人外の助け
体のあちこちがずきずき痛む。リノアは腕を支えに上体を起こした。
「何が......」
顔を上げた先に、開けた外の景色が見える。風がぶわりと顔に当たった。壁の一部が吹っ飛んだのだ。
「さっきのは爆弾――アレン!?」
偽アレンが壊れた床の側に倒れている。その片足がだらりと空中へ落ちる。じりじりと重力に従って体が外へ投げ出されようとしていた。
「危ない!」
腕を掴んで全力で引っ張り、なんとか落下を阻止する。ほっとして息を吐くが、すぐにその手の冷たさに顔を青くした。
「アレン?死んでないよね。アレン!」
偽アレンはひどく重たそうに目を開けた。呼吸が浅い。今にもこと切れてしまいそうに見えた。
「大丈夫だ。応急処置はした」
言われて首の傷口が凍りついていることに気づく。
「で、でも血が」
血の混じった氷の端からは、まだダラダラと肌を伝って零れ落ちている。
「待っててすぐに人を......あっ!エルシャが、エルシャも大変なの!多分骨が折れてて。エルシャはどこに」
エルシャの姿を探そうとするが、アレンが激しくせき込んだ。慌てて目線を戻すと出血がさらにひどくなっている。
どうしよう。これじゃ本当に死んじゃう。
何かにせき止められたように頭がうまく回らない。焦るリノアの手を取って、偽アレンは呼びかけた。
「リノア」
「......え」
気づかれていた?
「聞いてほしい。俺は、君の婚約者じゃないんだ。この姿も偽物で、赤の他人――」
一息に言い切ろうとするのを遮る。
「とっくに知ってた!赤の他人だから死んでも気にするなって、そう言いたいの?ふざけないで。絶対に死なせない!」
どうすれば。どうすれば助けられる?今すぐ医者を連れて――ダメだそれじゃ間に合わない!
思考はまた元の場所をぐるぐる回る。
「誰か!誰か助けて!お願い誰か!」
偽アレンは意識が無くなり、体がどんどん冷たくなっていく。必死の叫びはむなしく響くだけだ。
いや、それに応える者たちがいた。不定形の影がゆらゆらと揺れる。顔を上げると、そこにいたのは先日会った精霊と、もう一体の別の精霊だ。ぷるぷるとした水のように見える。
「この人を助けて!お願い、あなた達しかいないの!」
するとぷるぷるの精霊はぱちんとはじけた。細かな水の粒となってリノア達の周りを回る。それは段々と激しさを増し、辺りが見えないほどになった。水流の中に取り込まれたリノアは、自身の体から何かが抜けていくような感覚を覚えた。
なに......?力が抜ける。
体を起こしていられず、座ったまま倒れそうになるのを手をついて耐える。視界がぼやけてきたとき、水流は穏やかになり、またぷるぷるの水の塊へ戻った。偽アレンを見ると顔色はもとに戻り、心臓もしっかり動いている。
「ありがとう。助かってよかった......」
ぐらりと視界が回転し、リノアが意識を保っていられたのはそこまでだった。
****
意識を取り戻したとき、リノアはベッドの上にいた。ここはどこだろう。カーテンをそっと開けてのぞいてみる。ソファに行儀悪く寝そべっていたアレンと目が合った。アレンはスタスタこちらに来て、無遠慮にカーテンを開け放つ。
「起きたか。どこか痛いとかないか?」
「それはないけど......本物の方だよね?」
「見りゃ分かんだろ。学園のお偉いさんが話を聞きたいらしい。つってもお前と一緒にいたやつからほとんど聞いたからすぐ終わる」
一緒にいたやつって、エルシャのことか。良かった、無事なんだ。
アレンは親指でくいと後ろを指した。アレンの居たソファの向かいに優雅に腰かけている銀髪の男性がいた。
え、お偉いさんの目の前で寝っ転がってたの。
幼馴染の胆力にドン引きしつつ、ベッドを降りようとすると男性に止められる。
「そのままで構いませんよ」
目の前まで来た男性は、思いのほか若かった。青年といっても通用しそうな美形だ。
「初めまして。学園長のルジアス=イオロンと申します」
えっ学園長?
「初めまして。私、いや僕は」
「大丈夫ですよ、リノアさん。事の次第は聞いています。貴方を責めるつもりもありません」
リノアはほっとして肩の力を抜いた。
「全部ご存じなんですね。では聞きたいことというのはいったい?」
「アレンさんと入れ替わっていた彼のことです。少し目を離した隙に姿を消してしまい、行方が分からないのです」
「怪我は、大丈夫なんでしょうか」
「ご心配なく。傷一つなかったそうですよ」
あの精霊たちのおかげだ。
「行方に関しては特に心当たりはありません。彼が何者なのかも結局分かりませんでしたし」
ルジアスはその答えをさほど興味なさげに言った。
「おそらく他国の諜報員でしょう。魔術研究の成果を横取りするために潜んでいたのです。それよりも気になるのは彼の傷です。致命傷を負ったはずが何故元気に逃亡できているのか......あなたが治したのではありませんか?」
青い瞳は興奮できらきらと輝いている。リノアが答える前から確信しているようだった。
どうしよう。犯罪者の逃亡を手助けしたってことになるのかな。ここはしらばっくれた方が......。
「すみません。分からな――」
「否定せずとも良いのですよ。今回の件であなた方が罪に問われることは一切ありません。正直におっしゃってください」
真実を語らせようと、不安をなくすがリノアはまだためらっている。魔術に詳しくないリノアには、どこまでが明かしていい情報か判断がつかないのだ。するとルジアスは焦れたように言う。
「私の予想ですが、精霊が関わっているのではありませんか?」
目をわずかに瞠ったリノアの反応を見て、笑みを深める。
「やはりそうなのですね。一体どうやって契約を?癒しということは水の精霊でしょうか?いつ出会ったのですか?」
前のめりに問いを投げかけるルジアスを、アレンが横から手を出して止めた。
「学園長。リノアはついさっきまでぶっ倒れてたんです。気づかってやってくれませんか」
「......失礼。長いこと精霊術師を見ていなかったもので。話を戻しましょう。私は貴方にある提案があって参りました。リノアさん、学園に編入しませんか?」
「......はい?」
唐突過ぎる誘いに、思考が停止しかけた。私が学園に入る?なんで?
「具体的には魔術科に特例で編入することになります。魔術科に入れば学費も免除されますし、ご友人のエルシャさんと勉学に励むことができますよ」
「いや、そんなことして良いんですか?私はそもそも魔術使えませんし」
ルジアスは美しい笑みを浮かべて断言した。
「良いんです。魔術を使えずとも問題ありません」
「大丈夫かこの学園長」
壁に寄りかかったアレンが呆れて言う。リノアも同意見だ。この人、発言がだいぶおかしい。先程からリノアを精霊術師と称しているが、自分はそんなたいそうなものじゃない。運よく通りかかった精霊の助けを得られただけだ。都合よく魔術を行使してもらうことなんてできない。
「貴方が助力を求め、精霊が一度でもそれにこたえた。この事実だけで、精霊術師としての素養は認められます。前例がないので籍は魔術科に置きますが、彼らと同じことができる必要はないのです」
えぇ......。周りを騙しているのと変わりない気がする。
断ろうとしたリノアより先に、ルジアスが言う。
「今すぐ決めろとは言いません。ゆっくり考えてみてください。それでは私はこれで」
颯爽と去って行った。何だったんだあの人。入れ替わるようにロッドとエドガーが入って来る。どちらも何とも言えない表情をしていた。最初に口を開いたのはエドガーだ。遠慮がちに尋ねてくる。
「えっと、ルイス......じゃなくてお姉さんなんだよな。体は大丈夫、ですか?」
「同い年なんだから普通に話してくれていいよ。心配してくれてありがとう。この通り元気。それから騙しててごめんね。私は双子の姉のリノアっていうんだ」
「初めまして、ではないか。ははは......俺、男だと思って雑に接してたよな。虐めから守ることもできなかったし......」
「ううん。エドガーみたいな優しい人がルイスの友達だって知って安心したよ。ルイスのこと、これからもよろしくね」
エドガーはもちろんだと頷いた。次にちらちらとアレンを見ていたロッドが口を開く。
「あー、友達だと思ってた奴が偽物だったって聞いて、正直混乱してるんだけど、同室としてまたいい関係を築けたらと思うよ」
ぎこちないながらも精いっぱいの笑顔を向けられたアレンは真顔で言った。
「誰だお前」
ロッドは膝から崩れ落ちた。彼にとっては偽物のままの方が良かったのかもしれない。
「アレンの同室のロッド先輩だよ」
「同室?そういやいたな、そんな奴。顔覚えてねえけど」
「いいさ、分かってた。ルイ、じゃなくて君に手紙だ。寮母から渡すよう頼まれた」
「手紙ですか?」
きっとルイスからだ。リノアは受け取って封を切る。
『手紙読んだよ。学園でいろんなことがあったんだね。やっぱり姉ちゃんは凄い!僕ができないことを簡単にやってみせるんだもん。早く直接話を聞きたいよ』
文字を追いながらふっと微笑む。この様子なら、また学園に通えるだろう。
『けど、一つ言っておかないといけないことがあるんだ。怒らないでね。僕がルイスだってバレちゃった。それからもう一つ。ナナと結婚することになったよ!学園にも戻らない!』
「はぁ!?」
病室にリノアの素っ頓狂な声が響いた。




