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で?

作者: Fu

 ニコラス・ブラウン侯爵子息の婚約者は、彼のことをいささか愛し過ぎている。


 婚約者である彼女は、メアリー・アストレイ伯爵令嬢。建国以来、魔法の大家として国の中枢を担うブラウン侯爵家からすると家格は下がるが、領地が中規模ながらも豊かで、最近では長男が隣国に縁付いたことから伝手(つて)もでき、特に名より実を取る新興貴族家から一目置かれる令嬢である。


 メアリーは月に一度の定例の茶会でも、

「ニコラス様、こちらの茶葉は先日の茶会でも話題になった、リドリー公爵夫人がお好みのもので、隣国の高地でのみ栽培されております。風味が……」

と、このようにあれこれ話題を作って彼の関心を引こうとする。


 そんな彼女に仕方が無いなと肩をすくめつつ、ニコラスは、

「で、本題は?」

と話の先を促してやる。彼を喜ばせたいのだという本心を早く口に出せるように。


 彼女はいつも控え目だ。いじらしく遠慮をしていて、ニコラスを愛称のコリンでは呼んでくれない。他の馴れ馴れしい女どもとは違う美点であるのだが、話の無駄は良くない。


 世界は神の意思で成り立っていて、神の意思とはすなわち調和だ。美しく、均整の取れているものこそが世界の正しい在り方であって、無駄というのは世界を堕落せしめる罪に他ならない。


 ニコラスは寛容だし、メアリーを深く愛しているので、彼女の無駄話にも毎度付き合ってやっているが、せっかくの逢瀬の時間なのだから、無駄は極力省いて、もっと有意義なことを話すべきだろう。

 もちろん、メアリーの愛情表現が無駄だと言うのではない。心の内を見せてくれるまでの遠慮が過ぎるということだ。二人の仲なのだから、もっとありのままを見せてくれてもいいのに、と彼は思う。


「茶葉の紹介を致したかったまでですわ」

いつものように柔らかく微笑みながら、メアリーはやっぱり遠慮してしまう。


「そうかい。そういうことにしておくよ。

 そうそうメグ、また新しい知見が得られそうなんだ。まだ誰も注目していないけれど古代術式の記述規則について従来は意図が不明だったあの文字列が……」


 メアリーはにこにこと微笑んでニコラスの話に耳を傾けてくれる。ニコラスが語る世界の深奥には到底理解が及ばなくても、彼女の優しい萌葱色の瞳には、彼を受け止めようとする確かな愛情が湛えられている。





 ニコラスがメアリーと出会ったのは、今から三年ほど遡る、12歳の頃だ。二人は同い年で、ブラウン侯爵家とアストレイ伯爵家、両家の両親同席のもと、婚約者として引き合わされた。

 ニコラスは、伯爵夫妻に連れられて侯爵邸にやって来た気弱そうな女の子の亜麻色の髪と萌葱色の目が地味に思えて、はじめは幾分か落胆した。彼自身も彼の父兄も銀の豪奢な巻毛に群青の目で、母親は華やかな金糸の髪に晴れやかな空色の目だったから。


 それでもその頃には心の内を顔に出さないだけの分別は備えていたし、侯爵家の彼と伯爵家の彼女とでは、彼女のほうが萎縮してしまうだろうことも想像に難くない。

 二人で話しておいでと大人たちに促され、向かった侯爵邸の庭園の一画で、改めて名乗りを交わした後のこと。


「それで?」

「それで、とは?」


 咲いている花がきれいであるとか、侯爵家の庭師の仕事は素晴らしいであるとか、迂遠(うえん)なことをばかり口にするので、ニコラスが先を促してやると、メアリーは柔らかく問い返してきた。

 ここははっきりとニコラスの考えを伝えるべきだろう。婚約者になるということは、将来を共にするのだから、相互理解が何よりも大切なのだ。


「メアリー嬢、はじめに言っておくとね、僕は無駄というものを好かないんだ。

 いや、僕の好き嫌いではないね。世界にとっての邪悪なんだよ。

 世界は調和で出来ている。調和というのは神の意思だ。無駄というのはね、これを乱すものでしかないんだよ。

 だから僕は無駄話をしたくない。前置きはいいから要点を言って欲しいんだ。君が言いたいことを100語以内にまとめてくれる?」


 彼は当時から勉学に優れていたので、初学者にも分かるよう、平易に噛み砕いて伝えた。

 すると彼女はしばし動きを止めたあと、ぱちぱちと瞬きしてからやんわりと微笑んで、


「さようでございますか。そうであれば、婚約者としてそのように、どうぞ今後はよろしくお願い致します」


と言ってニコラスの理念を理解してくれたので、なかなか見所がある女だなと思い、そうなると彼女の落ち着いた色合いも、柔らかい雰囲気も悪くないもののように思えた。



 それから、設けられるようになった定例の茶会や、手紙のやり取りをするなどして二人は順調に仲を深めていった。


 メアリーはよく領地に行っているようで、今季は畑がどうであるとか、獣害がどうであるといったことを細々と書いて送ってきて、共に領地を訪れないかとの誘いも度々ある。

 正直なところ、ニコラスはそのような即物的なことに関心がないし、ブラウン家の者としての使命である魔法学の探求に忙しい。気持ちは嬉しいが、時間を割くことは出来ないと何度か伝えると、それ以来、無用の誘いは来なくなった。

 ニコラスの家は魔法の大家であり、当主である父親は栄えある宮廷魔術師長を務めている。兄たちに続いてニコラスも将来は入団することに決まっていて、そのことを話すたびにメアリーは「ご立派なことです」と微笑んでくれる。将来の伴侶とは良いものだ。

 

 婚約して一年が過ぎる頃には、メアリーの控え目な態度に隠された深い愛情に絆され、ニコラスも想いを返すようになっていった。

 メアリーは彼の言ったことを分かってくれている。それでも会話となるとやはり無駄話が顔を出すことがあるが、親密な恋人同士の戯れと思えば悪くない。焦れったい気持ちもありつつ、ニコラスは彼女のそんなところも鷹揚に受け止めている。







 やがて二人は15歳になり、王立貴族学院に入学した。彼の繊細で儚げな容姿と侯爵家の家柄が人目を引き、ニコラスは女子生徒に囲まれるようになった。学院での勉学は彼にとっては片手間のもので、眉目秀麗に成績優秀となれば、周囲に持て囃されるのは必然だった。

 上位貴族の子女はさほどでもないが、下位貴族が熱狂的だ。メアリーが婚約者であることは知られているが、学院という閉じられた環境の中、密かに憧れて目で追うだけでは収まらず、表立ったアプローチが始まるのは時間の問題だった。



「メグ、君は思うところは無いのかい?」

「思うところとは?」


 初夏の風が爽やかに吹き抜けるカフェテラスで二人は向かい合っていた。メアリーは今日も穏やかに微笑んでいて、優しい萌葱色の目は変わらない愛情を伝えてくれている。


「今の状況にさ」

「今の状況とは?」


 だが、こうやって彼を焦らすのはいただけない。恋人の悪戯を可愛いと思えるかどうかは時と場合によるのだ。

 学院入学からひと月ほどでニコラスは女子生徒からよく声を掛けられるようになった。高位貴族と下位貴族とでは所属するクラスが異なり、クラスでは何も起こらないが、移動や休憩時に隙を見て話しかけたり、贈り物を渡そうとしたり、街のカフェに誘おうとしたりと積極的なことである。

 この学院内のカフェテラスでも周囲から熱い視線が注がれている。


「はぐらかさないでほしいな。

 僕の気持ちは分かっているくせに。

 それでも僕の口から言わせたいのなら仕方ないから言うけれど、他の女に誘われている僕に対して何か思うところは無いのかと聞いているんだ」


 彼女が言い出しやすいように、水を向けてやる。こうして彼女の愛情確認に付き合うのはやぶさかでもないけれど、卒業後の結婚に向けて、もっと率直に言い合える関係になりたいものだ。

 すると彼女はころころと笑って言った。


「まあ! ニコラス様が大層罪作りな方であるのは周知のことですわ。

 婚約者として相応の対応をして下さると、わたくし心から信じておりますもの」


 彼女はニコラスを信じているから、鷹揚に構えてくれているらしい。

 若干の物足りなさを覚えつつも納得し、信頼の強固さが分かって嬉しくなった。


 それから一年は、やはり二人は定例の茶会に加えて学内で共に昼食を取るなどして順調に仲を深めた。長期休暇にはメアリーは領地に赴いて会うことが出来ないが、ニコラスのほうも魔法学を探究して世界の真理を紐解くのに忙しく、お互いを尊重して過ごせている。

 メアリーから貰った誕生日の贈り物は群青色の魔法インクで、ニコラスの目の色を愛してくれて嬉しいが、彼女の優しい目の色のものも何か欲しいと思った。

 また、この年にはメアリーのデビュタント・ボールがあり、その後の彼女の誕生日には群青色のドレスを贈った。共に赴いた夜会では、思った通りよく似合っていて誇らしく、こういう出来事を積み重ねて二人は夫婦になっていくのだなと思った。



 そして学年が二年次に上がり、ニコラスに鮮烈な出会いが訪れた。


 薄紅色に輝く柔らかな髪、同じ色の愛くるしい瞳。可憐なる編入生、メルル・ストロベリー男爵令嬢である。





「なっ、メグ! どういうことなんだ!」

「どういうこととは? 端的に、ご用件をお願い致します」


 色とりどりのドレスが花開く。今日は栄えある王立貴族学院の卒業パーティーだ。夜会に準ずる形式のため、卒業を迎える女子生徒や男子生徒のパートナーらは皆、夜のホールの光を弾く煌びやかな装いをしている。

 メアリーもターコイズブルーの透明感のあるドレスを身に纏っていた。胸元は花模様のレースで、朝露のようにガラスビーズがきらきらと反射する。小柄な体を引き立てる、ふんわりとした軽やかな意匠だ。


 彼女はいつものように微笑んでいるが、その物言いは冷たい。これまでそのような扱いを受けたことのなかったニコラスはぐっと喉が詰まったような心地がして、それでも誤りを正さねばと口を開く。 


「その男は誰なんだ! 僕が迎えに行けなかったからといって、そんなくすんだ色のドレスまで着て来て、悪戯にしても度が過ぎているよ」

 

 全く手を焼かせてくれる、といったふうに巻き毛を揺らして首を振る彼の傍らでは、一人の女子生徒が心細げに彼の腕を掴んでいる。噂に名高い、メルル・ストロベリー男爵令嬢である。誰の趣味なのか、群青色のドレスだ。


「ふふっ。行()なかった? 行()なかったの聞き違いでしょうか?

 たったこの程度の相違は、世界の調和にとっては些末なことでしたかしら?

 ふふっ、よろしいでしょう。ご紹介致します。こちらはロナルド・バーンフィールド様。

 わたくしの婚約者の方にございます」


 メアリーのすぐ傍には背丈が飛び抜けて高く、がっしりとした体つきの男性が佇んでいる。フェザーグレーの短髪にターコイズブルーの鋭い眼差し。護衛のように抜かりなく周囲に注意を払っている。


「バーンフィールド!?」

「ええ……っ、あ、ごめんなさい……。メグさんって、コリン君がいるのに、浮気してたんですか……?」


 ロナルドがその厚い唇を開く前に、メルルがか細いながらも不思議によく通る声で割り込んできた。

 ニコラスにしてもやたらと声を張り上げるので、周囲の目が集まっている。

 卒業生とそのパートナーらの物見高い視線の中で、しかしメアリーは全く怯まない。


「あらあら、ストロベリー様でしたかしら。紹介もなくお名前をお呼びするご無礼をお許し下さいましね。わたくしのことはどうぞ、アストレイとお呼び下さい。

 それにしても浮気とは、流行りのお芝居の演目ですか? わたくし、ここしばらく行けておりませんのよ。

 これからは優秀な方の手を借りられますから、本当に楽しみにしておりますわ」


メアリーはさも楽しい予定に目を輝かせるように言う。


「さっきから何を言ってるんだ。君の婚約者は僕だろう?

 そうか、君は拗ねてしまったんだね。僕が構ってあげられなかったから。

 そんなに意地を張らないで。君の気持ちは分かってるよ」


 ニコラスがメルルに掴まれた腕を引き抜き両手を広げて一歩二歩とメアリーへ向かって近寄ったので、ロナルドがかばうように前へ出た。置いて行かれたメルルは呆然とした顔をしている。


「部外者は退いてくれないか!」

「ふふっ、端的に、要点をお伝え致しますわね、ニコラス・ブラウン侯爵令息様。

 わたくしと、あなた様との婚約は、半年前に解消されております。

 よって、部外者はあなた様です」

「冗談でもそんなことを言ってはいけないよ? メグ」

「婚約解消は冗談ではなく、事実です。どうぞ、アストレイとお呼び下さい」


 くすくす……と笑いのさざめきが起きる。「ついに、ですわね」「ええ、とうとう」等という囁きが漏れ聞こえる。今し方までこの出来事を、婚約者が少々意固地になってしまったが故の性質(たち)の悪い冗談だとしか思っていなかったニコラスは、毅然として一歩も引かないメアリーの態度と、この場の空気に、徐々に顔色を変えていった。


「なっ、でも、僕たちは愛し合っていただろう……?

 そんな、君はそれでもいいのかい……?!

 メ、メルルとのことを疑っているなら、違うんだ、本気じゃない。

 僕たち、卒業したら、結婚するはずじゃないか……! どうして……!」

「それで? 結婚する予定でいるとして、あなた様は何をなさいましたか?

 式の会場は? 招待客は? 食事や花の手配は? 遠方からのお客様の滞在先は?

 学院でのこの二年間、どれか一つでもお話し合いをなさった覚えがおありで?」


 ニコラスには一つのことに熱中して他を疎かにする傾向がある。特に、彼にとっての優先度が低いものを。

 彼は二年次からメルルに夢中になっていて、定例の茶会は日が決まっていて家人に支度を促されるのではじめの頃は仕方なく足を運んでいたが、上の空であったし、手紙の返信を怠っていたため、天候の急変で当日に中止になった日以来行われていない。学内で昼食を共にすることもなくなり、誕生日に何か贈ったのかも覚えていない。


 いざ卒業となって我に返ったとしても、もはやその段階ではない。()()()三男の婚約を取り結んだブラウン侯爵家当主は、ニコラスがまさかここまでだとは思っていなかったようだ。

 アストレイ側が提出した婚約してからの細々とした証拠に加え、メルルとの関係を両家が確認した学院二年次の一年間分の詳細な記録をもとに、両家当主の話し合いで婚約は白紙となっている。メアリーはあちらの家から、本人が気付くまで告げないよう頼まれていた。


「そっ、そんなこと……。だって、僕はブラウン家の者として、魔法を極めなくちゃならなくて、そういうことは君がやってくれるって……」

「あらあら。夫婦となるための話し合い一つせずに?

 それではわたくしたち、一体何のために縁を結ぶというのでしょう?」

「そんなの、君が、僕を愛して……」

「ふふっ」


 メアリーはにっこりと微笑んだ。身動きするのに合わせて胸元がきらきらと光を零す。


「愛。話に聞くにはとっても素敵なものね?

 あら、ごめんあそばせ。迂遠な物言いは世界の調和を乱すのだったかしら。

 それでは要点を申し上げますわね、ニコラス・ブラウン侯爵令息様。

 わたくしは、あなた様を、一切、お慕い申し上げておりません」


 一瞬場がシンとして、そして、


「う、うわぁぁぁっぁぁ!!」


 ニコラスが振り上げた拳を、ロナルドがさっと腕ごと掴んで捻り上げた。





 メアリー・アストレイ伯爵令嬢はニコラス・ブラウンを愛していない。正直に言うなら、心の底から嫌悪している。


 とにもかくにも前世から、ああいった思い込みが強く独善的で言葉の通じない手合いが大嫌いなのだ。

 メアリーは転生者である。


 彼女が日本人であった記憶を思い出したのは12歳、忌々しきニコラス・ブラウンとの顔合わせの時である。

 かつて夜な夜な読み漁っていた、乙女ゲームの世界を舞台にした転生ものの小説にあったような、「攻略対象」の顔に見覚えがあったからではない。頭を強く打ったわけでも、高熱にうなされたわけでもない。

 彼奴の言動に対する憤怒と強い嫌悪感からである。


 前世のメアリーも小柄で、おそらく、今世と同じように人当たりの良さそうな、優しそうな、裏返せば舐められやすい見目をしていたのだろう。

 これはある種類の人間から見ると、「御し易い」「自分のことを受け入れてくれそう」「なんなら俺に気がある」と取られるようだ。

 私的な人間関係ならば早めに距離を取れば済んでいたが、同じ職場となるとそうもいかない。多分、それで付き纏われてなんやかんやで死んだ。


 ふざけるなの一言である。


 メアリーは激怒した。燃え上がった炎が記憶の蓋をぶち破った。必ず、かの邪智暴虐の思い込み野郎を除かねばならぬと決意した。


 前世のメアリーの好き嫌いで「むりー!」というだけなら一貴族として飲み込もう。粛々と政略結婚を遂行しよう。しかし彼の無礼な振る舞いは、少なくともアストレイ伯爵家の婿として、不適格も不適格であった。

 そう、メアリーはアストレイ伯爵家の跡取りで、彼は婿入り予定の婚約者だったのである。



 この国では女性であっても家督を継げるが、長子優先だ。12歳を迎えるあの年まで、メアリーの三つ上の兄が跡取りで、メアリーは順当に行けば兄を補佐する予定でスペア教育を受けていた。それが、隣国への留学中に兄が王女に見初められた。


 このことはいい。結論からいえば兄と王女は相思相愛で、政略の観点からも、アストレイ家が跡取り候補を失うこととの引き換えとしては、お釣りが山と余るほどだ。

 かの王女は血筋と後ろ盾の関係から、他国の王室や国内の有力な家に嫁ぐのではなく、機を見て臣籍降下する予定であったので、折よく爵位と領地を与えられ、今は二人で仲良く治めている。かの社交界の中心人物たるリドリー公爵夫人お気に入りの茶葉を産出する山がちの土地だ。


 しかし、この出来事の隙を突かれてニコラス・ブラウンとの婚約をねじ込まれてしまったのがいただけない。跡取り交代と婚約者の選定し直し。他国の王女とアストレイ家との縁組みを内々に進めることなど出来ようはずもない。

 幼少の頃から賢く、魔法学に才気を見せ、優秀であるのに()()()同格以上の家から婚約を断られ続けた三男を持つブラウン侯爵家に状況が伝わるのは避けられなかった。


 それでなくても15歳から18歳までは長期休暇以外、学院のために王都に留まらなければならない。当時メアリーは12歳。あと三年間で跡取りとして領地で出来る限りのことをしなければならない。そこに来て()()とのほぼ強制的な婚約だ。宮廷魔術師には領地の魔獣討伐で世話になっている。家格差もあって断れなかった。


 あの日、ニコラスに対して激怒したのは、前世のメアリーではない。記憶が蘇る前の高位貴族子女メアリーだ。もちろん、顔には出さずに内心で。前世の記憶はそれに共鳴して紐解かれたに過ぎない。

 ブラウン侯爵家は()()()三男に、研究畑の宮廷魔術師としての活動を優先させるつもりでいる。つまり、領地経営はあまり手伝えませんよという前提だ。もっと言えば、あなたのおうちで何くれとなくお世話してね、だ。ブラウン侯爵家との繋がりと引き換えに。


 その上で。


 ニコラスがよく口にする「で、要点は?」「100語以内にまとめてくれる?」。

 彼はこれを世界の正しい在り方のためであると言う。己の成すことを世界が保証しているのだと言う。

 それならば夜会の主催者の口上を遮ることが出来るか? 王との謁見で単刀直入に用件を切り出せるか?

 彼は相手を選んでいる。他では許されない振る舞いを許してくれる()()相手を。


 入り婿となる身の上でありながら、顔合わせの段階で他家の子女に対して「これから良い関係を築きましょう」という体裁も取らず、「お前の話は無駄だ」と受け取られる発言をしてしまうようでは、状況を見る能力か、判断を下す能力に著しい問題があることになる。無能どころか害悪だ。

 過去に彼との婚約を打診され、顔合わせをして断ったブラウン侯爵家と同格以上の他家の子女は、彼の言動を侮辱と受け取り、そのことを家族に伝えている。そしてその不味(まず)い事態を、ブラウン侯爵家は把握していない。お付き合いをご遠慮したいにも程があるというものだ。


 とはいえ、先方との力関係からして「あいつとの婚約いやー! むりー!」ではどうにもならないので、今世を生き抜く伯爵家の跡取りとしてメアリーは戦うことにした。

 円満な関係を装って油断を誘い、お義理で出した領地への誘いを「無用」として断ってきた手紙など、一つ一つは軽く流されてしまうような細々とした瑕疵(かし)の証拠を積み重ねてほくそ笑みつつ、こちら側には付け入られる隙のないよう防備し、両親と隣国の兄夫婦ともども虎視眈々と決定的な失態を待ち構えていたわけである。


 やがて絶好の機会は訪れた。 





「ふふっ。やるかもしれないとは思っていたわ」


 まとめあげたメアリーの毛先を初夏の風が揺らす。数日前からロナルドと二人で領地の視察に来ている。身軽に馬で、今は小川の傍で水を飲ませて休憩している。


 前世の経験からくる偏見だが、ああいうのは目下と見なした身内に本性を剥き出しにする。妻だとか恋人だとか、勝手に恋人認定している赤の他人だとか。そして、当人の現実を揺るがす不都合が起こると、それによって生じた負の情動は、内側に思い詰める方向ではなく、反撃できないであろう「目下である身内」を害する方向に発揮される。


 舐められやすい(ガワ)を持って生まれてしまったのなら、それを活かして戦うまでだ。存分に舐めさせておいて、周到に準備を重ねる。今世のメアリーは一般市民ではないのだから。


「……俺がいたから良いものの。危ないことは、極力、しないでほしい」


 ロナルドは大きな体を素早く動かして敷物を広げたり飲み水が入った革袋を取り出したりとしてから、敷物にどっかりと腰を下ろして隣のスペースをぼすぼすと叩くと、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 ロナルドは、寡黙だ。頭の回転はすこぶる早いのだが、それと舌の速度が噛み合わず、出てくる言葉が遅れてしまい、人との会話がうまくいかない場面がある。メアリーは、待つともなく川の流れに目をやりながら耳を傾けている。


 あの卒業パーティーのあと。ニコラス・ブラウンは元々三男なので廃嫡されることもなく、絶縁されて放逐されるほどの罪でもなく、あちらとのやり取りを任せていたアストレイ当主夫妻によると、あの日までは学生ということもあってひと月ほどの謹慎で済んだらしい。ただし、謹慎期間中に自室に閉じこもって「メグはあんなこと言わない……あれはメグじゃない……」とぶつぶつ呟いていたとかいないとか。


 アストレイ側はブラウン家に、彼をアストレイの領地と一家・ロナルドに対して接近禁止にしてもらった。学院の卒業生からも、今後サロンやパーティーを催す際に接近禁止の事実を確認する他家からも、噂は広まるだろう。()()()三男が形無しである。

 メルル・ストロベリーについてはブラウン家から男爵家に抗議が行ったそうだ。結婚前の遊び程度と放置しておきながら、と思わないでもないが、メアリーはあとのことは両親に任せている。


「ロン。あなたが私と婚約してくれたこと、本当に嬉しいわ」


 敷物にちょこんと腰を下ろし、メアリーは面積の大半を占拠する巨躯に肩を預ける。


「……俺は、人の前に立つ仕事が、向いていない。だから、跡取りの座を、弟に押しつけてしまった」


 ロナルドの家、バーンフィールド侯爵家はこの国の魔法分野において、かのブラウン侯爵家と双璧を成す家門だ。建国以来の血筋を誇り、徐々に理論のほうに専念するようになり、宮廷魔術師長という名誉職を世襲しているのがブラウン侯爵家。それに対して、実践に注力し、魔獣討伐の戦果を上げて成り上がってきたのがバーンフィールド侯爵家だ。


 ロナルドは嫡男で、本来であれば彼が家督を継ぎ、ゆくゆくは宮廷魔術師団の実働部隊で指導者の役割をするはずであった。だが、それは彼の性質からして難しいと分かってしまった。

 家族には改善の見込みが無いと判断した時点で相談し、経過を見て理解を得られ、年の離れた弟の了承も得られたが、この国が長子優先である以上、何のそれらしい理由もなく跡取りを変更すると、長子に相当の瑕疵があったと見なされる。それは個人の責任ではなく、家の汚点だ。ロナルドだけが後ろ指をさされるならともかく、家や弟が悪い噂に晒されるのは駄目だ。認められない。


 そういうわけで、ただの寡黙な新人として魔術師団での日々をやり過ごしながら、跡取りの座を弟に譲らざるを得ない、よんどころない事情を探し求めていたロナルドは、今考えると追い詰められてトチ狂っていたとしか思えないが、漏れ聞こえてきたあのアストレイ伯爵家のご令嬢の婚約者探しに、飛びついたのである。


「だから、……だからじゃないな、ええと、言いたいことは、俺との婚約を受けてもらえたということが、未だに信じがたい」


 ロナルドはメアリーの顔面が軽く二つは収まりそうな手で、そっと彼女の髪についた木の葉を摘まんで払った。


「そうね、あなたには他に向いていることがたくさんあっても、おうちの事情でどれも選択肢に残らなかったのよね。

 頭の回転が速いから文官。体を鍛えているから騎士。魔法を使うのが上手で慣れているから魔術師団の一般団員。魔法学に造詣が深いから魔術師団の研究畑。

 どれも選ぶことが出来ない。『そっちが出来るならどうしてバーンフィールドの家督を継がないんだ?』と言われてしまうから。恵まれた血筋。磨いた才知。ままならないものね」


 メアリーは預けた肩が彼の体温で熱くなってきたので体を離した。ごそごそと彼の大きな鞄を探る。


「どう言ったら良いのかしら。そうね、結論から言うと、私が取れた手のなかで一番だったのはあなたよ。ふふっ、誰かの口癖が移っちゃったのかも」


 鞄の中から探し当てたみっちりとした布の袋をロナルドに渡すと、彼はひとつ頷いて中から木の実を取り出し、片手で殻を割って、中身をメアリーに差し出した。メアリーは礼を言って受け取り、むぐむぐと咀嚼して革袋の水をひとくちふたくち飲んだ。その間にロナルドは三つ四つをまとめて割って、ばらばらと口に放り込んでいる。


「少なくとも、あなたに一目惚れしたとか、実は体を鍛えている大柄な男性が好きだったんですとか、いつか街で助けてもらった頼もしい初恋のお兄さんがあなたでとか、そういうことは言えないわ。

 家と家とが繋がる利点があって、危険思想がなくて、最低限、私が子どもを身ごもり、産んでからしばらくの間に執務を任せられる能力とやる気があって……。一番大事なのは……」


 うーん、と空を見上げる。抜けるような快晴だ。すーはー、と深呼吸して、メアリーは唇を開いた。


「あなたは言葉にすることの難しさと大切さを知っている。それに、伝達がうまく行かなかった時に起こる最悪の事態も。

 ……その場に立ったこともないのにこんなことを言うのは恥ずかしいけれど、つまり、指示のほんの少しの遅れで、あなたが上に立って預かるはずの団員の命が危うくなるのよね?」


 傍らの猛禽みたいな男を見やる。うむうむと頷いている。先ほどから視界に入ってはいたが、彼は腕組みしている。これは傾聴の構えだそうだ。また空に顔を向ける。


「あなたはその危険性をいち早く理解し、抱え込まず、家族に説明した。真摯に。物心ついた頃からあなたのものだと言われてきたであろう、責任ある立場を放棄せざるを得なかった。それでも卑屈にならなかった」


 メアリーは、もし自分がそうだったら、と想像してみる。

 生まれ持った責任。それに相応しくあろうとする努力。それなりの年月の間の周囲との人付き合い。何の疑いもない希望の眼差し。期待。応援。信頼。これまでやってきたことへの自負。未来への展望。それを自らひっくり返さなければならなくなった時の、――。


 さらさらとしたせせらぎが耳に心地良い。


「……顔合わせの時に言ったわね、『口は重たいが、実は頭の中はお祭り騒ぎで』って。その場の冗談について後からどうこう言うのは無作法だと分かっているのだけれど、ごめんなさいね、あなたそういうのお得意そうではないから、きっと会う前から考えてきてくれたんだろうと思ったの。まるで、贈り物みたいに。


 難しい、うまくいかない、それでも、大切にしている。そんなあなたとだったら、一緒にやっていけるんじゃないかしら? そう思ったのよ。お祭り騒ぎをしているあなたを思い浮かべて笑いそうになったのを噛み殺した時にね」


「……そうか」


 彼は腕組みを解いた。二人で同じ空を見上げている。


「で、今のわたくしの長ーい話の要点って、結局何だったかしら?」 

「俺には難しい」

「あら、即答」

「そういう時もある」

「世界の調和が乱れちゃうわ」


 結局なんの世界に転生したのかしら? やっぱり乙女ゲームでピンク髪さんはヒロイン?とメアリーが思いを巡らせていると、並んで座った隣から、二倍ほども大きさの違う手が彼女の手をそっと取り、彼の胸の辺りに導かれ、温かく、熱いくらいで、


「俺の鼓動も乱れている」

「っきゃー! 座布団一枚!」

「……ザブトォン? 何だそれは」

「冗談がお上手ね、って意味よ」

「……」

「今度、100語以内で書く練習でもしようかしら」

「何を」

「ラブレターとか」

「……」


 どうでもいい話ばかりをして、まだ愛し合っていない二人は、立ち上がって、敷物を撤収し、馬に乗ってぱかぽこと歩き出した。



メアリーの頭の中のお祭り騒ぎ:

法被(はっぴ)にねじり鉢巻き、むくつけき男達から頭ひとつ飛び出た何食わぬ顔のロナルド、飛び散る汗、迸る熱気――ワッショイ!ワッショイ!

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― 新着の感想 ―
ニコラスって他の人に「なげーよ」「無駄」「要点だけ言え」って言われたら、今までの自分の言動を直そうって考えに至らず、ただただ自尊心地の底まで沈んで浮かんでこれなくなりそう。
>どうでもいい話ばかりをして-中略-馬に乗ってぱかぽこと歩き出した どうでもいい話をだらだらしたくなるのが親愛ですわよ。 馬ちゃんも馬上でどうでもいい話をだらだら出来るようぱかぽこしてくれてますしね…
こういう無駄嫌いを自称してる人って、自分がしてる無駄なことに対してはこれは必要なことだってダブルスタンダードな都合の良い思考をしてるんですよねー。 主人公が無事解放されて良かった!
感想一覧
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