七
「なに?」
改まって話を切り出したライゼに、リュイは真面目な顔をして先を促す。
先刻の青年のことを思い出しながらライゼはどこまで話そうか、と僅かの間思考に沈んでからすぐ顔を上げた。馬鹿なことを。無論、全てだ。リュイには知る権利がある。
「色々と良くない話を聞いた。俺達のこれからに関わることだ」
それを聞いたリュイの表情が僅かに翳った。それでも努めて不安を押し隠すように一度だけきゅっと唇を引き結ぶと尋ねる。
「良くない話って……?」
ライゼはリュイの手を取り温めるように包み込みながら、ゆっくりと話を始めた。
「アイヘルムの収容所が襲撃されて、逃げた獣人を探して憲兵や商人が嗅ぎ回ってるっていう話が本当だったっていうのは、もうとっくに気付いているよな。実際俺の目から見ても街の雰囲気は明らかに物々しいし、今日も通りで捕り物騒ぎがあったらしい。でもそれだけなら、ちゃんと部屋に隠れている限りは見付かることは無いし、盲目の演技をしている間はまず安全だった。けど……近いうちに捜索の範囲が広まって、宿屋へ立ち入りで調査があるらしい。つまり、宿泊客の素性や身体検査なんかがあるってことだ。もう、この街にはいられない。明日には発とうと思う。街の出入りも厳しくなるからその前に」
うん、とリュイはただ素直に頷く。が、その声音は決して明るくない。話はまだ終わっていないということに気付いているのだろう。
「問題は……そんな捜査がこの街だけでなく、カドゥゴリ全土で、しかも今回限りでは無いということだ。そうすると、これからどんな街に入るのにも危険が伴うし、リュイ独りで留守番をしてもらうのも難しくなる。これからはほとんど街に入れないと思ったほうが良いだろう。いつ憲兵がやってくるかわからない所へ置いていかれるのは嫌だろ? 俺だって嫌だ。そんな場所へ置いていきたくない」
本当は何時だって何処にだって置いて行きたくなど無い。けれど。
「けれど、そんな生活は出来ない、出来たとしてもきっと長くは続かない。いつかは壊れてしまう日が来る、儚く細い道だ」
握り返してきたリュイの手はとても冷たい。心なしか震えている小さな少年の細やかな髪をさらりと撫で、ライゼはしかし微笑んだ。
繋ぎ合う手のひらの体温が溶けて、じわりと心地よい温もりが生まれる。
「いつか壊れてしまうとわかっていても、それでも、なんて、諦めきれるほど悟った大人じゃないんだよ、俺は」
いや、きっと千年生きたって諦めきれるはずはない。
「リュイに、心の底から安心して笑ってほしいんだ。俺の隣で」
それは現実のこの国を生きる限り不可能な夢想。しかし、譲ることの出来ない生まれてくる前から変わらぬ一つの想い。
「俺の見つけてきたもうひとつの道、聞いてくれる?」
穏やかな声色で提案するライゼに、リュイは少し戸惑うように頷いた。
「以前、リュイをスメラギに亡命させる時に手助けをしてくれた彼らに、援助を求めようと思う。彼らは獣人に対しての悪意が無い。味方が一人も居ない街中でリュイ一人にするよりはよっぽど安全なはずだ。ただ、無条件ってわけにはいかないだろう。彼らの活動からして場合によっては、今とは違う意味で危険もあるかもしれない。でも……いや、選ぶのはリュイだ。自由であるということは自分に関わる選択に責任が生まれるということでもある」
それを選び取るための力をリュイはすでに持っている。ライゼは心底からの信頼を込めて、リュイに問いかける。
「リュイは、どうしたい?」
長い沈黙があった。いや、実際にはそれほどの時は経っていないのかもしれない。
自分を信じるライゼに応えようと真剣に考えるリュイの瞳には、ライゼと同じ灯が燈っていた。
やがて顔を上げたリュイの顔からは不安の色は消えて、自らの選択に対する自信を表す笑みが浮かぶ。
「……いつか壊れてしまうってわかってる未来に進むのなんて、嫌だよ。何があるかわからなくても、僕とライゼが望む夢が叶えられるかもしれないのならそっちを選ぶ。僕の望む未来はライゼと一緒だよ。ライゼとずっと、ずっと一緒にいること。悲しいことがあっても、辛いことがあっても、怒っても、泣いても、最後にはライゼの隣で笑うことだよ」
楽観ではない。依存ではない。明確に告げられた少年の意志。
ありがとう、と、それ以上に紡ぐ言葉を青年は持たなかった。代わりに彼は、一粒だけ涙を零した。言葉で伝えきれない喜びを表現するために。
繋がれた手は離れない。あの遅い春の雪が降る夜とは違う。
二人は手を繋いだまま、冬の夜、小さくとも強く、自ら輝く星の照らす道を選んだ。