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蛇足

 ──初対面のようにあらたまった挨拶を受けながら、レイモンは過去の記憶を呼び起こす。

 (ベーチェット伯爵家のミレイユ嬢。雑談のひとつも交わしたことはないが、彼女のことははっきりと憶えている)

 アレックスもレイモンが忘れていると半ば決めつけていたが、レイモンは立場上貴族の名前や特徴は頭に叩き込んでいる。だがミレイユに関しては、それ以外にも理由があった。

 声をかけられたのは三度。金茶色の髪と琥珀色の瞳は珍しいものではなく、顔立ちは整ってはいるが華やかさが足りないように感じる。控えめなデザインのドレスや小ぶりなアクセサリーも相まって、ミレイユは総合的に地味な印象を与えた。

 だが所作は美しく、礼儀正しい話し方も上品で好感が持てた。

 派手な装いと濃厚な香りをまとわせた、我の強い令嬢たちから逃れた後に声をかけられたこともあり、ミレイユの清楚さが際立ったということもある。だが逆にさんざん令嬢たちの突撃をかわしたのちに話しかけられたせいで、好感は持っても相手をすることに煩わしさを感じてしまったのだ。

 …そうして避け続けた結果、初めてまともに会話をするのがお互い婚約者を連れたこの場となった。しかも彼女の婚約者となったアレックスの方が、ミレイユをそそのかしているのはなぜなのか。

 思わず警戒を表に出してしまったが、ミレイユが述べたのは祖母を救ってくれたことへの感謝だった。

 (自意識過剰のようで決まりが悪いが…彼女の私を見る目に好意があったことは経験上わかっていた。こんな場所で今になってそれを告げるような、あさはかな女性ではなかったが)

 そう考えて安堵した直後、続けてアレックスが話したことでレイモンはさらに恥じ入ることになる。

 (学院の研究室に行くときはいつも人目を避けていた。アレックスに研究を助けてくれる女生徒が入ったと聞いても、念のため顔を合わせないよう注意を払ってきた。その女生徒が彼女だったとは…)

 そのまま薬学の話題に移り、話に入れないアガートを気遣ったためわずかなやり取りに終わったものの、ミレイユが真剣に学んできたことはそれだけでも充分うかがえた。

 (アレックスが陛下に言ったことを疑っていたわけではないが、婚約者を持ち上げる意図があっての発言だと思っていた。嘘ではないにせよ、雑用を引き受けるなどで手助けをしたか、精神的な支えになったという話だと…)

 過去にミレイユと交わした会話を、あらためて思い返してみる。

 『開発された特効薬のことで、よろしければお話を…』

 『私は話し下手なので。ご興味がおありなら国に提出した報告書に全て書いてありますよ』

 ミレイユは祖母を救ってくれた礼を言おうとしていた。

 レイモンは当時どこに行っても開発した薬を称えられたが、専門的な内容や開発に至る経緯を聞き流して功績の大きさばかり気にされることにうんざりしていた。

 本気で薬のことを知りたいなら、人に教わるより自分で調べろと暗に伝えたのだ。

 『先日報告書を読ませていただきました。それで…』

 『ご令嬢には退屈でしたでしょう。私と話を合わせるために無理をされることはありません』

 次に会った時、ミレイユは前回言われたとおり公開された報告書に目を通していた。

 そうしなければレイモンは話を聞いてくれないと思ったのだろう。だから話を合わせるため、というのは間違いではないが、彼女なら読んで退屈することはなかっただろう、と今ならわかる。

 『実は私も薬学を学んでいるのです。そのきっかけというのが…』

 『失礼、知人に呼ばれているので』

 三度目に薬学専攻であると伝えてきたのは、無理して報告書を読んだのではない、とレイモンにわかってもらうためだ。きっかけとして話そうとしていたのはもちろん祖母のことだ。ようやく礼が言えると思っていたかもしれない。

 だがレイモンはミレイユが薬学を学んでいることに注意を払わず、きっかけという言葉に警戒した。それは自分に近付くためだと、そこまでするほど慕っているのだと迫られる面倒を避けたくて、強引に会話を打ち切って去ったのだ。

 ずっとひどい思い違いをしていた。迷惑な令嬢たちへの不快感を引きずっていたせいで、ミレイユに八つ当たりのような振る舞いをした。功績の大きさしか見ていなかったのは他の連中であってミレイユではない。同じだと決めつけたのはレイモンだ。

 恥ずかしさでまともに答えることもできず、レイモン様すごい、と隣ではしゃぐアガートにまで身勝手な苛立ちをおぼえた。


 ひとりで気まずい思いをしているうちに、ミレイユとアガートはデザートテーブルに連れ立って行った。アレックスと二人になったおかげで少し気分が軽くなり、壁際に移動して研究の内容から教授や同窓生の近況など、共通の話題で盛り上がる。

 ──そして完全に油断したところで、アレックスがとんでもないことを言い出した。

 「大勢に迫られていたから憶えていないかもしれないが、ミレイユもきみを慕っていた令嬢のひとりだ」

 (突然なんのつもりだ?憶えているし気付いていたが、彼女自身は今さらそのようなことを告げる気はなさそうだったのに)

 続けてアレックスが語った内容は、レイモンをさらに打ちのめした。

 (『地位や容姿でしか評価しない女性ばかり』…間違いなくそう言った。ミレイユ嬢をその中に数えていたつもりはないが、『ばかり』と言い切ってしまったのだから言い訳はできない。先ほどの話を聞くまで、そう思っていたことも否定はできない)

 アレックスの人を安心させる顔立ちは好ましいが、目を惹く美しさや精悍さはない。

 また優秀ではあっても、男爵家の三男だ。研究が実を結ばなければ、平民の研究者として慎ましい生活を送ることになっていただろう。ミレイユはそれを覚悟した上で、叙爵が決まるずっと前から婚約を結んでいた。

 地位も容姿も、本当に重視していない女性だったのだ。

 表面しか見ていなかったのは、レイモンの方だった。

 それどころか、レイモンは内面を見ようとしてくれた相手にも見せる隙を与えなかった。知る機会もないのに内面を見ろと要求するのは理不尽でしかない。最初に興味を引いた要素がなんであろうと、何かのきっかけで『この人と話してみたい、もっと知りたい』と思うのは人間関係の構築において当然の流れだ。

 (思い込みを排除して、ミレイユ嬢ときちんと会話していたら…もっと早く気付けただろうか。今日話しただけでも伝わってきた聡明さ、真面目で純真な人柄を、もっと早く知ることができていたのか。そうなっていたら、もしかしたら、今夜私の隣に立っていたのは…)

 「アレックス」

 …そんな危うい思考に沈みかけたところで、戻ってきたミレイユの声にはっと顔を上げる。

 「どうしたんだい?もうテーブルごと食べ尽くしちゃったとか?」

 アレックスの言葉に、ミレイユはくすくす笑う。「そうするつもりだったけれど、アガート様がお友だちに会われたので私は戻ってきたの。小公爵様、アガート様はご令嬢二人と一緒にテーブルを囲まれていらっしゃいます」

 「…ああ、ありがとう」

 「小腹もすいてきたし、僕は甘いものよりしょっぱいものが食べたいなあ。ミレイユ、あちらの軽食を見に行こうよ」

 アレックスとミレイユはレイモンに丁寧な挨拶をして、その場を去っていった。


 アガートを迎えにいくため歩き始めたレイモンは、これまでの自分の傲慢さを思って珍しく落ち込んでいた。つい先ほどおかしな想像をしてしまったことで、アガートにも罪悪感をおぼえている。

 アガートは友人二人とケーキを食べつつ談笑していた。レイモンは偶然、先だってのミレイユのように死角から三人に近付くかたちになっていた。

 「…インパクトが大事なの!意表をつく出会いで特別な相手だと思わせることが…」

 友人たちを相手に何やら熱弁をふるっていたアガートが、レイモンに気付き焦ったように口をつぐんだが、自身の至らなさに沈み込んでいるレイモンは特に気にすることはない。

 友人は子爵令嬢と男爵令嬢だった。それぞれ自己紹介が済むと、令嬢たちはレイモンを熱っぽい目で見つめながら話しかけてくる。

 (…反省したばかりではあるが、やはりこの令嬢たちに関しては、地位と容姿に飛びついているようにしか見えないな)

 アガートから奪おうとまでは思っていないだろうが、レイモンと懇意になれば自慢になるだろう、家のためにもなる、他の高位貴族の令息と繋がりができるかもしれない…そういったことは考えていそうだ。

 だが貴族の令嬢としては、間違ってはいない。レイモンにつきまとっていた、本当に『地位と容姿でしか評価しない』令嬢たちにしても、レイモンの発言を聞いて「それの何が悪いんですの?」と心底疑問に思っているかもしれないのだ。

 家のため、領地の繁栄のため、優秀な子を産むため、条件の良い相手を探すことを責められるいわれはないのだろう。

 公爵家嫡男として、貴族の義務も在り方も理解している気でいた。

 “氷華の貴公子”などと気恥ずかしい呼び名をつけられるほど取り澄ましていたくせに、そうしたことに思い至ると自分がいちばん子どもだったように思えてくる。

 自己嫌悪の材料ばかりが次々と現れることに疲れ果て、レイモンはアガートを連れて早めに夜会を辞した。


 ──レイモンがアガートに出会った、というよりアガートを認識したのは、彼女が公爵家で働き始めて三ヶ月あまり経ってからのことだ。

 アガートはレイモンの母である公爵夫人付きであり、未婚の嫡男とあまり関わらないよう仕事を振られていたらしい。

 その日のレイモンは所用で町に下りていた。人目とトラブルを避けるため平民の服装にわざと乱した髪で顔を隠して出掛け、そのままの格好で屋敷に帰宅したのだ。

 『そこからじゃ駄目、裏口に回らないと!』

 徒歩で屋敷の門に着いた途端レイモンの腕を掴み、有無を言わさず裏門に引きずっていったのはお使い帰りのアガートだった。どうやら変装しているレイモンを、新米の下働きか御用聞きと間違えているらしかった。

 『気をつけないと、公爵家の皆様はとてもご立派で尊敬できる方々だけど、立場上厳しいところもあるんだから…。あ、ご令息にはちゃんとお目にかかったことはないんだけどね。知ってる?ルベラ病の特効薬を作ったんだって!すごいと思わない?大勢の人に感謝されて、王様に褒められて、英雄って呼ばれてるの。物語の主人公みたいでしょ?』

 すぐにでも腕を振り払い、無礼を叱責するつもりだったはずが、ひとりで喋り続けるアガートの話題が自分のことになったことでふと気まぐれを起こした。

 『…氷のような男だとも聞いたが』

 さすがに自分で“氷華の貴公子”という二つ名を口にする勇気はない。

 『そんなの、上っ面しか知らない人たちが勝手に言ってるだけよ。見た目がすごく良いっていうのは聞いてるけど、きっと中身だって素晴らしい方だと思うわ。自分で確認するまで、そんな噂は信じないんだから!』

 …その言葉を聞きアガートに興味を持ったレイモンは、その後さまざまな出来事を経て婚約まで漕ぎつけることになったのだ。

 (初めて自分の内面を見てくれた、というのは、間違いだったかもしれない…ミレイユ嬢のみならず、これまで知ろうとしてくれた相手をいい加減にあしらってきた自分のせいなのだから。だがアガートを選んだことは間違いではないはずだ)

 素直に感情を表し、率直にものを言う純粋なアガート。

 私が公爵夫人になるなんて、と顔色を失くして激しく首を横に振るアガートに、そのままでいてくれれば良いから、と求婚したレイモン。

 両親は複雑な顔をしていた。身分差も含め、公爵夫人となるにはいろいろと不足がある相手。だが女性に興味のなかった嫡男が唯一選んだ女性。許さなければこの先独身を貫きかねない。そんな迷いにつけこむように、レイモンは強引に自分の意思を通したのだ。

 婚約前の夜会で、わざわざ名前を出して宣言めいたことをしたのもそのためだった。

 そして紆余曲折ののちに晴れて婚約が整い、さっそく社交界にパートナーとして連れて行った先で、アレックスとミレイユに再会する。

 (これまでは気に留めたことがなかったが…ミレイユ嬢と並ぶと、立ち居振る舞いが全く違う)

 社交界に出していなかったため、アガートの作法や言葉遣いの至らなさを問題にしてこなかった。レイモンを追い掛け回していた、慎みがないと呆れていた令嬢たちでも基本的なマナーは当たり前に身に着けていたことに今さら気付く。

 他の女性と比べるなど最低の行いだと自戒してみても、両親が懸念していたアガートの『いろいろな不足』が今後次々と顕れる予感がして憂いは晴れなかった。

 その後もふたりで何度か社交界の集まりに参加した。一度気になってしまうと嫌でも目に付くようになり、レイモンはアガートの奔放な振る舞いにハラハラさせられるようになっていた。

 将来のために高位貴族の礼儀作法を学んでほしい、と頼みたかったが、『そのままでいてくれれば良い』と言って求婚したのはレイモンだ。アガートから言い出してくれないかと虫のいい期待をするが、彼女は華やかに変わった環境に目を輝かせるばかりで、自分と周りとの違いを気にする様子もない。

 「夫人や令嬢たちと話していたようだが…楽しめたか?私たちはずいぶんと注目されているから、何か言われたりはしていないだろうか」

 とある劇場の落成式に出席した際のことだった。その後開かれたパーティでレイモンが知り合いと話している間に、例によって自由なアガートはきょろきょろしながら会場内をふらつき、レイモンが気付いた時にはご婦人たちに囲まれていた。

 帰りの馬車でレイモンが聞いたのは、マナーがなっていないと当てこすりのひとつも言われていないかを心配したからだったが、アガートはにこやかに答えた。

 「皆さんとっても優しかったです!最初は絶対『あなたなんかレイモン様と釣り合わないわ、木っ端貴族の小娘ごときがっ』とか『どんな下賤の遣り口であの方を籠絡なさったのかしら?』とか、すごい嫌味を言われて扇で叩かれてワインをかけられると思ったんですけど」

 市井の芝居にありそうな台詞や仕打ちを並べ立てるアガートは、レイモンとは別方向の心配をしていたようだ。だが確かにそちらの可能性の方が高かったのだと訊ねてから気付く。

 「…何も起こらなかった、と?」

 「はい!レイモン様との馴れ初めとか、皆さん笑顔で頷きながら聞いてくれて…とにかくずっと平和でした!いい人たちで良かったです!」

 言葉の乱れは相変わらず引っ掛かるところではあるが、不快な目に遭うことがなかったのは何よりだ。

 (それにしても馴れ初めか…隠そうとしていたわけではないが、知られたと思うと何故か気分が良くない)

 レイモンにとっては大切な出逢いの思い出だが、他人からすれば『仕える家の令息の顔も知らなかった行儀見習いと、それを咎めないばかりか最終的には婚約者に据えた酔狂な令息』となり、公爵家の使用人と嫡男、両方の品位を疑うのではないか。

 (…ああ、何となく理解した)

 女性たちが大小問わず、アガートに意地悪をしなかった理由。

 もはやレイモンは、彼女たちにとって狙うべき対象ではない。

 他の女性と婚約したからではなく、『使用人に手を出す男』だと知ったから。

 貴族として優良な相手を望んでいる女性であれば、それがわかった時点でさっさと手を引くだろう。そんな男なら結婚しても浮気や庶子の問題で家を揺るがす恐れもある。レイモンの心情に関係なく、そう思われても仕方ないのだ。

 だからアガートに嫉妬することもない。今シーズンの社交界を賑わせた二人について、興味本位で話を聞いただけのこと。

 …ただ逆に下位貴族の者が、身分が低くても近付けるのではと考え始める可能性はある。

 ふとレイモンの頭をよぎったのは、以前夜会で会った令嬢たちの顔だった。

 (アガートの友人、子爵令嬢と男爵令嬢だったか。いかにも高位貴族に近付く算段を立てていそうではあった、な…?)

 『…インパクトが大事なの!意表をつく出会いで特別な相手だと思わせることが…』

 唐突にあの時の、アガートの言葉が思い出される。

 どういう流れであの発言がなされたのか。

 (──令嬢たちが『上手くやった』アガートに、成功のコツを聞いた?)

 いくら遠方の領地から来た世間知らずの少女でも、一応貴族であり公爵家に行儀見習いに出せる程度の繋がりがある身で、自分が働いている公爵家の、有名な嫡男の顔も知らなかったのは迂闊過ぎないだろうか。

 それを疑うこともなく、アガートとの仲を深めたレイモンは、誰よりも世間知らずではないか。

 (いや…まだそうと決まったわけではない。あの言葉だって、まったく別の話題で出たのかもしれないのに、耳に入った部分だけで判断しては駄目だ。アガートに確認すれば、すぐに誤解は解けるだろう…)

 そう思いつつ、何故か目の前のアガートに訊ねることができない。

 (もしも本当にアガートに騙されていたとして…きっかけはどうあれ今は愛し合っているのだから許せる、と思えるだろうか?)

 ──アガートを選んだのは間違いではない、と信じていたはずだった。

 (騙されていたとしたら…はは、私が思うよりアガートは立派な貴族令嬢だった、というだけのことか。優良な結婚相手を手に入れるための手練手管、それを使って何が悪いのかしら?と言われるだろうか)

 そう考えたことで無意識に笑みがこぼれた。“氷華の貴公子”の表情が今日も自分に対してだけ綻んだことで、アガートが満面の笑みを返してくる。

 それはこれまでのように愛情あふれる『氷が溶けた』微笑ではなく、これまで以上に凍てついた自嘲の笑みだったことに、アガートは気付いていない。

読んでいただき、どうもありがとうございました!

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