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唯。~2026春  新入社員はお兄ちゃんと同居~

これは前回までのあらすじ的物語「私の変なお兄ちゃん/重機動戦器の夢」と「転生勇者の相棒は戦闘メイド」の総集編です。

これは回想。2026年春。私の総集編。

卒園式の人混みに紛れながら、私は自分の不運を淡々と数えていた。


来月から社会人だというのに、入居予定だったアパートの契約手続きに不手際があり、一ヶ月も入居が先送りになったのだ。


途方に暮れていると、兄が淡々と告げた。


「分かった。タイムリミットは三日だな。ちょっとアパート狭いかもしれんが、大丈夫だよな、ユイ」


兄のアパートは一人暮らし用には広く、居間と寝室、キッチン、バスルームがきちんと区切られ、さらに一角には兄の趣味で集めた模型や工具、パーツの棚がずらりと並んでいた。


まるで小規模な工作室のような空間で、シンナーと油の匂いが鼻を突いた。


狭くはないが、生活空間は模型や工具に占領され、ぎゅうぎゅうだった。


「ユイ、この箱は……」


段ボールを開けようとする私に、兄は慌てて手を伸ばす。


中身は下着だった。


思わず押さえると、兄は苦笑いを漏らすだけで、朝食の準備に取り掛かった。


ジュジュッと油の音。


トースターのチーン。


レモネードの甘酸っぱい香り。


目玉焼き二枚とチーズトーストがテーブルに並ぶ。


「お前、よく熱出してたしな。無理すんなよ」


その言葉に甘えつつ、私は広めのベッドに座る。


ここで一ヶ月、兄のアパートで居候することになるのだ。


入社式の数日後、強制参加の親睦会が開かれた。


私は新人として目立たぬよう、大皿を取り分け、飲み物が切れれば店員を呼び、空気を読みながら立ち回る。


ファミレスで培った接客スキルが、ここで役立った。


そこで出会ったのが、転職組の先輩だ。


飲み会の席で「俺は勇者だ」と冗談めかして言い、前職の苦労を誇るようにビールを煽る。


最初は適当におだてていた私も、数時間後には千鳥足になった勇者様をタクシーに押し込み、疲れ果てた自分も兄のアパートに戻った。


帰宅すると、兄が冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して渡してくれる。


ドライヤーの音を聞きながら、私は広いベッドに倒れ込み、今日の出来事を思い返した。


翌朝、少し早めに出社すると、オフィスには既にコーヒーの香りが漂っていた。


先輩は平然とデスクに座っている。


外回りに同行することになり、道中、私は素朴な疑問を口にした。


「あの……利益の薄い案件が、なんで一等地で発生してるんですか?」


彼は肩をすくめ、「仕事は数と足だ」と答えた。


理屈は軽いが、実務は重い。


取引先の威圧的な担当者にも臆せず切り込む先輩を、私はただ追いかけるしかなかった。


初出張前夜、私は兄のアパートで資料を確認していた。


兄は夕飯を作りながら、ぽつりと呟く。


「……繊細なんだよ。高スペックだからって、負荷かけすぎんなよな」


紙袋からプレゼン資料を取り出し、手際よく整理する。


兄は黙々と手を動かし、弁当を小さく添えてくれた。


広めのアパートの一角で、私たちは静かな時間を共有していた。


出張先の工場は、天井から吊るされた蛍光灯の光が金属の光沢を冷たく照らし、空気は油と熱気で満ちていた。


契約交渉は相手側の「誠意を見せろ」という冷たい一言で停滞する。


議論は堂々巡りで、会議室の空気が重く沈む。


私は資料を手に、唾を飲み込むだけだった。


先輩は平然と席を立ち、持参した試作品を手にする。


誰も声をかけない。


しかし場が一気に静まり返る。


先輩は言葉を発さず、外装を分解し始めた。


ねじを外す音。


金属が擦れる音。


パーツが床に落ちる小さな音。


異様な緊張感がさらに増幅される。


工場側の担当者たちは、最初は冷ややかな目で見ていたが、やがて息を呑み、視線が釘付けになった。


先輩の手は迷いなく、試作品の内部構造を次々に明らかにしていく。


黙々とした行動の中に、「これが実力だ」という圧があり、場の空気は完全に先輩に支配されていた。


「……いいんですか、こんなやり方で」


思わず私は声を出した。


先輩はちらりとこちらを見て、微かに口角を上げる。


「喋ってないだろ? 約束は守った」


言葉は軽い。しかしその所作が契約成立への決定打となった。


相手側は息を整え、ようやく折れた。


私の胸の鼓動はまだ高く、目の前で展開された圧倒的な行動力に、出た言葉は。


「雑。」


数日後、社内で社長交代と先輩の昇進が発表される。


営業法務課長――立派な肩書きだが、決定の裏にあった緊張と緻密な駆け引きは、誰にも見えない。


5月の連休、新しいアパートへの引越しの日が来た。


兄のアパートは荷物が運び出され、広さが際立つ。


模型や工具の多くがなくなり、床に残る跡が、一ヶ月の居候生活の証となる。


「お兄ちゃん、一ヶ月……ありがとね」


少し照れくさく言うと、兄は無言で頷き、テレビのアニメをちらりと見て、ぼそりと漏らした。


「巣立っていくか。寂しくなるな」


私は新しい鍵を握りしめ、新居のドアを開ける。


社会人生活も、生活も、ここから本番だ。


兄のアパートでの経験、勇者のような先輩との日々、どちらも私の一歩を支える糧となる。


「唯。~2026春  新入社員は勇者と出張~」おわり



これは前日譚です。次からが本編になります。

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