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SEELE-久遠の約束-  作者: 綾瀬 綾
第四章
18/34

 この町に滞在するようになってどれくらい経っただろうか。

 もう大分長い間いるような気がしたが、数えてみるとまだたったの六日程しか経っていなかった。

 その間に失敗してしまった回数は三回。初日は疲労のせいだろうと自分でも思えたが昨日今日と続けてしまうと幼い頃に抜けたはずの癖が戻ってしまったのではないかと心配になってくる。窓の外に干した敷布が風でちらつくとまるで未熟さを嗤われているような気分になってくるので雨戸はしっかりと閉じてあった。

 理由はそれだけではないが。

 ライゼの置いていった懐中時計はようやく夕刻を示し始めていた。

 いつもならそろそろ読書に目が疲れてきて窓の外を眺めながら人間観察を始める時刻だがそうはせず、開いた本を膝に置いたまま頬杖を付き、じわじわと刻まれていく時計の針をただ睨む。そうしていても焦った針が進むのを急いでくれる訳ではないがそうせずにはいられなかった。

 ライゼ、まだかなあ……。

 読書に対する集中力はすでに切れていた。今読んでいるのは外国語の本で何頁おきかに訳が挟まっているのだが、肝心な所の訳が抜けていたり内容が殊更に難しいというのも手伝って、ここ最近はずっとそんな日々が続いている。

 あれからというもの、独りでいることへの不安はリュイの中で爆発的に膨らんでいた。むしろ、いままでどうして平気でいられたのかが不思議なほどに。

 あの男がもたらした情報はこの町に仕事があったことも含めて、真実だったからだ。

 町の様子を窺えたのは初日だけだが、包帯に小さく開けた隙間から兵装の厳つい人間が緑の目をぎらつかせて獣人の情報を集めているのや、それに隠れるようにして覚えのある雰囲気を纏った男達が何事か相談しているのが見えた。

 いつそれらに見付かってしまってもおかしくない。事実を目にしてしまえば、気にするなという方が無理だった。無論、本当に意識してしまうと今すぐ寝台の下にでも隠れてしまいたくなる程怖かったので気を紛らわせるに努めているが。

 あるいは、例の失敗はそのせいなのかもしれない。恐怖が悪夢を見せて悪夢がそうさせる。夢の内容は覚えていないが理由も無くやってしまうのでは本当に小さな子供と変わらないので、この場合は仕方無いのだとも思える。……それでも、大人なら飛び起きるぐらいで済みそうなものだけれど。

 そんなことを考えていたら気分がどんよりと曇ってきた。リュイは思考を止めてまた時計を眺めるのに集中しはじめる。そこに、こんこんと扉を叩く音がした。

 心臓が飛び出す思いでそちらを振り向く。ライゼが帰ってくる時間にはまだ早い。緊張にリュイは血の気を引かせるが、すぐにその正体はわかった。

「あたしだよ」

 朗らかな女性の声。安堵と共にうんざりとしたような溜息が出た。またか、と思ったのだ。

 声の主はこの宿の女将。これで本日二回目、六日間連続でこの部屋を訪れて来たことになる。

 リュイは音を立てないように本を片付けそろりと扉に近付くとそっと耳を当てた。他に人間がいないか確かめているのだ。

 どうやら女将はおせっかいな性質の人間のようで、盲目の病にかかっている(という設定の)リュイを不憫に思っているらしく、こうして度々訪れては世話を焼こうとするのだ。

 正直、いい迷惑だ、とリュイは思っていた。本当なら気の良い人間なのだろうが、それを受け入れる余裕は今の彼には無い。

 先程は寝ているふりをしてやり過ごしたが今度はどうするべきか、と考えあぐねていると、再び戸を叩かれた。仕方無く、リュイは鍵を開ける。

「おはよう。あんたずっと寝ていたのかい? もう夕方だよ」

 女将がにっこりと笑った、かどうかはわからない。相手がライゼ以外の人間なので目は閉じていた。

 リュイは不機嫌な顔を隠さず小さく頷くと、今度はわかりやすく声に出して笑う。

「まぁ、寝るくらいしかする事も無いよねぇ。ちょっと入れとくれ」

 女将は言うと、リュイが許可する前にずかずかと中へ入り込んだ。彼女は別に盲目ではないのだが、リュイの嫌そうな顔は見えていないらしい。

「おや、また雨戸が閉めっぱなし、真っ暗じゃないか。今日もいい天気だったんだよ? いくら目が見えないからってお日様の光は浴びさせないと駄目だってあんたのお兄ちゃんに言っといたんだけどねぇ」

 確かに部屋は暗かった。昼間は灯りをつけないので閉め切った部屋は隙間から僅かに差し込む程度の光りしか無く、人間にしたら十分真っ暗の域に入る。ライゼが開けないで仕事に行ったのは、リュイが嫌がったからだ。本を読むときは遠慮せずランプに火を入れるように言われていたが、面倒なので点けずにいた。

 がたがたと乱暴に雨戸を引く音がして、瞼の前が俄かに明るくなる。西日が入り込んできたのだ。

「あぁ、ちゃんと乾いてるよ。今日は二人で一つの寝台を使わずに済みそうだねえ。今晩はちゃんと寝る前に済ませるんだよ。お兄ちゃんは仕事で疲れてるんだからあんまり迷惑かけちゃあ駄目さね。この敷布だってあんたがいつ汚してもいいように買い取ってくれたんだから」

 大きなお世話だ、それぐらいわかってる、小さな子供に聞かせるみたいに言うな。一体このおばさんは僕のことを何歳くらいに見ているのだろう?言いたいことは色々あったが返事はしないままむすりとした顔をしてやった。

「……わかってるよ」

 ただ、ライゼに迷惑をかけてはいけない、という点には同意だったので不機嫌顔に付け足すようにぽつりと呟いた。女将は聞こえていないようで鼻歌混じりに暢気に他の洗濯物を取り込んでいる。

 すると突然、窓の外から何かが弾ける様な音が響き、続いて人々の悲鳴がわっと飛び込んできた。

「な、なに……?」

「大変!」

 驚くリュイを背に、女将は窓から身を乗り出す。その体の端からこっそりと薄目を開けて覗き込み、リュイは息を呑んだ。

 炸裂音を耳にした人々が何事かと驚いて足を止める中で、通りの向こうから何者かが人波を掻き分け駆けてくる。後ろに引き連れているのは憲兵だった。追われているのだ。憲兵が叫んだ。

「逃がすな! 獣人だ!」

 その声に人々の目の色が変わった。ある者は親の仇を見るような目で、ある者は財宝を目の前にしたような目で逃亡者に踊りかかる。

 しかし逃亡者はそれらを驚異的な身のこなしで全て受け流すように避けると、跳躍、一足跳びで通りに立ち並ぶ店舗の屋根に飛び移った。間違いなく人間業ではない。

「……っ!」

 リュイは向かいの屋根に立つ逃亡者と目が合った。驚いたことにその目の色は緑。しかし風に翻ったローブから一瞬だけちらりと黄色い尾が覗く。獣のそれを身に宿す逃亡者は混血人だった。

 ぱん!ぱん!と、またけたたましい音が空気を裂く。その正体は、憲兵が逃亡者に向かって突き出す小型の兵器、銃だ。女将が顔を背け見えないとわかっていながらもリュイの目を覆う傍ら、リュイはその指の隙間からほとんど目を見開いて、食い入るように一部始終を捉えていた。

 銃声の響くのと同時に獣人は逃亡者が腕を突き出す。銃弾は過たず逃亡者に襲い掛かった。しかしその体に当たると思われたその刹那、不可視の壁が逃亡者と銃弾を阻み炸裂。小爆発の後、逃亡者はなんと、無傷のまま煙の中から現れた。

 リュイの中を謎の感覚が貫いた。その感覚には覚えがなかったが、血が、魂が呼びかけるような不可思議な感覚だった。

 魔術を使うぞ!そんな声が人込みの中から聞こえる。

 逃亡者はそれを一瞥すると、ちらりとリュイの方に目線を移し会釈してから身を翻しその場を逃げ去った、ように見えた。リュイはただ呆然とそれを見送る。

 間を置いて女将がリュイを窓から引き離すように体をずらした。

 女将の腰に巻いた白いエプロンが見えてようやく自分が目を開けていたことに気付き慌てて閉じる。

「……大丈夫だよ。何もなかったからね」

 女将は恐怖を押し隠したような声でリュイの肩を軽く叩いた。

「全くあの憲兵、街中で銃をぶっ放すなんて……獣人だろうと人間だろうと人が死ぬような所は、あたしゃ見たくないよ」

 女将は小声でぶつぶつと呟きながらリュイを寝台に座らせると、取り込んだ洗濯物を片付け部屋を出て行いく。

 リュイはしばらくの間、開け放たれたままの窓を眺めながら汗ばむ手を無意識に握っていた。

 くっしゅん、と盛大なくしゃみをして、ようやく我に還る。身じろぎした瞬間、何かに当たった。

 先程片付けたあの小難しい本だった。何気なく頁を捲るとある言葉が目に入る。

 それからリュイは取り付かれたようにその本に噛り付いた。


 


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