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SEELE-久遠の約束-  作者: 綾瀬 綾
第三章
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 宿屋に入り、目隠しを取ると一番最初に目をやるのは窓の外。

 これはライゼと出会って色々な町を回るようになってからリュイについた習慣のひとつだった。

 それに気付いているらしいライゼがいつもより少しだけ造りの良い部屋の大きな窓を開けると、リュイは早速その縁から顔を出して外の町を覗き込む。

 フルーヴェルの町並みは、有体にいうと雑多。帝都とまではいかないまでも大きな町のようで、通りには色々な店が立ち並び、人々は賑やかに声を掛け合て商売に励んでいる。

 リュイは文字を読むことは出来ないが、店のひとつひとつにはちゃんと絵のついた看板があり、それを見れば何の商売をしている店なのか大体知ることが出来る、ということを知っていた。

「洋服屋、小麦屋、あれは……馬屋?」

「惜しい。あれは鍛冶屋だな」

 リュイの指差したのは馬蹄を象った木の看板。

 フルーヴェルは交易の要となる都市なので、鍛冶屋の仕事は武具の生産よりも蹄鉄修理の方が多いからあの看板なのだとライゼが付け加える。

「んん、ややこしいね……」

「そうだな、そのうち文字の読み書きも教えてやるよ」

「本当!?」

 前々から知りたいと思っていたことなのでリュイは思わずライゼを見上げて声を上げる。

「そのうちじゃなくて、今がいい!」

「今?」

 ライゼは少し困ったように笑うと、リュイの頭を軽く撫でて言った。

「それはちょっと難しいな。あとで町に行ったときに必要なものを買ってきてやるから、それからにしよう」

「そっか~。わかった、絶対ね」

 今は無理、と言われてリュイは少々消沈しつつ素直に頷き、再び町に目を戻す。

「ライゼ、ライゼ。あれは?」

「ん? あれは氷菓子の屋台だな」

「やたい?」

「簡単に言うと、大きな店を構えられない商人が道端に出す移動式の小さい店だな」

 そう言われて見ると、成る程、商品を載せている台には車輪が付いていて少々派手に飾られているが農民などが干草を載せて牽いているそれとよく似ている。

 周囲に立ち並んでいる店のように大量に物を売り置きは出来ないが、食べ物を売るくらいならあれくらいで丁度良いのだという。

「へぇ~じゃあ氷菓子って?」

「牛乳で作る冷たいお菓子だよ。食べたこと無いか?」

「無ーい。甘い? 美味しい?」

 お菓子という言葉に口元が綻ぶ。

 昔貴族の家で食べさせられたことがあって、それ以来密かに好物であったのだ。

 この間シュウに貰った飴は久々に口にした菓子だったが、悲しさで味がわからなかったので勿体無いことをしたと実は少し後悔していた。

 氷菓子というのははじめて聞くものなので期待を抑えきれないような顔をしてしまっていたのだろう。ライゼが苦笑気味に問い返す。

「なんだ、リュイは甘いものが好きなのか?」

 そこでようやくしまったと思ってから、恥らうような気持ちで頷いた。

 お菓子を好むのは女子供だと聞いたことがあったので、子供っぽいと思われるのが嫌だったのだ。

 しかしライゼは何故か嬉しそうに笑うとそうかそうかと一人頷く。

 そして窓の側から離れるとごそごそと荷物を弄り始めた。

「よし、じゃあ俺は買出しに行ってくるから、それまで留守番していてくれるか?」

「うん」

 ひとつ失敗してしまったのでリュイは聞き分けよく返事をする。

 本当は少し寂しかったが必要なことなので我が儘は言えない。

 てきぱきと支度をし、財布をもったライゼはふと寝台の隣に立ってから頭を掻いた。

 ライゼが小机に置こうとして躊躇ったのは金貨の入った小さな袋。

 リュイはそれを見てくすくすと笑ってしまった。

「それはもういらないよ」

 言ってやるとライゼは少々ばつの悪そうに笑って見せ、リュイの頭をやや乱暴に撫でるのだった。


 



 一人で留守番をするのは確かに嬉しい時間では無いのだが、退屈だというわけでもない。

 この世に生を受けて約十四年、旅を始めて半年以上が経過したリュイだが、心行くまで町や物を観察する機会を得たのはまだ、一週間にも満たなかった。

 何を見ても新鮮、と言っても過言ではない彼にかかれば室内を見回すだけでもあれこれと発見があるし、窓の外などは本当にずっと眺めていても飽きないものだった。

 何か見慣れないものを見掛けてはあれは何だろうと想像を膨らませ、後でライゼに聞いてみようと楽しみを残しておくのは十分にリュイの心を満たす。

 じっくりと外の世界を観察を堪能していると日が暮れる頃には宿の真下にライゼの姿が見え、犬の仔のように扉の前に張り付いた。

「お帰りー!」

 扉が開くなりそのがっしりとした腰に抱きついて出迎えると、ライゼは一瞬驚いたように硬直し、それからゆっくりリュイの髪を梳く。

「ただいま。いい子にしてたか?」

 腰にしがみついたままうんうんと頷くとライゼは嬉しそうに口元を綻ばせ、少しだけ体を離させて何かを差し出した。

「じゃあ、お土産」

 それは、焼き菓子の上に丸い白と茶色の塊の乗った何か……昼に見た、屋台の氷菓子だった。

 窓からライゼを見付けた時はそれを持っていることに気付かなかったので、リュイは言葉を無くして差し出されたそれを見つめてしまった。

「食べて、いいの……?」

「勿論。そのために買ってきたんだから」

 きょとんとした顔で当たり前のことを聞くリュイにライゼは苦笑し、その手を取って氷菓子を持たせる。

「わ」

「落とすなよ」

 不安定に丸いクリームの塊が重なる氷菓子は思ったよりも重さがあった。

 うっかりすると滑り落ちてしまいそうで思わずクリームの部分を指で支えると、ひやりと氷のように指先を刺激する。

「つめた……」

 指の熱で溶けたそれを舐めてみるとほのかな甘さが口に広がり、自然と笑みが零れてしまった。

 それを見ていたライゼもつられたように目を細める。

「ほら、早く食べないと溶けて無くなっちゃうぞ」

「えっ」

 からかう様にライゼに言われ慌てて上段の茶色い方に齧りつくと、頭のきんとする様な感覚の後にさっきよりも確かな甘味が舌に溶け込んできた。

「どうだ? 味の感想は」

「おいしい!」

 と、美味く発音できたかは怪しい。

 そう尋ねられたときには既に二口目、三口目、と口一杯に氷菓子を頬張っていたからだ。

 ライゼは満足そうに頷いてからリュイの背中を軽く押し座って食べるよう促す。

 寝台に座らされたリュイは口の周りにクリームをべたべたとつけ夢中で氷菓子の味を楽しんだ。

 それを横目に隣の寝台でライゼは出掛けよりも大分膨らんだ背嚢を降ろすと、中身を広げ始める。

 買い込んだ食料袋や日用品の後に取り出したのは何冊かの本と、小さな布袋。

「それは?」

 一番下の香ばしい焼き菓子をぱりぱりと齧りながらリュイが首を傾げると、ライゼはぎょっとしたような顔で振り返った。

「もう食べ終わったのか」

 その声はちょっと呆れ気味だ。

「うん。すっごく美味しかった」

 リュイが照れ笑いを浮かべると、ライゼは小さく笑ってその口の周りのクリームをふき取る。

 そうしてから寝台に重ねた本から何か一冊を取り上げて見せた。

「文字の勉強をしたいんだろ?」

 何気なく手渡された文字の練習用らしい白い紙の束をまじまじと眺めてリュイは目を丸くする。

 氷菓子に、文字の勉強。

 ライゼは僕の望みを本当に、全部叶えようとしてくれているんだ。

 これ以上の嬉しさは一体どうやって表現したらいいんだろう。

 わからなかったがとりあえず、ライゼの背中に抱きついておくことにした。

 何故か涙が零れそうになってしまうのを隠すために。


 



 布袋に入っていたのは、細い木炭の芯が入った木製の筆。

 ざらざらとした白い紙にそれを滑らせてみると黒く真っ直ぐな線が伸びる。

「筆の持ち方は、こう」

「んん、持ちにくいよ?」

 全ての指を使って握り締めていた筆をライゼに持ち直させてもらうと、なんだかしっくりとこない感覚にリュイは眉を寄せる。

「この手じゃ書きにくいだろ?」

 肩を竦めるライゼにそういうものかと指導を受けつつ自分で持ち直してみるがどうにも慣れなかった。

 それよりも、早く文字を書いてみたい。

 逸るような気持ちでライゼの顔を見上げると、ライゼはその意に気付いてくれたらしく軽く思案するように黙り込んでからおもむろに自分の筆を持ち出し、さらさらと紙の上に何かを書きだす。

「それじゃあまずは、自分の名前を書いてごらん」

 言いながら指差すそれは、どうやら『リュイ』と書いてあるらしい。

 見慣れてはいるが全く意味の分らなかったその記号の羅列をリュイは真剣に覗き込む。

 思ったより簡単そうだ。

 内心ほっとしながら、ライゼの綺麗な手本を睨みつつかりかりと筆を走らせてみた。

 白い紙の上に黒い芯が擦れて、一文字ずつ文字が出来上がってゆく。

 程無くして、自らの手で記した自分の名前が紙上に浮かび上がった。

「書けた!」

 なかなか手に馴染んでくれない筆のせいでライゼのものと比べるとどうにも不恰好だが、それでも初めて文字を書いたということに感激して、誇らしげな気持ちでライゼを見上げるリュイ。

「うん、上手い上手い」

 ライゼも満面の笑みを浮かべて髪をくしゃくしゃと撫でてくれたので、気を良くしながら続けていくつも同じように自分の名前を並べてみせる。

 ずっと、ずっとやってみたいと思っていたことが出来た。僕にも、出来た。

 胸が痛いくらいに高鳴っているのを感じる。

「あっ! ねえ、じゃあ『ライゼ』は?」

 ライゼの書いた手本の周りを取り囲むように何度も同じ文字を書き続けてから、ようやく再びライゼを見上げる。

 その様子を楽しそうに見つめていたライゼは紙を差し出されると紙の空いていた部分に『ライゼ』と書き加えた。

「ラ、イ……ゼ」

 また新しく出てきた文字に混じって自分の名前と同じ文字もいくつかあることをちょっと喜ばしく思いながら、たどたどしくも気持ち丁寧に、ライゼの名前を記す。

 ライゼ、リュイ。

 同じ紙の上に自分の書いた二人の名前が並んだ時、ついに涙が零れてしまった。

「あ、れ……」

 ぽたぽたと紙の上に雫が落ち、慌てて目元を服の袖で覆う。

「どうした?」

 ライゼが心配そうに覗き込んでくるので平気な顔をしたいのに、視界が歪んでどうしようもない。

「ち、違う、嬉しいんだよ? すごく、すごく……」

「……うん」

 それを聞いてライゼは安心したように優しく微笑むと、そっとリュイの背に腕を回し宥めるように撫で付けた。

「嬉しい時も涙が出るんだよ、リュイ」

「そうな、の?」

「嬉し涙って言うんだ」

 静かに諭すように言うライゼに、リュイは涙を拭い続けながら頷く。

「ありがと、ライゼ」

 突然泣き出してしまった気恥ずかしさで、それだけ言うのが精一杯だった。

 それでもライゼはそれに応えるように額に優しく口付けをしてくれた。

 その夜、リュイはとうとう眠気に抗えず机の上に額をぶつけてしまうまで、筆を握ったまま離さなかった。

 真っ白な紙が真っ黒になるまで二人の名前を刻み続けた。





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