授業
ジリリンと置き時計が鳴る。
もう朝か。
ベッドからほぼ落ちるように離れ、身支度を整えて食堂へ向かう。まだ早い時間ということもあり、生徒は数名しかいなかった。カリカリに焼かれたベーコンエッグと新鮮なサラダ、パンの乗った皿をトレイで運び窓際の席につく。昨日のように賑やかな空間で食事するのも良いが、朝は静かな方が好きだ。
のんびりと朝食を取り終えて、続々と集まって来た生徒たちと入れ違いに食堂を出る。教室に行くまでまだ少し時間があるけれど、どうしようか。
一応早めに部屋を出た方が良いかな。私にとっては初登校なわけだし。
なるべくぼろを出さないよう、荷物を再度チェックして教科書にざっと目を通しておく。聞いたこともない言葉がつらつら並んでいて、少しも理解できないがまっさらな状態で授業を受けるよりマシだろう。
そろそろ時間だ。行こう。
部屋を出てすぐ誰かに呼び止められた。
「おいルイス」
同級生か?焦げ茶色の髪をしている少年だ。
「何か?」
「お前家に帰ってたんだってな。ママに泣きついてたのか?」
ママというか姉に泣きついてたな。やや正解だ。
何も言い返さないリノアに、少年は詰め寄って更に言う。
「また休暇申請出さないとな?まあ落ちこぼれのお前のことだ、次の許可はなかなか下りないだろうけど.....何だ、怒ってんのか?言いたいことがあるなら言ってみろよ」
ふうん。なるほどね。
きっとこういうこともルイスが学校に行きたくない理由の一つなのだろう。リノアは少年を鼻で笑い、頭を指差した。
「寝癖付いてるよ」
少年は一瞬ぽかんとして次に顔を赤くした。
「は、はぁ?」
「次はちゃんと鏡見てから話しかけてきてね」
戸惑っている彼を置いて、リノアはさっさと階段を降りて行った。
寮から校舎までの距離は、それほど遠くなかった。メモを片手に何とか教室までたどりつく。
教室の席は自由らしい。他の生徒はまだ3人しか来ていない。リノアは適当に空いている席につき、教科書を開いた。これから受ける授業は魔術理論とか言うようだ。教科書には見たこともない言葉が並んでいる。
ルイスは普段こんなに難しいものを勉強してるのか。
感心していると、1人の男子生徒が話しかけてきた。
「おはよ~!なあ、課題やった?」
そう言って前の席に座る。赤い髪に茶色の目、気さくな感じ、とリノアは特徴を頭の中で挙げる。当てはまる友人は......エドガー?寮生ではないと言っていた気がする。
「課題?」
「そう!休みの前に出されただろ?見せてもらえないかなーなんて」
手を合わせて申し訳なさそうに言うが、リノアは初耳だ。
「えーっと、どんなのだっけ」
「このプリントだよ」
全く見覚えがない。部屋に忘れて来たかもしれない。
リノアの様子を見て、エドガーはニヤニヤ笑う。
「もしかして、忘れた?あーあ。ルドルフ先生マジで怖いのに」
「どうしよう」
今から戻ったら授業に間に合わない。頭を抱えると、エドガーがリノアの教科書を指して言う。
「そこに挟まっている紙は違うのか?」
「え?」
確認すると確かに宿題のプリントだった。
「良かっーーあ?」
ほっとしたが、白紙の解答欄が目に入りリノアは固まった。覗き込んできたエドガーが、あちゃーと声をあげる。
「真っ白じゃん」
ルイス。帰ったら説教な。
リノアは死んだ目でプリントを見下ろした。
「未提出者は放課後私の所へ来い」
授業前にプリントを集め、リノアとエドガー、他数名の生徒は冷たい目をした先生にそう言い渡された。
「それでは授業を始める。今日はこの前の続き、125ページからだ」
リノアは言われたページを開く。ちらりと他の生徒を見ると、始まって間もないのにもう寝そうになっている人が数名、残りも退屈そうにしている人が多かった。
無理もない。ほとんどの人間は魔術を扱えないのだから。魔術師になるには魔力量が少なすぎるののだ。使えないものを真剣に学ぶ気が起きない気持ちは分かる。
「魔術式は一種の言語だ。何となく使うのではなく、きちんと意味を理解するように」
先生は話しながら黒板にチョークを走らせる。
「これは先週教えたものだ。これで何ができるか覚えているか、エドガー」
「へあっ!?」
まさか当てられるとは思っていなかったのだろう。エドガーは変な声をあげてびくりと反応した。
「えーっと.....火?」
眉を寄せた先生を見て慌てて言い直す。
「じゃなくて、水?を......出す?」
習ったことを思い出すというより、顔色を読んで当てずっぽうで答えている気がする。
先生は小さくため息をついて言う。
「まあいいだろう。正解だ」
術式の下に答えを書き足した。エドガーはほっとしたように肩の力を抜く。
当てられなくて良かった、とリノアは思う。基礎知識が無いので当てずっぽうすら難しいのだ。
「我々が使うのは大抵この形式の術式だが、種族によっては異なったものを使う場合がある。例えばーー」
一旦言葉を止めて黒板に書いたのは、先程のものとは少し違った術式だ。どこまでが1つの単語なのかまるで分からない。
というのも、模様のようだったからだ。文字と知らなければ刺繍のデザインだと思っただろう。
「これは精霊が使う言語だ。エルフなどはこの形式を使うことが多い」
先生はそこに二本線を縦に入れて区切るようにした。
「全体としては、力を借してほしいと精霊に呼びかける意味になる。ではこの区切った部分の意味を......ルイス、答えてみろ」
「えっ」
「予想でいいから答えてみろ。どんな意味だと思う?」
どんなって......。
リノアは文字の区切られた部分をじっと見て考える。すると、何か引っ掛かりを覚えた。
これ、前にどこかで見たような。確か意味は......。
「友達」
思い浮かんだままに声に出すと、先生は目を瞠った。同時に教室の後方からくすくす笑う声が聞こえた。
「流石ルイス、お花畑だな。全体の意味が分かってるんだからそのどれかの単語だろ」
小声だったがしっかり聞こえてむっとする。
しかし先生は意外そうにリノアを見て言った。
「正解だ。精霊語は直訳すると意味が変わるものが多々ある。全体の意味は分かるか?」
「ええと。友達になりましょう、だったような」
答えながら、幼い頃の記憶がフラッシュバックする。
『これは”友達“の意味』
誰かが木の枝で地面に書いた、模様のようなものの一部を指す。
『困ったとき、気分次第だけれど手を貸してもらう方法だよ。覚えておくといい』
タダで助けてくれるの?とリノアは尋ねる。
『そうだね。タダでもいいけど、きちんとお礼をすると次も助けてくれるかもしれないよ』
沈んでいた意識は、先生が手を叩いた音で引き戻された。
「その通りだ。よく知っていたな。ーーだが宿題の未提出は許さん。忘れずに放課後来るように」
やっぱり未提出者を指名していたのか。上げて落とした先生の言葉に、どっと教室で笑いが起こった。