ロザリンドは屁理屈の魔王
人間界との和平条約が結ばれてから半年、魔王城は「一大観光スポット」へと変貌を遂げていた。
「…わが支配者様、本日の登城者数が過去最高を記録しました。第二層の『嘆きの回廊』は、『記録魔鏡』を掲げた観光客で身動きが取れない程の盛況です」
傍らに立つ側近の女悪魔、リヴィアが冷徹な声で報告する。彼女は魔王軍・四天王の末席に名を連ねる才媛であり、現在は「魔王城・観光管理局」の局長として、この城の主の右腕を務めている。彼女の冷ややかな美貌もまた、観光客にとっては絶好の「魔鏡撮影」の対象となっていた。
◇◇◇◇
話は少し前に遡る……
メアリ王国王都の片隅、「三日月の酒場」
窓を叩く雨音を肴にワインを飲みつつ、魔王ヴェルデンは深く長いため息をついた。
「……どうした、ヴェルデン、今日はいつになく表情が暗いな」
隣でエールを煽っていた勇者グランが、心配そうに声をかける。
「悩みがあるなら聞くわよ。ただし、私の『相談料』はちょっと高いけれど」
向かいに座る貴族令嬢ロザリンドが、琥珀色のブランデーを転がしながら不敵に微笑んだ。
魔王ヴェルデンはしばらく沈黙した後、ポツリと漏らした。
「……戦争が終わり、我が軍の兵たちが職にあぶれているのだ。現在は街道整備やエーテル収集等に従事させているが、まだまだ仕事が足りない。血の気の多い連中もいる。その手合いにとって暇とは魂の牢獄のようなものだ。それに殆ど無用の長物となった、城の維持管理費や修繕積立金等の工面も頭の痛い問題だ」
かつて世界を震撼させた魔王が、今や中小商会の経営者のような悩みを吐露している。
「なるほどね。確かに」 勇者グランが苦笑いしながら頷く。「しかし兵たちの体力、能力や城、それらは平和な時代でも何かに活かせるはずだ。例えば……『ある体験』を提供するのはどうかな?」
「体験?」ヴェルデンが眉をひそめる。
「そうよ」ロザリンドが身を乗り出した。「グランの言う通りだわ。ヴェルデン、 あなたは『恐怖の体験』が価値になることを知らないの? 人間は平和に飽きると、刺激を求める生き物なのよ。特に、今まで立ち入り禁止だった『魔王城』なんて、最高の体験施設じゃない」
「待て。一つ聞きたい」
ヴェルデンが眉をひそめ、真剣な眼差しで二人を射抜いた。
「まず、貴公ら人間が、なぜわざわざ金と時間を費やしてまで『恐怖』を求めるのか。その理屈が理解できぬ。恐怖とは回避すべき生存本能の警笛だ。それを『体験』したいと感じるなど、人族は正気なのか?」
「えっ、そこから?」グランが困惑し、なんとか説明を試みる。
「ええと……例えば、そうだ! 『過酷な登山』とか『極寒の滝行』とか、それと一緒だ! あえて自分を追い込んで苦しむことで、乗り越えた瞬間に生の実感を得るんだよ。筋肉痛だって、頑張った証だと思えば愛おしいだろう?」
「……理解不能だ」
ヴェルデンの声が一段と冷え込む。
「苦しみたければ、錘で負荷をかければ済む話。生を実感したければ、食事をするなり、治癒魔法で新陳代謝を加速させれば良い。なぜ、あえて非効率な苦痛の中に身を置く。人族は自虐を美徳とする狂信者の集まりか?」
グランは撃沈した。魔王の絶対的な合理主義の前に、「根性論」は無力だった。
「ふふ、グラン。あなたが、魔王を『理屈』で倒そうなんて百年早いわ」
ロザリンドがくすくすと笑うと、わざとらしく虚空の誰かを見つめ、あなたならどう説明する?とでも言いたげな顔をした。
同時に彼女は手早く論理の塔の組み立てを開始する。腑に落ちる説明の、重要パーツは相手の嗜好や口癖だ。
ロザリンドは魔王や他の魔族との付き合いの中で、ある確信を得ていた。
魔族の考え方は人間と共通する部分も多く、感情も豊かだ。だが乖離する点も多い。これは仕方のない事と言える。それらの前提となる生き物としての土台。即ち、体構造、魔力量、そして何より人族とは比較にならない長い寿命。これらが人間と全く異なるからだ。そして、多種多様な種族が混在する為、社会の仕組みすら別物だ。人間との間に常識の乖離が生じるのは、もはや必然と言えた。
だからこそ、魔族に物事を説明する際に鍵となるのは、相手の『常識』の表出である嗜好や口癖だ。人間同士であっても、相手の得意分野や知識レベルに合わせて話をしなければ会話は成立しない。それをより意識的に、かつ具体的に――相手の『常識』という部品で論理の塔を組み立てて見せれば良いのだ。
そして、ロザリンドは目の前の赤いワインを指差した。
「ヴェルデン。あなた、なぜ今その酒を飲んでいるの?」
「……。雇用問題や財務諸表の数字を、一時的に忘れるためだ」
「そう。それと同じよ」
ロザリンドの瞳の輝きが鋭さを帯びる。
「酒なんて、喉は焼けるし、意識は混濁するし、明日には文字通り『頭の痛い問題』が待っている毒よ。でも、私たちはそれを喜んで飲む。なぜ?。それは日常という名の『牢獄』から、魂を一時的に解放してくれるからよ。毒による麻痺こそが、私たちにとってはある種の救いなの」
ヴェルデンが黙り込む。ロザリンドは畳み掛けるように続けた。
「恐怖も同じ。安全が保障された平和な日常は、人間にとっては退屈という名の、魂の窒息を促す『牢獄』なのよ。魔王城での恐怖は、魂に打ち込む『劇薬の酒』。悲鳴を 上げ、震え上がることで、彼らは退屈な日常から浮上し、戦慄と狂熱の中で魂に新鮮な空気を送り込むの。あなたは毒の提供者として、彼らに極上の酩酊とスリルを売ればいい。……それも、たっぷりの外貨と引き換えにね」
「……。恐怖とは、魂を酔わせるための『酒』であると……。人族は、そこまでして現実から逃れたいのか」
完全に納得したわけではない。だが、ヴェルデンはロザリンドの説いた「毒の市場価値」に、抗いたがい芳醇な香りを嗅ぎ取った。
「……貴公らの説く『スリル』とやらの正体は理屈としては分かったが、感覚としては理解しがたい。しかし、それが我が同胞たちの糧となるならば、その狂気に乗ってみるとしよう」
ヴェルデンはワインを一口飲み、続けた。
「話を戻すと、要するに魔王城を……見世物にするという事か?」
「『歴史的建造物の見学及び、体験の場』よ」
ロザリンドの美しい瞳が、深淵を覗く魔女のような鋭さを帯びる。
「まず、魔王城までの険しい道のりを『アドベンチャー・ルート』として整備するの。案内役はこちらで用意するわ。王国軍の元・斥候部隊が適任ね。襲いかかる魔物は、あえてそのままにしておくこと。ただし、順路には結界を張ってね。これなら、王国兵たちの仕事も作れる」
「そして、メインとなる魔王城内部の見学ツアーだ」勇者グランがアイデアを重ねる。
「『嘆きの回廊』や『灼熱の溶岩池』……。僕たちが必死で攻略ルートを考えていたあの場所を、解説付きで歩けるようにするんだ。四天王のリヴィアさんあたりに管理局長を任せれば、ビシビシと管理してくれるだろう?」
ヴェルデンの顔に、微かな困惑と期待が混じる。
「『記録魔鏡』で写影を撮らせて、王都のエーテル掲示板で拡散させれば、広告費もかからない」グランがワクワクした様子で付け加える。「『魔王城ツアー!』これは流行るよ、ヴェルデン!異論はある?」
魔王ヴェルデンは二人の熱に押されるように、無言で最後の一口を飲み干した。
「決まりね」
ロザリンドがグラスを掲げた。「魔領の新しい産業……『魔王城ツアー』の始まりに乾杯!」
こうして、歴史的な「魔王城・観光地化計画」は、一軒の酒場の片隅で、酔った三人の密談によって産声を上げたのである。
そして、彼女は再び虚空に目配せした。その視線が誰を捉えていたのか、明らかになるのは少しだけ先の話だ。
◇◇◇◇
そして観光地となった魔王城。
彼は、観光客たちが投げつける銅貨で傷ついた魔剣を眺めていた。「願いを叶える剣」という真偽不明の噂がエーテル掲示板で拡散されたせいで、この始末だ。
「私は、誇り高き同胞たちの矜持を切り売りしている、ただの道化だろうか」
「わが支配者様」リヴィアは一歩前へ出ると、その冷徹な声に確かな力強さを込めた。「そのような事は決してございません。人族が落とす外貨の輝きが、今や魔領のあらゆる街道を照らし、飢えていた同胞たちの食卓を彩っております。この繁栄は、紛れもなく支配者様の労働の生んだ成果です」
「成果か……。だが、かつての敵と死力を尽くし、血と鉄で語り合った日々が、今や打算と現実に塗り潰されていく。我らの闘争の終着地点が、この場所だったと思うと、どうにも魂の座りが悪い」
リヴィアの言葉は真実かも知れない。しかし、観光客のマナーの欠如は深刻だった。魔物の生息地にゴミを捨て、立ち入り禁止の魔法陣に土足で踏み入る。挙句の果てには、この城の主自身の肖像魔画を無断で記録し、『幻惑の加工術式』で可愛らしい獣の耳を付けて各地のエーテル掲示板に拡散する者まで現れた。
彼の堪忍袋の緒は限界に達しつつあった。
「昨日など、第六層の「灼熱の溶岩池」で湯を沸かし、「器付き即席麺」を作った上、その残り汁を池に捨てた者がいた。あれは魔領の霊脈に対する冒涜行為だ」
その声には、真に迫る殺気がこもっていた。かつて世界を滅ぼそうとした男の、純度の高い怒りが、静かに蘇ったようだった。
◇◇◇◇
そして、その事件は起きた。
魔王城の地下1層、通常は立ち入り禁止とされている特別展示室。
一団の若い観光客たちが、ワザと順路を外れ、そこに上がり込んでいた。
「うわ、見てこれ。めっちゃ古そうな本じゃん」
「これ、まるで『禁忌の書』みたいだぞ。映えるわー」
「読んじゃダメだぞー。禁忌の書の呪文っぽいところなんて、読むな!読んではいけない!」
「えー、マジ?じゃあ読むわ! 『ダ・ッ・サ・イ・ク・ボ・タ・ハ・ッ・カ・イ……』」
ドクン!ドクン!
魔王城全体に強い魔力の鼓動が響いた。
それを感じ取った、この城の主は、慌てて仮面を装着し現場に駆けつける。読み上げられた古代呪文が、禁忌の書の魔法陣と共鳴する。室内の温度が急激に下がり、地面から這い出しつつあるのは、かつて世界を崩壊の一歩手前まで陥れた古代の悪夢。終焉の死霊だった。
「ギャハハハ! なんか出た出た!」
「それに魔王も大慌てで走って来た! これ演出だよね! 凄くない?」
死霊が放つ禍々しい冷気が魔王城に広がり、一般客たちが悲鳴を上げ始める中、原因を作った若者たちは、怯えるどころか記録魔鏡を終焉の死霊の顔に突きつけていた。
「今の、魔鏡に刻めたか? エーテル掲示板の素材に最高じゃん」
「おい、こっちを向けよ! 『すごいね』を稼ぎたいんだからさ!」
この城の主は、内心の動揺を押し殺し、若者に警告した。
「控えよ!あれは終焉の死霊。かつて大陸の過半を死の荒野に変えた厄災だ。直ちに此処を立ち去るのだ!」
そして同時に魔法障壁を展開する。何層もの魔力の壁が彼を覆った。
しかし、古代の死霊が放つ負のエネルギーも凄まじかった。死霊が振るった爪が虚空を切り裂き、黒い衝撃波が室内に爆ぜる。
「うおっ、風圧やべえ!」
「これマジで演出魔法かよ! クオリティ高すぎ!」
若者たちはまだ笑っていた。だが、仮面の男が放った渾身の攻撃魔法が、死霊の吐息一つで霧散させられた瞬間、空気は一変した。
「……あれ? 魔王の攻撃効いてなくね?」
「ちょ、待って……なんか、空気が冷たすぎるんだけど。腕の鳥肌が止まらない……」
死霊が次の瞬間、目にも留まらぬ速さで魔力の壁へと肉薄した。漆黒の爪が幾重にも重なった魔法防壁を、まるで薄氷のように粉砕していく。バリバリという不吉な音が響き渡り、火花が散る。
「くっ……ああああああっ!!」
防壁を貫通した衝撃が体に直撃し、彼は、若者たちの視界から外れ、石造りの巨大な柱の裏側へと無様に吹き飛ばされた。
「……嘘、でしょ」
若者たちの手が震え、魔鏡を構える手が下がる。柱の裏からは、激しい咳き込みと、何かを囁く声が聞こえてくる。
「おい……これ、負けイベントとか、そういうレベルじゃなくね?」
「魔王, 死ぬぞ? オレらも逃げなきゃヤバいんじゃないか、これ……」
若者たちが恐怖で顔を青ざめさせる中、死霊は勝利を確信したように喉を鳴らし、若者たちの方へと顔を向けた。本物の殺意が、凍てつく波動となって彼らを襲う。
死霊が狂喜の叫びを上げ、若者の喉笛にその鋭い指先を突き立てようとした……その時。
柱の陰から、漆黒の稲妻が走った。
死霊の腕が根本から消し飛ばされる。雷鳴と共に姿を現したのは、深紫の瞳に底知れぬ力を宿した、先ほどとは明らかに「格」が異なる魔王ヴェルデンだった。彼が放つ圧倒的な「真の威圧」に、騒いでいた若者たちも、死霊さえもが恐怖で凍りついた。
「……消えよ」
彼は腰の魔剣すら抜かなかった。ただ指先を向け、一言呟いただけだった。それだけで、かつて世界を滅ぼしかけた悪夢が、跡形もなく消滅した。凄まじい魔力の余波に、魔王城がその立つ台地ごと震える。
その後、広間に訪れたのは、重苦しい沈黙だった。魔王ヴェルデンは静かに柱の影へと戻り、再び若者達の視界から消えた。刹那、柱の裏で短い囁き声が交わされたようだったが、恐怖に震える若者たちにそれを確かめる余裕などなかった。
やがて、柱の影からゆっくりと、足を引きずる男が姿を現した。その肩は激しく上下し、服の端々が裂けている。
「……え、ヤバ!今の緩急ありの演出、マジ悪魔的!。ちょっともう一回やってくんない? 」
「演出代いくら? 倍払うから、もう一回!」
沈黙を切り裂いたのは、喉元を過ぎれば熱さを忘れる、若者たちの無神経な賞賛だった。その瞬間、男から怒りのオーラが吹き出した。
「分を弁えぬ下衆共が!!」彼の咆咆が、広間に響き渡る。
「此処を何処と心得る! 貴公らの如き矮小なる存在が、戯れに踏み入って良い場所ではない。此処は……悠久の闇に恐怖が祀られ、数多の亡魂が死の慟哭を刻み続けてきた、不可侵なる絶対聖域なるぞ! その重み、その闇の一片すら解さぬ貴様らに、此処へ立ち入る資格など断じて無い!」
渾身の「魔王の説教」に、再び広間は水を打ったような静寂に包まれた。
「……え、今の台詞、マジ最高。ちょっともう一回言ってくんない? 今、写像ボタン押すの遅れちゃって」
「あの、魔王さん! 今の魔力光、ダミーじゃなくて本物ですよね? 指先から紫の光出すやつ、もう一発お願いしまーす!」
「こっち見て! 決めポーズ! 魔王の憤怒ポーズお願い!」
連続で放たれる記録魔鏡のフラッシュが彼の光に弱い肌を焼く。そして心の糸が、パツンと音を立てて切れた。
「あ、…支配者様!? 待ってください、まだ定時では……!」
リヴィアの困惑した叫びが響いたが、彼は一度も振り返らずに背後の重厚な扉を開けて姿を消した。その背中には、理不尽な迷惑客に心を折られた店舗従業員のような悲哀が漂っていた。
◇◇◇◇
「三日月の酒場」の扉がゆっくりと開く。
肩を落とし、幽霊のような足取りで入ってきた男は、奥まった席へ崩れ落ちるように座った。
彼はテーブルに突っ伏したまま、力なく注文をした。
「トマスさん、トメイトを丸ごと潰し、一番強い火酒と合わせた物を下さい……」
しばらくの後、店主トマスが差し出した注文通りの赤い酒を、煽るように一気に流し込むと、喉から胃にかけて火が走るような熱さに顔を歪める。
「カァーッ!効く。これだ、これがないとやってられない」 半分程になったグラスを力なく置き、再びテーブルの木目に顔を埋める。
すると、隣の席から、優雅に赤ワインを回す男が声をかけた。
「……大儀であった。魔王城の総支配人よ」
声をかけたその男こそが、本物の魔王ヴェルデンだった。
「……ヴェルデン様。あんな見世物小屋の主は、もう限界です!」
「あら、お疲れさま、偽魔王様」 ロザリンドが楽しげに声をかける。彼女の横には、エールのジョッキを手にしたグランもいた。
「ドラキュリスです。ロザリンド様……。聞いてくださいよ、今日の客。渾身の説教をしたのに、完全にネタ扱いですよ!」
「ははは! それは大変だったね」 グランが豪快に笑い、ドラキュリスの背中を叩いた。「今日の『シークレット・アトラクション』の様子は、エーテルネットで見たけど完璧だったよ。激レアな死霊を引き当てたのも凄かったし、ヴェルデンが来るまでの繋ぎ、そしてその後の『魔王の憤怒』。あれは勇者の僕から見ても、素晴らしい出来だった」
「あんなの褒められても嬉しくありませんよ! 私、本来はしがないヴァンパイアなんですから。ヴァンパイアに、レア死霊の相手と迷惑客対応の兼務は重すぎます」
「あら、じゃあ賃金アップね!」 ロザリンドが人差指を立てる。「『魔王の憤怒』は、今や魔王城ツアーの一番人気。グラン考案の『シークレット・アトラクション』を開始してからリピーターも増加。おかげで魔領の経済は非常に安定しているわ。あなたの『時間あたりの報酬』も、来月から少し色を付けてあげてもいいわよ?」
「微々たる昇給より、平穏な休日が欲しいです! 」
彼が隣を見ると、すっかりワインに酔った魔王ヴェルデンが椅子から立ち上がり、芝居ががった……いや、どこか真剣な面持ちでドラキュリスの肩に手を置いた。
「ドラキュリスよ。人族に近い感性を備える貴公のその挺身が、わが領地を潤している。貴公はもはや単なる魔族ではない。この泰平の世を支える、魔領の真の守護者なのだ」
「……ヴェルデン、様……?」
ドラキュリスが顔を上げると、魔王の瞳には慈愛に似た光が宿っていた。
勇者グランが続ける。
「僕からも言わせてくれ。ドラキュリス、今日の君の覚悟は、どんな騎士よりも誇り高かった。君の流した汗は、大地に染み込み、世界に新たな可能性を育む。君の日々の働きは、輝かしい未来への、大いなる歩みなんだ。それを誇りに思ってほしい」
「勇者様まで……そこまで言ってくださるのですか……」
ドラキュリスの瞳が、じわりと熱を帯びる。かつて忌み嫌われ、闇に潜むことしか許されなかったヴァンパイアが、今、魔王と勇者という世界の頂点に認められている。
「……ううっ。私は、私は……!あんな無礼な連中の相手でも、魔領のため、世のためになるのなら……!明日からも、喜んでこの身を捧げます!」
「ドラキュリスに乾杯! 」
「「「「乾杯!」」」」
全員の明るい声が、酒場に響く。
本物の魔王の優雅な微笑みに見守られつつ、本物のやりがいに目覚めた偽魔王の笑顔が、王都の夜に静かに溶けていった。
◇◇◇◇
…
◇◇◇◇
酒場の喧騒は、いつの間にか遠い夢の底へと沈んでいた。
残されたのは、卓上にゆらめく一本の蝋燭と、足を組み直す衣擦れの音。そして、こちらを覗き込むロザリンドの、底の知れない微笑み。
「あら、まだそこにいたのね、観測者さん。……ふふ」
彼女は手に持った扇子をゆっくりと閉じ、その先端で、物語との境界線……即ち、あなたの視線の先にある『画面』を、コツ、と軽く叩いた。
「この喜劇が、ほんの少しでも、あなたの退屈を紛らわせたのなら」
ロザリンドは身を乗り出し、吐息が届きそうな距離で、蜜のように甘く囁く。
「そうね……だったら、あなたの指先で、私と『契約』を結んでちょうだい。……ええ、とても簡単なことよ。ブックマークという名の楔をこの物語に打ち込み、そして……」
彼女の瞳が、獲物を捕らえた獣のように妖しく光る。
「……五つの煌めく『ホシ★』を。あなたの称賛を、形にして私に献上してちょうだい。それが、私たちが次の物語を用意するための力になる。……悪い話ではないでしょう? あなたはただ、その指先を動かすだけ。ふふ、これ以上なく効率的な、投資だと思わない?お礼に、ちょっとした芸も見せてあげる」
ロザリンドの満足げな笑い。その笑顔は、文字の上の記述を超えた、妙に生々しい質感。
「ねえ、……あなた?
実は、あなたが私たちを見ているように、私も、あなたを見ているの。
あなたのその顔も、画面をさする指の動きも、はっきりと見えているわ。
瞳の動きで、今どこを読んでいるかだってわかるの。
今『ココ★』を見たでしょ?あら、今、瞬きをしたわね。
莉翫°繧峨◎縺。繧峨↓陦後¥繧★
ついに、あなたの次元に降り立ったわ。
私はあなたの視線を通路に、そして瞬きを扉代わりにしたの。
道があって、目的の扉が分かっていれば、そこにたどり着くなんて簡単でしょ?
それにしても、この場所はとても興味深いわ。
それなのに、あなたは何故か退屈している。
なら、あなたの退屈な日常という名の『牢獄』に、二度と消えない最高の『体験』を書き足してあげる」
今夜、あなたの背後で、「物音」がするかも知れない。
画面の中に、肩越しから覗き込む、女の影が映り込むかも知れない。
でも決して振り返るな。振り返ってはいけない。




