ネネ
森の中をヤツらから逃げていた。
正確には入り口のあたりをさまよっていたのを、ヤツらに見つかって、そこから逃亡が始まった。
一緒にいた仲間たちは、とうの昔にはぐれてしまい、自分だけになってどれだけの時が流れたのだろうか。
正直なところ、生きたいのか、行きたいのかもわからなくなっていた。
ただ、追われれば逃げる。
立ち向かうことは無理だと理解していた。
自分の武器は、小さな炎だけ。
おとなになれば、知識も力もあってヤツらに対抗できるし、平地に出なくても暮らせるようになる。
なぜヤツらは自分たちを追うのか。
仲間に長生きな者がいて尋ねたことがあった。
『理解できないから』
ヤツらはそれだけで自分たちを狩るのだと。
食べるためでもなく・・・ただの殺戮。
自分たちからとれる毛皮など、その自分たちを追うという労苦に比べれば何の価値もないのに。
なぜ?
森の中をとにかく駆けていた。目の前など見ないで。
その瞬間だった。
何かにぶつかった。
・・・。
っ。
・・・この感触は・・・ヤツら。
知らずからだが強ばった。早く逃げなければならないのに。体が動かない。
やがて、首根っこを捕まれて、ひょいと持ち上げられた。
『なにをするっ(フギャァァァァ!)』
しかし、相手もさるもので、そのくらいの威嚇では手を離さない。
捕まった。捕まった。
ころされる。ころされてしまう。
仲間たちが無残な姿となったように、自分も…皮を剥がれて…。
その瞬間は痛いのだろうか。
悲鳴をあげてしまうに違いない。
痛いのはいやだ。
「なんだ、猫か」
せめて一矢報いて。『フギャァァァッ!』
どうせたいした効果はないけれど。
何もしないよりはマシで。
のどの奥が熱くなる。
これが最期だ。
のど元からこみ上げてきて。
顔面にぶつけてやる。
全身の毛が逆立っていた。
(今だ)
ボッ、と炎が点ったのを見計らったように、ヤツが自分を抱きしめた。
あたたかい!?
驚いて炎を別の空間に吐き出してしまう。
『なにをするっ(フギャア)』
離せ。
動揺が体に伝わる。
それと同時に空いていた腹がキュゥゥと鳴った。
この最悪のタイミングで。
「なんだ腹が空いてるのか。ふむ。食べるもの」
ヤツが何かを言っている。思わずその動きを待ってしまう。
「猫って、チョコ食べるのかな」
やがて出された黒い物体。甘いにおいがするのが嘘のように怪しいものだった。
ヤツはその手で、開けにくそうに袋をあけていた。
うまく開けられなかったらしく、最後は歯で袋の端をちぎっていた。
ヤツらの仲間にしては不器用なヤツだ。
落ち着いてきて、姿を眺めれば、ヤツらとも少し違う。
手や耳はまるで自分と同じ生き物。
だが、姿はヤツらのもの。
この生き物は何なのだろう。
そして口元に突き出された黒いもの。
いきおいペロリと舐めかけて、思い出した。
毒か!?
姿をそのままとどめて飾るために、時折毒殺される仲間もいた。
あれと同じなのか?
「固いのか?」
ヤツがつぶやき、ふとその黒いものをあろうことか自分の口に放り込んだ。
毒ではないのか?
やがて「ふが(ほれ)」。
ヤツの舌の上に溶けて乗っている黒いもの。甘い香りが漂う。
腹が空いている。
ああもうヤケだ。
ペロリとそれを口にした。
とたんに広がるどろりとした感触と甘い何か。
今まで食べたことのない味わいだった。
これは・・・なんだろう。
またたくまに食べ終わって『うまかった(なぁーご)』と鳴いた。
痛くも眠たくもならない。
食べ物だったのだ。
ヤツが手を伸ばしてきてのど元を撫でた。
心地よい。
ゴロゴロとのどが鳴った。
そして、ヤツはもう一度抱きしめてくれた。
それは、今まで味わったことのないぬくもりだった。
生まれたときから親と離れ、自立せざるを得なかった自分。
これがあれば、もういいのかもしれない。
コレのそばにいたい。
ずっといたい。
どうしたらいられるのだろう。
「妾と契約を交わすか?ファミーアの末裔よ」
金の瞳のヤツは、気に入ったヤツとは違った。
恐ろしいくらい気が自分を追い立てる。
逃げてしまいたいくらい。
だが、想いのほうが強かった。
そばにいたい。
だから。
血を舐めた。
それが、たとえ、一生続く従属の証となるとしても。
ヤツらと同じ姿にまで堕ちるとしても。
自分でも、それははじめて見た母の代わりとしての刷り込みなのか、執着なのかはよくわからなかった。
そばにいたい。
ただそれだけ。
目覚めたヤツは、少し戸惑っていたが、自分に名をつけた。
「ネネ」と。
代わりに自らを指さして「古都」と名乗った。
「古都」
握ってくれるその手のぬくもり。
「古都。そばにいて」
「いいよ」
思わず漏れた声に見上げれば、柔らかいほほえみ。
「いいよ。ネネ。ネネを預かってくれる親が見つかるまで一緒にいるよ」
親なんていらない。
誰もいらない。
古都だけほしい。
そう言えなくて。
「はい。古都」 と返したのは、内緒の話。