野生を忘れた街から出て
あれから1年が経った。あの旅行から生活は何も変わっていない。仕事をして、帰って、食べて、トイレして寝る。
今日は簡単な仕事のはずなのだが、頭がおかしくなりそうだった。文字を逆順に書いていく作業だった。かつての自分は毎日これをこなしていたのかと思うと尊敬する。帰り道、ビルの隙間から漏れた光が綺麗だった。
「キレイだな……」
ふと口に出して気付いた。最近独り言が多い。そして、頭痛がひどい。
真っ白なマンション。真っ白な部屋。真っ白なベッド。前はこんなに白くなかった。もっとカラフルだった。それが今は染み一つない。真っ黒なスーツを着ていると、自分がこの世界の不純物にでもなった気分だ。
「今日もお疲れさまでした。グレープ味のクリスタルを用意しています。お召し上がりください」
ぎこちない人工音声がそう告げる。前の音声の方が好きだった。最近クリスタルが美味しくない。胸が痛くなって涙が零れそうになる。なんとか胃に流し入れる。臭みを甘さと香辛料で消しているようだった。
「病院に行った方がいいか……?」
確実に何かがおかしくなった。病院に運び込まれる前、旅館で倒れたとき何かあったのかもしれない。あのとき、必死に何かをしていて、その後、女の人を刺した。あの必死な感じは夢だと思えないが、夢だったのだろうか。
「夢だったのか……?」
鏡を見つめてそう呟いた。灰色の瞳は狂気か。きっと狂気だ。
***
「夢じゃないわよ」
どこかで聞いた声だ。人工ではない。
「落ち着かない部屋ね。頭がおかしくなっちゃいそう。ここじゃ正気を保てないわけだわ」
ドアの方に誰か女の人が立っていた。誰だ?
「これ持ってて」
これは……槍? 何で? 頭に手を当てられた。すると、記憶が溶けていく。
***
「モレーン、あんまり先に行かないでくれ。リンが追いつけない。ランもだ、もう少しゆっくり。里の外だから、まとまって慎重に動かないと」
「カールお兄ちゃんが守ってくれるでしょ! それに、いざという時はランの術もあるわけだし! 何より私が指一本触れさせないわよ。私がこの辺りの捕食者ぜーんぶ倒してしまうんだから!」
モレーン呼ばれている少女が見える。自信満々な様子だ。
急に場面が変わった。雨が降っている。視界が水でぼやけている。
「モレーン!!」
再び場面が変わった。
この目は俺の目だ。先ほど見ていた灰色。鏡を見ているのか? いや、違う。別の人間の目だ。背が高く、槍を持っている。
「俺はカール・ベルグ。あれはランとリンだ。少なくとも数日は一緒にいることになることになるだろうから、よろしくな」
夢で見たデジャブの炎が目の前で揺れている。
「ああ……モレーン……」
「カール!」
目の前が真っ暗になって記憶が溶け切った。
***
「大体分かった? 期限は30分、出るわよ!」
いや、分かってない。でも、懐かしい感じがした。
「え?」
「この野生を忘れた街から!」
手を引っ張られたままドアを通る。そのまま外へ……。いや、ここは高所だった気が。




