漢女なアケビは手折れない
奏慶国の貿易の要であり最大の港街である龍州。
そこでは日々、沖から数え切れぬ帆船が港へと競い、岸壁に繋がれた船からは次々と荷物が運び出されている。
中心部にある巨大な市場では色とりどりの布や提灯が風に揺れ、混じり合った香辛料や絹織物の香りが芳しい。
そこから少し離れた場所にあるのが歓楽街。
その地に夜の帷が降りる頃、とある高層建造物の屋根に敷き詰められた瑠璃瓦が4連提灯により絢爛剛華に照らし出される。
光の道術と真っ白な壁からの反射光によってさらに明るさを増すその輝きは、熟練の船乗り達をして『どこの灯台よりも明るい』と言わしめる程だ。
その建物の名は『天華櫻』、国一番の高級妓櫻である。
さて、その天華櫻であるが、他の妓櫻にはない特徴があり、それが繁盛の秘訣でもあった。
その特徴とは、客の相手をする妓女が全員、その芸をもって楽しませる『芸妓』と、春を売って愉しませる『娼妓』を兼任している事である。
芸をもって楽しませる『芸妓』には高い教養や技能が求められる。よって良家出身の誇り高い娘が多く、『娼妓』を兼任することは稀だ。
そんな芸妓が大衆の前で芸を披露し喝采を浴びた後、自分とだけ閨で……という状況が叶うのであれば、喜んで大金を投げ打つ男は多い。
また、西洋から伝来した最新の宝具・医学・薬学のおかげで、瘡毒や望まぬ妊娠のリスクが極めて低いことも人気に拍車をかけていた。
そんな『天華櫻』で先ほど夢のようなひと時を過ごした星淵という男が、帰り道にふとこんな事を思った。
「僕は今宵、確かにとても良い夢を見させてもらったが……」
あそこで働く女達のうちの何人かは、もしかしたら今、悪夢の中にいるのかもしれないなぁ、と。
◆◆◆
『天華櫻』の櫻主、芳花から、売られてきた新米妓女が指導を受けていた。
「アンタはもう華族じゃなくて妓女だ。それが不満なら、さっさとしこたま稼いで自分を買うんだね」
「……承知しました」
「それとね、ここで返事する時は『あい』っていうんだよ」
「……あい」
沈んだ顔で返事をする彼女の名前は莉莉。
かっては奏慶国の四大名家の家の一つ、白家傍系の養女だった女である。
そんな女がなぜ妓女になったのか。
それにはこんな経緯がある。
彼女は齢八つの時、『舞踊の才能がある』という理由で寒村から引き抜かれて養女になった。そこだけ見れば大した立身出世なのだが、その裏には別の理由がある。
金儲けに目がない養父の黄鉄は、本家筋の高潔で目先の利益よりも芸術を愛する人達が自分よりも大きな力を持つ現状を疎ましく思っていた。
それで、彼らを引き摺り落とすために、莉莉を拾って舞を仕込んだのである。
莉莉は黄鉄から、本家の娘である美麗と交友し、情報を得たり嘘を吹き込んだりして美麗が入内ーー皇帝の婚約者内定ーーするのを妨害することを命令された。
莉莉も初めはその命令に従うつもりだったのだが、不覚にも美麗にすっかり絆されてしまった。
だって
『優れた芸の前で、人は皆平等だ』
『出自なんて関係ない、貴女の舞は美しい』
なんて綺麗事を、一点の曇りもない瞳で言ってくるんだもの。
次第に莉莉は美麗の足を引っ張ろうとする養父のほうを疎ましく思うようになっていった。表面ばかりにこやかに笑い、その裏で誠実に努力している者の足を引っ張ろうとする様の何と醜悪なことか。
莉莉は黄鉄からの指示を無視し、逆に本家の嘘八百の情報を掴ませて美麗の入内を密かに手助けまでした。
やがて美麗の入内が決定して王都に入った頃、裏切りが露見した莉莉は後見を打ち切られ、今までにかかった養育費を返すように言われた。
だが、それで良かった。
既に舞の名手としての評は手にいれていたし、舞の師匠も勤めている楽坊ーー即ち芸妓が芸だけを売る歌舞団体からも声がかかっていたから。
キッチリと金を返し、関係を清算した後は芸で身を立て生きていく、優れた芸があれば身一つで何処までもいけるーーそうやって夢見ていたあの頃の自分はなんと幸せな少女でーーそして世間知らずの愚か者だったのだろう。
楽坊に行った彼女は門前払いにされた。
黄鉄殿との関係がさ、と申し訳なさそうに。
そこで莉莉は初めて気づく。
黄鉄が楽坊に手をまわしてしたことを。
そして楽坊の主や師匠達がかつて莉莉の舞を讃え勧誘したのは自分が黄鉄の養女だったからで、黄鉄に不評を買う危険を犯してまで守りたい存在ではなかったことを。
そして稼げる働き口を無くし、利息により借金が膨らんだ莉莉は驚く程あっさり妓女に堕とされて、今ここにいる。
「まあ、今日からいきなり客を取れとは言わんよ。……おい、丁翁を呼んでおいで。」
側近にそう言う命じる櫻主の言葉には僅かに柔らかさがあったが精神的に余裕のない莉莉がそれに気づくことはなかった。
「お呼びでしょうか、芳花師父」
「丁翁、新人にここの作法を教えてやりな」
やってきた女をみて、莉莉は驚きに眼を見開いた。
ちょっとした歩き方や立ち振る舞いだけで、恐ろしく体幹が鍛えあげられているとわかったからだ。
それに、物腰は柔らかいが、鍛錬で出来たと思われる無数の小さな古傷がある手で抱拳礼をしている。
妖艶な格好をしているのに、かつて美麗の側に控えていた武官を思い出すこの女。正体は妓女に扮した手だれの女用心棒か何かだろうか?
「君の名前は何だ」
「莉莉です」
「そうか、私の名前は丁翁。天華櫻での位は『蓮華』、つまり上級妓女のさらに上だ」
再び驚く莉莉。
「では、早速指導を行うが……酌の作法や伽の知識の前に、まずこの言葉を覚えておいてくれ。『絶対服従、絶対庇護』だ。」
それがここの、絶対の掟だと丁翁は続ける。
なんでも天華櫻では働く妓女同士で、香を焚き、義姉妹になることを誓い合う『香火姉妹』という習慣があるそうだ。
そして下の者は姐さんの言う事を絶対にきく代わりに、姐さんは下の者を絶対に庇護するのだという。
どうやら天華櫻というのは思ったより体育会系の世界だったらしい。個人主義で、売り上げを競って足を引っ張りあう、もっとドロドロした世界だと思っていた。
(いや、それでも妓櫻は妓櫻だ。)
そうだ。売られる前、黄鉄は薄ら笑いを浮かべながら言っていたではないか。
天華櫻に売られた女達は、領布の代わりに薄布を揺らし、美しい歌を紡いできた唇は男に塞がれることになる。そして裸にむかれ、全身をまさぐられーー
「今から香を焚こう。それから知識を仕込む、最後に私の『娼妓』としての仕事の見学だ」
(そうだ、彼女ーー丁翁……姐さんだって、その運命からは逃れられないんだ。)
輝かしい舞台の中央を踏み締めるはずだった彼女も、毎夜、褥の真ん中で踏み躙られているのだろう。
と思っていたのだが。
「丁翁媽媽ー!甘えさせてくれぇー!」
「星淵殿は今日も生きてて偉いぞ」
「働きたくないよぉ!重責を負える度量なぞないよ僕は!おぎゃあーッ!」
「よしよし、上手に呼吸出来ているなぁ」
「ばぶぅぅー!!!」
その日の夜、丁翁はやってきた常連客に踏み躙られるどころか、逆によちよちして男を幼児退行させていた。
(え、なにこれ……)
翌週、櫻主から呼び出しを受けた莉莉は、天華櫻の長い廊下を歩きながら、他の妓女達の言葉を思い出していた。
「いや、アンタの想像は間違っていないよ。」
「実際、丁翁姐さんがやってくる数年前まではそんな感じだったわ」
かつての天華櫻はもっと暗い雰囲気だったらしい。また、莉莉のような『芸妓』出身と、幼い時分に蕾となり時間をかけてのし上がった『娼妓』上がりの間で確執もあったと言う。
しかし、丁翁がきてからガラっと変わった。
彼女は元々とある道場の一人娘で、優れた演武を披露する芸妓組ながら、入櫻早々に櫻主を芳花師父と呼んで慕い、娼妓あがりの姐さん達に敬意を払ってその技術を貪欲に学び、あっという間に伽の達人にもなったそうだ。
曰く
『獣のように襲ってくる男をひらりとかわして手玉にとる娼妓の技術は素晴らしいものだ。そして武の本質にも近い』
のだとか何とか。
そして彼女は宴席にて優れた演武を披露する事で男達に「こりゃかなわん」と思わせて、褥でも芳花仕込みの超絶技巧で客を性的にボコボコにした結果、丁翁媽媽として妓女の頂点に君臨する事になったという。
「丁翁姐さんは言うのよ。『君達が初心な態度をとるから男が嗜虐的になるんだ。どんな経緯であれ、娼妓として仕事をする以上はこちらから胸襟を開いて男達を可愛がってやれ』ってね」
「まあ、私達はまだそこ迄はできないけどさ、実際にそういう心持ちで働きだしてからは、乱暴される事がうんと減ったよ。気に入られて水揚げされる女も増えたね。」
一般的に妓女は下賎な仕事と言われていて、実際そう言う心持ちの女も多い。しかしここ天華櫻の女達に関しては『お水の花道』とでも言うような矜持があるらしい。
莉莉としては、まだ娼妓として働くことを割り切れたわけではないが、姐さん達が出来た人物だった時期にやってこれたのはいくらか運があったようだ。
「ああ、きたかい。黄鉄殿がアンタに面会を希望しているよ。応接間に行っておいで。」
「……断ることはできませんか」
芳花の言葉をきいて前言撤回したくなった。
絶対にろくでもないことになると理性が囁く。
「ここの掟は覚えているね」
「……あい。」
しかし残念ながら、ここの掟は『目上の者には絶対服従』だった。
一目で高級品とわかる姿鏡や壺の飾られた応接間。
そこには黄鉄を先頭に、後ろには数人のごろつき、そして最後尾に頬に傷を持つ大男が控えていた。
うっとした顔をする莉莉に黄鉄は下卑た笑みで切り出す。
「どうしたその服は?随分と肩をはだけさせているじゃないか、身体の線も浮き出ているし、すっかり妓女の装いだな」
その言葉に嗤うごろつき達。
鏡に写る自分の姿を自覚し、莉莉はさっと顔を赤らめた……が、丁翁達の教えと、堂々とした態度を思い出して身体を隠す様な事はしなかった。
背筋を伸ばして胸をはる彼女に、黄鉄はつまらなそうに鼻を鳴らして本題に入る。
「おまえ、そろそろ娼妓としても客を取らされる時期だろう?どうだ、過去の過ちを謝罪して儂の言う事を聞くなら助けてやるぞ」
やはり、ろくでもない話だった。
なんでも黄鉄は過去に天華櫻で麻薬を流すことを芳花に持ちかけたが断られ、逆恨みしているらしい。
それで、身元を引き受ける代わりに、天華櫻を貶めるような工作に協力しろと言う。
「……今、麻薬って言った?奏慶国の法で硬く禁じられているはずよ」
この辺の役人は抱き込んでいるから大丈夫だ、いやそう言う問題ではない、と問答が続くうちに黄鉄の声が荒くなっていく。
「この、下手に出ていれば調子に乗りおって!」
「痛、離して!」
手首を掴まれたので振り払うと、指先が僅かに黄鉄の顔に当たった。
黄鉄は一瞬顔をしかめたが、次の瞬間ニヤリと笑い、わざとらしくよろけて尻餅をつく。
すると、周囲から囃し立てるような罵声が沸き上がる。揉め事の前兆だった。
「おいおい!黄鉄様が殴られたぞ!」
「どうなってんだこの妓櫻はよ!」
「立場をわからせてやれ!」
男達に押し倒される莉莉。
暴力を覚悟して固く目をつぶる。
それから、いくつかの鈍い音がした。
しかし、衝撃は来なかった。
怪訝に思い、恐る恐る目を開けると男達が白目を剥いている。
「え?……丁翁姐さん…?」
どうやら騒ぎを聞いて駆けつけた丁翁が、一瞬で男達を倒してしまったらしい。
しかし、普段とは様子が違ったので一瞬誰かわからなかった。いつもの穏やかな彼女とはまるで別人の様で、相当怒っているらしい。
「な、なめお……ッ!」
「『妹分は絶対庇護』、ここの掟だ。」
丁翁は悪態をつく黄鉄を真っ直ぐに睨むとバキバキと指の骨を鳴らし、溢れんばかりの戦意を見せつける。
「莉莉の文句は、私に言え」
彼女の放つ威圧感は黄鉄を圧倒していた。
「ヒッ!?せ、先生……」
焦った黄鉄は、後ろに控えていた大男にすがる。
それは念の為にと大金を払って雇っていた用心棒だった。
「その拳筋……思い出したぞ。お前、確か合気流の一人娘だな。」
丁翁の威圧感にも動じる事なくそう返す用心棒は、名を剛龍という。この男、かつて奏慶国の武の総本山、梁山泊にて最強と言われながらも、活人拳の教えに馴染めず破門された過去がある。
「妓女に堕ちたと聞いていたが、衰えてはいないようだな。だが昔より強くなっているわけでもなさそうだ。なら、俺には勝てんぞ」
そう、3年ほど前に丁翁は父親の遺した道場の利権をかけて剛龍と戦い、敗北していた。
だが、それは無理ないことだった。
武を練り上げれば、女だってその辺の男など問題ではないくらいに強くなる。とはいえ、同じくらい武を練り上げた男に勝つことは、基本的にあり得ないからだ。
なぜなら、男と女では生まれ持つ体格と腕力に埋めがたい差があるから。
しかも剛龍はそれに加えて『骨隠』という男の唯一の弱点である睾丸を腹筋操作で骨盤内部へ引き上げる秘儀まで修めていた。
にもかかわらず、今も油断などみじんも見せない様子で、丁翁のことをまっすぐに見据えている。悪党の用心棒などをしてはいるが、こと闘争に対していえば剛龍は心技体全てが最高水準であった。
そんな恐るべき男を前にして丁翁は、
「私は丁翁、天華櫻『蓮華』。貴様の言葉、宣戦布告と判断する!」
一切怯むことなく答えた。
一度敗北して妓女に身を堕とし、男によって手折られる運命にあったはずの女。
それが今、裂帛の気迫を込めて拳を握り身構えている。その事実に、剛龍は久方ぶりに愉快な気持ちとなった。
「俺は剛龍、流派は『我流』。当方に決闘の意思あり。』
ゆえに、死力と礼を尽くす証である逆手包拳礼をもって、奏慶国伝統の決闘口上に付き合った。
「武の勝敗は膂力のみで決まらず」
「されど、技のみでも決まらず」
「「ただ、結果のみが真実!」」
そうして始まったこの戦いは、この国の武の頂点を決めるものであった。
しかし、激闘にはならなかった。
戦い始めてすぐ、剛龍は首がもげるような衝撃によって意識を飛ばされそうになった。
——なんだ!?今、俺は攻撃を喰らったのか!?
油断したわけではない、自分は今、完全に戦闘態勢だった。
だからこそ、女としては人外の域に近い丁翁の一撃に耐えることができたが、逆にその状態にも関わらず気が付いた瞬間にはまともに喰らっていた。
動揺は一瞬。
歯をくい縛り反撃するが受けながされ、そのまま逆に、意識の隙間を縫うような拳が弾雨となって降り注ぐ。
それを耐えながら放った起死回生の蹴りも、距離をとられて空振りに終わる。
——どうなっている……?視線が局所に集まり、『観の目』がうまく使えん
武術の達人はみな、半ば無意識に『観の目』という技術を使っている。
相手の一点を凝視するのではなく、相手の身体全体をぼんやりと視界に収め、そこから相手の『動きの起こり』を捉えるというものだ。
これによって相手の次の動きを予測し、最上級者は打撃軌道線をも把握していく。攻防の基本でありながら極意ともいえる技術なのだが、剛龍は今、それが使用不能に陥っていた。
「いったい......どんな絡繰りだ」
「天華櫻にくる客が言っていた。異国には牽制や陽動に特化した格闘技があると。それを下地とし、元々収めていた武と、妓女の技術を融合させた」
そう言いながら丁翁は、なにげなくさらりと空間を撫でて見せる。そのしぐさを見た剛龍は、ぞくりと背筋を震わせた。
何故ならそれは、男の身体への愛撫を思い描かずにはいられない、男が生来持つ本能へと訴えかけるような、見事な手つきだったから。
つまり丁翁は戦いの最中、目線や指先一つで男を虜にする娼妓の技を用いて、剛龍の視線を自在に操っていた。
そして、無防備となった死角から強烈な一撃を叩き込んだのである。
『性駆使狐孟倒』
それが、丁翁の編み出した技術体系。
かつて敗北した男との差を埋めるべく、妓櫻にて三年間を超える研鑽を積んで手にした女武道家の絶技だった。
「さあ、幕をおろそう」
そういって剛龍に向かう丁翁。
上半身を屈めた彼女の胸にほんの一瞬視線が誘導された次の瞬間、死角から飛んできた前宙踵落としによって剛龍の意識は闇に沈んだ。
「き、客にこんなことして済むと思っているのか。それに、この辺の役人は皆、儂の味方だぞ」
「いや、お前はもう終わりだよ。もうじき王都の役人が来るからな」
配下が全滅してなお、往生際悪く喚く黄鉄に丁翁は言い放った。
そして今度は表情をやわらげ、莉莉の方を向き説明する。
「莉莉、君のおかげなんだ。」
君の友人の美麗様――次期皇后様が、皇太子にかけあって黄鉄の周囲を探っていたそうだ。
国のためにという気持ちと、君の身を案じる気持ち、両方があったようだね。
先日、私の客としてきていた星淵殿を覚えているかな。彼は元々、潜入捜査にきていた王都の役人なんだ。
そこある鏡と壺は、映像と音を遠方に伝える国の宝具らしくてね。
君がここに売られたと連絡したあと、今回のような事件が起きるんじゃないかと星淵殿が設置していかれたんだよ。
大当たりだったな。
◇◇◇
一月後、私は港にいた。
旅芸人として異国へと渡る船に乗るために。
「莉莉、達者でな」
「ありがとうございます。丁翁姐さんも。」
ほんの一週間程しか一緒にいなかったのに、妹分の船出だからと忙しい中で見送りに来てくれる丁翁姐さんは、なんていい人なんだろうと改めて思う。
彼女が先日、一区切りついたからと天華櫻を抜けて興した武術の新道場は現在大盛況だ。
なんでもあの日戦った用心棒は因縁の相手だったらしい。しかも凄い達人でもあり、それを倒したのが噂になっているようだ。
あの後、黄鉄は重罪人として捕縛された。
そして、押収された財産の一部は被害者への弁済や保障に使われ、私も自由の身となったばかりか、いくらかの手持ちまで出来た。
美麗様は王都に来ないかと誘ってくれて悩んだけど、結局辞退させてもらった。
短い間だったとはいえ、妓櫻にいた女を召し上がる事で彼女に何か不利益があってはいけないと思ったし……何より、泥の中からその身一つで大輪の花を咲かせた丁翁姐さんをみて、『優れた芸があれば身一つで何処までもいける』という夢を、もう一度みたいと思ったから。
船上から、段々小さくなっていく奏慶国をみる。
潮風に赤茶色の髪がなびく。
爽快に伸びをしながら頭上をみると、白い太陽が大輪の花の様にかがやいていた。
『丁翁』
和名はアケビ。
強い生命力、適応力を持つ野草。
でも、花言葉は「誘惑」