話したいこと
風呂からあがったリノアは、自室の明かりが点いていることに気づいた。まさか、と思いゆっくりとドアを開ける。
「......はあ」
案の定、アレンが待っていた。
「ごめん。勝手に入るのはどうかと思ったんだけど、お義父さんが」
「そんなの今更でしょ。何を気にしてるの」
アレンが勝手に部屋に入るのはよくあることだ。今更いちいち怒る気にもならない。ただ呆れているだけだ。
リノアは再度ため息をついて、書き物机の椅子に腰を下ろした。
「で、何の用?」
アレンは何か言いたそうな、複雑そうな顔をしたが、結局それを飲み込んで懐からハンカチを出した。
「確認したいことがあったんだ。これなんだけど」
ハンカチに包まれていたのは指輪だった。やや古いデザインだが、繊細で美しいものだ。
「それ!無くしたと思ってたのに」
「やっぱりリノアのだったか。俺の荷物に紛れ込んでてさ」
リノアは指輪を手に取り、傷がついていないか確認する。幸いにも、なくした時と同じ状態だった。荷物に紛れ込んでいたという言い分には納得しかねるが、こうして無事に帰って来たのだから、問い詰めることもないだろう。
「......ありがとう。大事なものだから、見つかって良かった」
「聞きたいことっていうのは、その指輪をどこで手に入れたかなんだけど、覚えてる?」
「昔、友達にもらったものだけど。どうしてそんなことを知りたいの?」
「いや、単純に気になって。こういう骨董品は結構値が張りそうだし」
確かにこういった装飾品に詳しくないリノアにも、この指輪は高価そうに見える。細かな装飾があり、中心には綺麗な緑色の石がはめ込まれている。ただの町娘が買えるようには見えない。
「私が盗んだんじゃないかって?あなたじゃないんだから、そんな訳ないでしょ」
わざと意地悪な言い方をすると、アレンは目を丸くした。意外だ。怒るかと思ったのに。
「アレン?」
「あ、いや。ボーっとしてただけ。疲れが出たのかもな」
「......来た時から思ってたんだけど、なんだか変だよ」
「変?」
「態度もそうだけど、なんていうんだろう。雰囲気が違うというか。中身だけそっくり入れ替わっちゃったみたいな......」
リノアはたどたどしく自身の感じたことを説明した。本人は厳しい学園生活で矯正されたと言っていたが、どうしても信じられなかった。
「あんたのことは嫌いだけど、一応赤の他人じゃないし。何か事情があるなら教えてよ。力になるとは言わないけどさ、相談に乗るくらいはできるから」
アレンは困ったように微笑んで、座るリノアと目線を合わせるようにかがんだ。
「大丈夫。リノアが心配することは何もない。一年も会ってないから、色々変わってて驚いたかもしれないけど、どうか今の俺を受け入れてほしい」
穏やかな声色からは、上部だけでない優しさを感じた。眼差しにも、リノアへの思いやりがある。
リノアは、そうなの?分かった、と言ってしまいそうになる口を引き結んだ。ただの思い過ごしじゃないか、婚約者がまともになって良かったじゃないか、と思う一方で、いや待てと強く訴えかける自分がいるのだ。
こいつの言葉を信じて良いのか?私は学園でのアレンを知らない。けれど、それ以前のことならよく知っている。嫌々ながら一緒に過ごしたその時間が、流されそうになる思考を押しとどめていた。
アレンは口が悪くて、頭も悪くて、気遣いなんてできなくて、かろうじて良いのは顔だけで、クズで、どうしようもなくて。
......目の前にいるこの男は、誰だ?
急に目の前のアレンが全く別の人に思えて、背筋が寒くなるのを感じた。
「と、とにかく。今日はもう遅いから帰って。一年ぶりだっていうのに、うちに入り浸ってたらおばさんたちに悪いでしょ」
「え?今日は泊まって行けって」
「いいから帰れー!」
リノアは強引にアレンを押して、部屋から締め出す。足音が遠ざかっていくのを聞いて、リノアはぼすんとベッドに倒れ込んだ。
全然よろめいてなかったな。もう私が押してもびくともしないくせに、大人しく出て行くとか......本当に、らしくないよ。
翌日、リノアは友人のナナにアレンの異変を相談していた。女子に囲まれているアレンを、遠巻きに眺める。
「ね?変でしょ」
「確かに変ね。全然女の子を口説いてない」
以前のアレンは、隙あらば女性を口説き、何又もかけるクズだった。しかし今はどうだ。手を握ることもなければ、頬にキスもしない。にこにこ笑って話を聞くだけだ。
「......気持ち悪い」
眉間にしわを寄せるリノアを見て、ナナは笑って言う。
「本当に心を入れ替えたのかもしれないわよ。これなら、結婚するのに何の問題もないじゃない」
「いやいやいや、嫌だから。絶対に嫌だから」
「リノア」
突然名前を呼ばれ、ぎくりとして振り返ると、そこにいたのはアレンだ。
「あら久しぶりね。アレン君」
「......あー、久しぶり」
絶対ナナの名前忘れてるな、こいつ。
「びっくりした。急に話しかけてこないで。何の用?」
女子の集団が嫉妬のこもった目でこちらを見ている。顔だけ・・は良いからな、この男。
「昨日あまり話せなかったし、今から2人でゆっくり話せない?」
2人きりというのはまずい。この町には、アレンが遊んで捨てた女子が山ほどいるのだ。怒りの矛先が、私に向かないとは限らない。
「無理」
拒否すると、困ったような表情になって言う。
「明日の朝には出立しないといけないから、今日しかないんだ。いいだろ?」
リノアは小さくため息をついて言う。
「......ナナも一緒なら。あと場所も私に決めさせて」
やってきたのは行きつけのカフェだ。リノアはメニューをざっと確認して、一つを指さした。
「新作のベリーパイ。奢ってくれるなら、お喋りに付き合ってあげる」
アレンは苦笑する。
「奢らせるつもりでここを選んだのかよ。ナナは?どうせならまとめて奢るよ」
「本当?じゃあ私はパンケーキで」
ベリーパイにざくりとフォークを刺してナイフをさしこみながら、それで?と尋ねる。
「学園生活はどう?とでも聞けばいいの?でも私と話したいなんていうのは、彼女たちから逃げる口実でしょ」
アレンは何も言わず笑ったが、つまりは肯定だ。進んで女子の集団に突っ込んでいく男が、どうしてこんなに硬派になるのやら。
「まったく。無理に話そうとしなくていいよ。別に興味ないし、私はスイーツ食べられれば満足だから」
「悪い。ナナも巻き込んでごめん」
「いいのよ、私のことは気にしないで。でも本当に驚いた。別人みたい」
「そうか?会う人みんなに言われるけど、自分じゃそんな気はしないんだよな」
くすりと笑って紅茶を一口飲む。見たことはないが、例えるならまるで貴族のような綺麗な所作だった。
「俺がいない間、リノアはどんな様子だった?」
「別に普通よ。むしろ悩みの種が居なくなって喜んでたわ」
アレンはやや複雑そうな顔をした。なんだその反応は。寂しがっていたら逆に変だろう。私達の場合。
「学園って貴族の生徒もいるのよね?やっぱり私達とは違うのかしら?」
ナナはリノアと違って真っ当な女の子だ。綺麗な服を着て優雅に暮らす令嬢というものに憧れがあるのだろう。
「うーん。俺が見た限りでは、同じだったよ。貴族だろうが平民だろうが、皆同じに見えた」
「えー?でもやっぱり滲み出る気品はあるわよきっと」
「気品ね、貴族が皆優秀で高潔ってわけじゃないんだよ。血筋だけが取り柄のドブネズミもいる」
アレンらしくない言葉に、思わずリノアは顔を上げた。いや、暴言を吐くという意味では、ら・し・い・か。ただ、話し方が理性的な分、妙にひやりとした。
ナナも驚いたようで、恐る恐る顔色を伺う。
「ア、アレン君?」
「あ......悪い、言葉が乱暴だった。つい、友人と話す感覚で......ほんとごめん」
「ううん、気にしないで。紳士的になってもやっぱりアレン君はアレン君ね。逆に安心したわ」
今の言葉で、ナナは完全にアレンが本人であると信じたようだ。暴言で正常だと判断されるのはどうかと思う。
「何だ。今日はアレン君居ないのか」
帰宅した父は残念そうだ。
「どうせリノアが来るなとか言ったんじゃないか?」
確かにそうだが。
「リノアは意地っ張りだから。アレン君くらい素直になってくれるといいんだけど」
なるほど。母はアレンの態度の変化を、素直になったと解釈しているらしい。無理があるだろう。頭打って人格変わったと言われた方がまだ信じられる。
「ほかにお前を貰ってくれる男なんていないんだから、愛想つかされないようにしなさい」
リノアの男勝りな性格は町中の人が知っている。おかげで異性からアプローチされた経験など全くない。
対して弟のルイスは気弱で、小さい頃は虐められているところをよくリノアが助けたものだ。
「お前たちは性格が逆なら良かったんだがなぁ」
リノアとルイスは聞こえないふりをして目を逸らした。