果て先
「放して」
術の途中で、Sが言った。
「は?」
「放してください。私はあの人に用があるんです」
Sは掴んでいた手を放そうとした。ランはSが急に手を放そうとするので慌てて握り返した。
「バカ言ってないでとにかく今は逃げるのよ! あいつの炎に焼かれちゃうわ! ここで降りるわけにいかないわ。みんなあんたを待ってるの!」
Sは手を放さないので腕を思い切り引っ張った。ランは訳が分からなかった。さっきまでのSではないと感じた。今の彼の視線は冷たく下にいる女に向き、口元は垂れ下がっていた。Sが外から操られているみたいに不気味だった。恐ろしさのあまりただ絶句した。
ランは手を放した。もう知っている人ではなかったから。
「私はあなたを覚えています。冥界で、たださまようばかりの長い長い日々の中で、復讐心は消えたはずでした。しかし、こうして相対すると当時の憎しみが溢れて止まりません」
Sは続ける。
「その忌々しい炎……。あなたは生きたいと思ったことはありますか? 常に選択肢の中に隠れる死に気が付きました? 見えるものを見ようとしましたか? 理想の前に転がる現実が見えていましたか? その痛みを感じようとしたことはありましたか?」
「…………」
「『いいえ』という顔ですね。これが社会、世界、常識だと? 全ての利己的な行動は釣り合いがとれていると?」
女は笑った。心からの笑いだった。
「面白くてな。ただの廃棄物が死んでから私に復讐しにくるとは」
女は言った。
「私は己のため行動しているのではない。人と人の間に格差のない幸せを提供する。これが私たちの目的だ。人から鍵を作り、その中から幸せの鍵を見つけ出す。そのためにお前がいた。お前は人をベースに作り上げた"捕食者"の試作品の第一世代だ。お前たちは自我が強く欲があった。不良品だな。それらを取り除いて改良を加え、現在の第二百二十世代まで作り直した」
「霊凍庫で人間を育て、殺し、鍵を作る。こうして作った鍵を実験所『都市』の人間に与えて効果を確認してきた。第百九十五世代から飛躍的に質が向上した。しかし、同時に『都市』の人間に意思が芽生えるようになってしまった。そこで、西の谷にある死霊石でクリスタルを作り、我々にとって有利な幻覚を見せることにした。捕食者の技術を応用して消費者を作り、定期的に石を回収させるようにした。今や国民の七割が鍵を有している」
「心が痛まないのですか。あるいは心がないのですか。それは間違っています」
「…………。はぁ~……間違っていない。お前は捕食者になるまでの記憶がないんだったな。世界は繰り返しなんだ。均衡を崩すことで世界は進む。ああ、悲しい。今、未来が見えた。余談だが、私は未来の鍵を差し込んでいる。近い未来が見えるんだが、それによると我々の計画は失敗する。積み上げた塔が崩れるようで少し悲しい。だが、世界は繰り返される。またチャンスはあるさ。憎しみが憎しみを生み、循環して未来を作る。危惧していた"償い"も、最後には、ゼロからやり直す鍵になってしまったな」
「最後だから特別に教えてやろう。捕食者のお前のベースはOと呼ばれる政治家だった。お前はくだらない理由を付けて他党の者を排除して頂点に立った男だった。多くの民に憎まれたが、その民すら排除した。だから試作品に変えた。お前も、賛同した者も、全員」
「私はお前が憎かった。しかし今こうして憎まれる立場になると不思議な感覚だ。もしかしたら人類はこうして誕生したのかと思うほどに……。なぁ、S」
Sの意識が本人のものに戻った。彼は怒っていた。ただ里の人たちのために怒っていた。その怒りが彼の中の鍵の力を解放した。全てを破壊できるほど強力な鍵の力、遠い昔の伝説からその名前をつけられた、竜の鍵。
***
数時間後、残ったのはSだけ。建物は消え、人も消え、都市そのものが消えた。残った廃墟で彼は言う。
「リンが待ってる、急がないと」




