫でると無邪気な笑い声が返ってくる。
「あーリュイ、お兄さんなのに甘えてる~」
「変なの~」
「いいの! 僕とライゼは特別なの!」
同じようにレゾンに抱き付いていた子供達から揶揄が飛ぶ。リュイはうっ、と頬を赤くして顔を背けた。
その可愛らしさにライゼが表情を綻ばせていると、それを見ていたティグラキが脇からひょこっと顔を出しじっとライゼを見上げてくる。
「誰だ?」
先ほど顔を合わせたはずなのにもう忘れられているらしい。そういえば自分の自己紹介はまだだったことをライゼは思い出す。
「ライゼだ。ありがとう、リュイと遊んでくれて」
ライゼはにっこりと挨拶するがしかし、ティグラキはライゼの顔を見つめたまま無言。ライゼとリュイは二人首を傾げてしまう。
「リュイ、ライゼとリュイは特別なのか?」
今度はリュイの方へと向き直ったティグラキが真面目な顔で尋ねた。
「えっ、う、うん。そうだよ」
リュイが戸惑ったようにしながらも頷くとティグラキはむぅ、と口を引き結ぶ。
「どうしたの?」
と、怪訝そうにリュイが眉を顰めた瞬間だった。
「ずるい! 俺もリュイと特別がいい!」
「はぁ!?」
ライゼに抱き付いていたリュイを、そこから引きはがすようにその腰に腕を回すティグラキ。友好的な笑顔を浮かべたままライゼの眉がぴんと跳ね上がる。
「いやいやいやいや、ちょっとま、待ってよティグラキ!」
「ティグ、リュイが困ってるぞ。離してあげなさい」
レゾンに言われて渋々手を放すティグラキだったが、相変わらず表情は真剣そのものだ。困惑するリュイの肩に手をやり、自分の方へと振り向かせる。
「リュイ、俺のことティグって呼べ! な!」
「う、うん。ティグ……」
リュイが自分の愛称を呼んだのを聞いてティグラキはようやくにっと笑う。そしてレゾンに向かって言った。
「レゾンさん! 名前を短く呼んだりするのは仲良しのことっ!? 特別!?」
「ああ、うん、そうだな」
レゾンは自分もそう呼んでいる手前否定してやるわけにもいかず曖昧に頷く。するとティグラキは再びライゼを見上げ勝ち誇ったような笑みを見せてきた。ライゼの笑顔が引き攣る。
「なんなのさ、もう」
気付かぬリュイは呆れた調子で溜息を吐く。ライゼはすっと屈みこむとその顎に手をやりこちらを向かせた。
「リュイ」
「ん?」
その振り向きざまに、二人の唇が重なる。硬直するティグラキ。歓声をあげる子供達。苦笑するレゾン。
顔が離れると耳まで真っ赤になったリュイがぱくぱくと口をわななかせていた。
「ちゅーした!」
「リュイとライゼ、恋人!?」
実際のところはよくわかっていないのだろうが女の子を中心にきゃっきゃと子供達が囃し立てる。それを背景にライゼはティグラキに勝ち誇った笑みを返しておいた。
「なっ、な、ななななな……!」
ようやく声が出たらしいティグラキ。負けじとリュイの手を引こうとするが、先手を打ったライゼの後ろに隠されてしまう。
「ずるい! 俺もリュイとちゅーする!」
声を上げるティグラキにライゼが、するの?という顔でリュイを見ると、リュイはようやくぶんぶんと首を振って否定する。
「しっ、しないよばか!」
「やだ! ずるいずるいライゼずるいずるい!」
真っ向から断られたのにも関わらずめげないティグラキは駄々をこねるように喚くが、ライゼは聞こえていないようにそっぽを向いてやった。
レゾンの笑みが広がる。先程まであれほどの対応をしていた青年が、この少年を介するだけでまるで別人に変化したことが可笑しくて仕方が無いのだろう。
「楽しくなりそうだな、これから」
レゾンは誰にともなくそう言い、愉快そうに笑い声をあげるのだった。