レイテンシー
顔面を掴まれた。
「こんな仕事してたら一生底辺のままだからな。今日明日にでも辞めたいよなぁ。もっと給料が高くてやりがいのある職に就かねえと……。西の方でやってる管理職の方が給料良いらしいんだよな。正直こんなID確認の仕事じゃ生活するのがやっとだし……。妹の誕生日プレゼントもまだ用意できてない……今年こそは渡すって言っちまったからな……」
物凄い力で頭が潰れそう。こいつ! ブツブツ独り言を言いながら頭を潰そうとしている!
「S!」
空からランの声がした。何か降ってくる。槍だ。俺は右手で掴んだ。そしてスーツ男の視線が移った瞬間、腹を膝で思いっきり蹴った。
「ぶはっ」
男はよろめいて手を放した。
「何だよ。俺がなんかしました?」
「ここのルールだ。お前ID端末を付けてない。IDがないってことは人間じゃない。殺さねえとダメじゃねーか!」
なんだこいつ。
「じゃあ安心してくれ。すぐここからいなくなる。俺も急いでるんでね」
「いや、ダメだね。ルールはルールだ。俺を守り、妹を守り、社会を守り、平和を守ってくれる。それに、上司に活躍を見せなきゃいけないんだよ。理性的で、状況判断があり、団体でも一際リーダーシップを発揮できる、そんな人材だとアピールしなきゃいけないわけだ。理想的で上物な社会の構成品だってな」
そう言って彼はジャケットを脱いだ。ズボンのポケットから出したのは、鍵? 彼はそれを左手のひらに挿した。
「俺の持つ鍵は"力の鍵"。次こそお前の頭蓋を潰す!」
「俺も持ってるぜ! 正しい使い方じゃなさそうだが、お前に負けないってことは確かだ!」
「うるせえ!」
真っすぐ腕が飛んでくる。さっきは油断していたから掴まれたが、このトロい動きが見えないわけがない。さっき蹴ったところに今度は肘を突き当てた。
「……グッ!」
「お前、力だけだな! もっと全体が見えるように『絶対殺す』って念じてから戦うのをおすすめするぜ!」
男はその場に倒れた。終わったか。背中を向けたとたん、気配が迫ってきた。
「なんてなぁッ! 死ねえッ!」
そんな気がしていたので、柄を後ろに向けておいた。男はまっすぐ進んできた。痛そうな音が聞こえる。
「クソッ。俺の戦法を見抜いてたのかよ……」
悶えている。
「ラーン!」
上空のランに合図した。彼女はゆっくり降りてきて言った。周りの人間は何も無かったようにただ歩いている。この状況が物理的に見えていないのか?
「どうなるかと思ったわ。どこで回復術なんて身に着けたの?」
「死んだあとかな」
彼女は長くなった髪を掻き分け、少し笑って言った。
「完全に記憶が戻ったみたいね。良かった。あと、昔見たときより強くなったじゃない。これは期待されるわけだわ」
「っへへ。完全ってわけじゃないけどね」
「さあ急ぐわよ。私のかわいい妹が死んじゃう前にね」
スーツ男が言った。
「お前ら。本当に人間じゃないのかよ。俺たちにそっくりなくせによ」
いつの間にか立ち上がっている。
「まだやるのかよ! 時間ないから相手したくないけど」
「いや、もういい。俺が弱いのは分かってる、今ので勝てないって確信した。そんなんで鍵をうまく使えてないからこんな選別作業やってるんだ。俺は今までそこそこの数の頭を握りつぶしてきたんだが、そいつらに共感することはなかった。でも、今だけはほんの少し共感してしまった。どういう理由かお前たちは人間みたいに見えるんだ。早く妹のところに行ってやってくれ」
「なんかよく分かんないけどありがとう。じゃあな」
俺とランはその場を去ろうとした。そのときだった。男は自分の頭を握りつぶした。残った肉体の後ろに誰かにいる。
「お前は間違いなく理想的な構成要素だった。歯車として申し分ない。だが、交換の時期だったみたいだな。完全無欠な社会のため死んでくれてありがとう」




