二
「遅い。これじゃあ夏になっちゃいますよ?」
「うるさいなあ。これでも一生懸命やってるよ!」
「一生懸命やってその程度……ライゼ、苦労してたんですねぇ……」
「うるさい! リーリオうるさい!」
くるくるとした癖のある金色の髪を晩冬の風に靡かせて混血の虎人、リーリオが馬の背から背後を見遣りつつ嫌味っぽく呟く。
その後ろにやや遅れてライゼと黒馬が、そのさらに後方にリュイの栗毛馬はいた。
リュイは前方から飛んでくる文句に一々噛み付きつつ四苦八苦しながら馬を歩かせている。乗馬を不得手とするリュイにしては十分な速度を出していたが、新たに旅に同行することとなったリーリオはそれでも不満そうに肩を竦めていた。
ライゼはというと、先程からリュイの馬の轡を引いては歩度を合わせてくれるのだが、どうしても遅れてしまうリュイを振り返り困ったように苦笑している。
「そんなに急いでいるならリーリオ一人で行けばいいじゃん」
「そうして良いのならとっくにそうしてますよ。なんのために僕がついてきているかわかっているんですか?」
「……道案内でしょ」
小馬鹿にしたようなリーリオの口調にリュイはむっとしながら答えた。
こんなことになるのなら、もうしばらくフェレスハイムの隠れ家に滞在しているのだった。
そうすればもっと優しそうな人が案内についてくれたかもしれないのに。
リュイは今更ながら数日前の自分の選択を後悔していた。
ライゼと共に平和に暮らす未来を切り開くため、ガンドフの宿を後にした二人は反体制組織『ウォルグァン』の扉を叩いた。
月の光の名を冠するその組織は、カドゥゴリ領内において虐げられている獣人の保護と待遇改善・人間との融和を目的とした、獣人と人間の両人種で構成された組織だ。
いつから出来たのかは知らないがスメラギと直接提携して亡命事業を取り仕切っているだけになかなか大規模な組織らしく、その隠れ家はカドゥゴリ全土にあるらしい。酒場『朧月夜』もそのひとつであるというわけだ。
しかし構成員として加入したからといって勿論、すぐに何かができるわけではない。
ウォルグァンの獣人構成員には主に、自衛手段を持ち、単独でも行動ができる戦闘員と、それが不可能な非戦闘員に分けられる。
戦闘員はリーリオのように身体的特徴を隠しながら危険を背負いつつ、人間の構成員とともに各地で仕事をこなすことが許されるが、リュイのような子供や、病人怪我人などは非戦闘員として『ホーム』と呼ばれる隠れ里で教育や保護を受けることになっているのだ。
今三人が目指しているのはそのホームのあるガラ山脈の奥地だ。
詳しい場所は行ったことのある者にしかわからない程複雑な道程の先にあるらしく、二人だけでは遭難の危険もあるので案内役にリーリオがついた、というわけなのだが、どうもリュイとは馬の合わない性質の男らしく、フェレスハイムを発ってからというもの口喧嘩ばかりしているのだった。
リーリオはわざとらしく溜息を吐くと肩を竦める。
「本来なら今頃は亡命の仕事のためにエルピスに向かっていなくちゃいけないのに、仕方無く道案内を頼まれてあげたんですからね? しかも、休憩中は誰かさんがしつこいから魔術の手ほどきまでしているっていうのに、その口の利き方はどうかと思うな僕は」
「今日はしてないじゃん!」
「それはやっぱり誰かさんがいつまで経っても剣に振り回されてるから。戦闘員になる気があるのならまず剣術が最優先。その体力じゃ魔術を覚えたって使い物にはならないんでね」
リーリオの言い様にリュイは返す言葉が見付からず悔しげに唸る。
ウォルグァンに入ると決めたあの日からリュイは時を同じくして見付けた自らの武器、魔術の勉強と主に身体能力の向上が目的で剣術の稽古を始めているのだが、前者の順調さに比べて後者の方はどうも果々しくない。
組織の一員になっても危険なことは相変わらずライゼ任せ、という立場からなんとか脱却したいと密かに願うリュイとしてはなんとしても戦闘員入りを目指したいところなのだが、得手となりそうな魔術を伸ばしたいと思っても戦闘員の先輩にして魔術の臨時講師たるリーリオがこの調子ではすぐにライゼと並び立つのは難しそうだ。
ライゼに助けを求めるように視線を送っても、リーリオに多少同感であるのか苦笑を浮かべたまま、剣術なら俺が教えてやるから、とあまり助け舟にならない言葉をくれるのみだった。
そうしてしばらくむくれたまま馬を進めていると、先頭のリーリオが小さな丘を登りきったところで口を開いた。
「ああ、やっと見えてきた」
その瞬間、それを掻き消すかのような凄まじい異音が突如草原に響き渡り、リュイは驚きのあまり危うく馬から落ちかけてライゼに抱きとめられる。
「な、何?」
「見てみればわかるよ」
茜色の瞳を丸くするリュイにライゼは小さく笑うと、促すように丘を登った。
それに従ったリュイは丘の下に広がった光景に、見開いた目に加えてぱっくりと口を開いたまま言葉を失う。
緑の草原を切り取るようにして、緩く湾曲しながら続くのは赤錆色をした細長い道。その上を大きく真っ黒な鉄の車がやはり大きな車を何台も引き連れて、激しく煙を吐き出しながら走り去っていくのが見えたのだ。
今や馬車、船を差し置き、帝国の通運の王座に君臨する移動手段、蒸気機関車。
丘からは線路まで十分に距離があるのに、黒い胴体はそれでもリュイの目に巨大に映った。
「あれに乗るのか?」
その勇姿に気を取られているリュイをよそにライゼが、大丈夫なのか、という意味を込めてリーリオに問いかける。
リーリオは涼しげな顔で頷いた。
「あそこの駅員にも組織の協力者がいます。それにこの辺りの駅は貨物の乗り降りに対して客の乗り降りは少ないので人目に触れる心配もまずないでしょう」
「本当に大きな組織なんだな」
ライゼが感嘆するように呟くとしかし、皮肉げにリーリオは肩を竦める。
「帝国の体制に不満を抱いている人間は結構多いですから。しかしその全てが獣人の融和を真に望んでいるかというと……まぁこれはそのうちわかるでしょう」
意味深に言葉を濁し、リーリオは馬腹を蹴った。
「リュイ、あんまりぼーっとしてると置いていきますよ」
声をかけられてようやく我に還ったリュイは慌てて二人の後に続く。