補習
「う、なんか腹痛い」
「え?大丈夫?」
放課後になるなり、エドガーはそんなことを言い出した。仮病かと一瞬思ったが、背中を丸めて苦しそうにする様子に、さすがに心配になる。
「ちょっと休めば治ると思うから大丈夫」
「保健室まで付き添おうか?」
「いやいや一人で行けるよ。それよりお願いなんだけど、先生に俺が行けないってことを伝えてくれない?」
「分かった伝えておく」
「ありがとう、助かる......」
ふらふらと教室を出て行ったエドガーを見送ったリノアは、ふと気づく。
「あっルドルフ先生がどこにいるか聞くの忘れた......」
傍にいた生徒に聞くと、研究室だろうと教えてくれた。なぜそんなことを聞くのかと不思議そうな顔だ。
ドアをノックし、ルイスであることを伝えると、入れと短い返事が返ってきた。
「失礼します」
教室よりやや小さいくらいの部屋で、先生は書き物机に向かっていた。採点が終わったらしいプリントをトントンと揃えて片づける。
他にも4,5人呼び出されていたはずだが、姿が見えない。まだ来ていないのだろうか。
「他の者達なら、おそらく来ないだろう」
リノアの考えを読み取ったかのような言葉にぎくりとしつつも聞き返す。
「どういうことですか?」
「皆あの手この手で逃げたということだ。エドガーは体調不良か?」
「え、ええ。腹痛で来れないそうです」
先生ははっ、と失笑する。もしかして騙されたのか。
「あのー、実は僕も足が痛くて」
「ただの筋肉痛だろう?まったく貧弱なことだ」
当然だが補習は中止にはならないようだ。リノアは肩をすくめる。
「若いので筋肉痛がくるのが早いんです」
「いつから減らず口を叩けるようになったんだ?いいからそこに座れ」
ルドルフの正面に座るよう促される。説教が始まるかと身構えたが、出されたのは宿題のプリントだった。
「今やってみろ。満点をとれたならすぐに帰っても良い」
「......先生、分からないです」
「どの問題だ」
「......全部です」
ルドルフは無言で教科書を開いた。
「この数ヶ月いったい何を学んできたんだ」
「すみません」
リノアに一から教え直しながら、ルドルフはため息をつく。そこそこ真面目だと思っていた生徒がコレでは、怒りを通り越して呆れるのだろう。
気づけばみっちり1時間勉強していた。これでは授業を追加で受けたようなものだ。
「続きは明日だな」
「え、明日もですか」
反射的に聞き返すとじろりと睨む。
「当たり前だ。こんなスカスカな者を放って置けるか。言っておくが、エドガーより酷いからな」
そう言われてもエドガーの学力など知らない。
「あはは......もっと頑張ります」
「笑える状態ではないんだが?まったく、精霊語を学ぶ前にまず教えたことをきちんと覚えろ」
精霊語?授業で指名されたときの問題か。
「あれは勉強したわけじゃなくて、たまたま知っていたんです。昔友達から聞いたことがあって」
するとルドルフは怪訝そうな顔をした。
「お前の友人がそれを知っていたのか?妙な話だ。......確か君は王都出身ではなかったな?」
「はい。田舎町の生まれです」
「ふむ......田舎なら風習が残っていることもあるか」
リノアは何やら一人で納得しているルドルフに、ついでにアレンのことを尋ねてみることにした。
「あの、先生。質問してもいいですか?個人的な興味なのですが」
「何だ」
「人格が変わってしまうような魔法って、あるんですか?」
「......そんなことは聞いたことがない。あるとすれば、魔物に憑りつかれている場合が考えられるが」
「憑りつかれているかどうか、どう見分けるんですか?」
「簡単だ。聖水を顔面に浴びせるなり、十字架を押し付けるなりすれば何か反応を示すだろう」
思った以上に物理的な手段だ。違っていたら喧嘩に発展しそうだな。
ともあれ、参考にはなった。ルドルフに礼を言って退出する。
明日も補習となると、先輩に話を聞くのは無理そうだ。
なかなか上手くいかないな。気長にやるしかないか......。
しんとした廊下にリノアの足音が響く。それに微かに別の音が混じっているような気がして振り返った。
「......?気のせいか」