襲来
この三日間、偽アレンと話すことがあればどうしようかと思ったが、彼と会うことはなかった。代わりにロッドと顔を合わせる機会があったが、ここのところ偽アレンは忙しくしているらしい。夜遅くにこっそり帰ってくることもあるという。犯罪者かもしれないと知った今、素直に心配ですねとは言えなかった。
そうして帰宅の許可が無事に下り、昼食後リノアは学園内を散歩していた。
「ルイス!」
息を切らしながら駆け寄って来たのはエルシャだ。
「何してるんだこんなところで!学校中探し回ったんだからな!はあ、ふう。まあいい、今度こそお前が魔術を使えると証明してみせる!」
「あぁそれ解決したよ。原因分かった」
「は!?」
どういうことだと言いかけて、また息が切れて必死に呼吸しながら目で訴えてくる。
「多分だけど精霊が助けてくれてたみたい。本人に会って一応確認したんだ」
エルシャは何言ってるんだこいつという表情になった。
「そんな馬鹿な――」
エルシャの言葉は爆音でかき消された。次に校舎全体が大きく揺れ、リノアはよろめいた。
「何だ!?」
床に膝をついたエルシャは舌打ちをして立ち上がり、周囲を見渡す。
「今の揺れは」
「分からない......いや、確か今日は魔術師団が貸し切りにしている場所があったはずだ。もしかしたら実験中に何か起こったのかもしれない。確かめに行くぞ!」
「え?待ってエルシャ!」
走り出したエルシャを慌てて追いかける。
同じとき、城下街で荷運びをしていたアレンもこの爆音を耳にしていた。
「何だ?今の音。学園の方から聞こえたみたいだったが」
学園と聞いた途端、リノアと無意識に呟く。アレンは抱えていた荷を放り捨てて駆け出した。
「オイこら新人!待て!!」
「すんません無理っす!」
後ろから怒声が飛んでくるが、持ち前の脚力で振り切る。学園の方から立ち上る黒煙を目にして、嫌な想像がよぎった。いや、生きてはいるはずだ。爆発で運悪く死ぬような人間じゃない。それよりもあり得るのは、自ら危険に飛びこむ行動だ。
頼むから面倒に首突っ込むんじゃねえぞ!
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「ここだ」
エルシャが重い扉を押し開ける。中は教室よりやや広い空間だった。まず目に入ったのは床に倒れている魔術師たちだ。
「大丈夫ですか!?」
一人に駆け寄って呼びかける。顔が青白く、意識が無い。ぎょっとして脈を診ようとした瞬間、乾いた唇から息が漏れた。
「だ......団長。休みが、休みがほしいです......」
それだけ言うとガクリと力が抜けた。
「え?」
冷静になって見ると魔術師たちはすーすーと寝息を立てている。分厚い本を枕にしている者もいた。呆れて肩の力が抜けた。
「睡眠不足で倒れてただけ......」
「いや、いくら不眠不休で働かされていたにしても、全員いっぺんに倒れるのはおかしいだろ」
確かに。ならどうして?
気を引き締めて周囲を警戒する。辺りを見て気づいたが、床に雑に置かれた本や紙の山に囲まれた中央の床に、大きな図形が描かれている。手近な紙束に目を通していたエルシャが興奮した声をあげた。
「この魔術式!見てくれ、古代魔術の復元に成功したんだ!」
「見せられても分からないんだけど」
だが何の為にここを貸し切りにしていたのか分かった。実際に使えるか試したかったのだろう。
なにも学園でやらなくてもいいでしょうに。何か起きたらどうするつもりだったんだか。
「そうだ爆発!結局ここが原因じゃなかったんだよね?」
焦げた跡などは見当たらない。実験に失敗してドカンというわけではなかったようだ。ひとまず教師の誰かにこの惨状を伝えなければいけない。
紙束を持ったエルシャに尋ねる。
「それ持っていくの?」
「ああ、これは貴重なものだぞ。この状況で置いて行くわけにはいかない」
リノアはへー凄いんだーくらいの感想しかないが、魔術師にとってはお宝なのだろう。
しかし廊下へ出ようとした2人を呼び止める声があった。
「待った。それは置いて行ってくれ」
振り返るのは、そこにいたのは偽アレンだった。いつからそこにいたのだろう。全く気配がなかった。エルシャが警戒した様子で尋ねる。
「何だお前は」
「君の持っているそれに興味があってね。見せてくれないか?」
リノアが止めるまでもなく、エルシャは即答で拒否した。
「お前のような怪しい奴に渡すわけがないだろう。爆発を起こしたのはお前か」
「いや、それは知らない。俺の上司は荒っぽい手段を好まないからね。多分、同業者の仕業だろう。彼らがここにくる前に渡してくれないか。俺としては、君たちに怪我をさせたくはないんだ」
エルシャは紙束をリノアに渡して、庇うように前に出た。そのとき、ドアが吹っ飛んで壁に激突した。ドアと共に飛んできたのはなんと人だ。壁にもたれかかるように倒れた彼はピクリとも動かない。そして入口からは数十人の顔を隠した者たちがなだれ込んでくる。
「あ~、もう来た。参ったな数が多い」
心底面倒くさそうに偽アレンは言い、不審者たちの方へ何かを投げる。それはしゅううと煙を吐き出した。あっという間に煙で何も見えなくなる。真っ白い視界の中で、リノアはぐいと手を引かれた。とっさに紙束を持った方の手を伸ばし、指先に引っ掛けたのはおそらくエルシャの襟首だ。
「ぐえっ」
「ごめん!」
誰かに引っ張られるまま、二人は煙の立ち込める空間を脱出した。屋根の上に着地し、振り返るとガラスが綺麗に吹っ飛んでいる窓枠から煙がもくもくと出てきている。
「こっちだ。急げ」
バランスを崩しそうになりながらなんとか偽アレンについて行く。体力の無いエルシャは苦しそうだ。偽アレンが片手を振ると行く先の窓ガラスが吹っ飛び、そこから廊下に入る。
「お前たちはここから玄関の方へ行け。他の生徒に紛れてしまえば手は出されないだろう」
はっと気づくと持っていたはずの紙束はアレンの手元にあった。
「いつの間に!返して!」
「駄目だ。これ以上首を突っ込むな。怪我じゃ済まなくなる」
まただ。偽物の癖に、なんでそんなに思いやりのある目を向けてくるんだ。それも演技なのか。
「おい!追ってきてる!」
エルシャの声で、はじかれたように振り返る。まだ距離があるが、不審者たちの一人が屋根を身軽に走って来ていた。
「ああ。俺が相手をしている間に行け」
「行くぞルイス!」
エルシャがリノアの手を取るのと、それは同時だった。
甲高い音を立てて、砕け散った光が落ちてくる。たった今、防御魔術を行使したアレンは冷や汗を浮かべた笑みで呟いた。
「獣人か」
ありえない跳躍力だ。あの距離から脚力のみで突っ込んできたというのか。リノアは頭を振って混乱から立ち直り、硬直しているエルシャを揺すった。
「逃げるよ!」
フードが脱げて見えた敵の顔は少年のようだった。普通と違うのは、狐のような耳が生えていることだ。彼は短剣をカチャカチャ言わせながらリノア達を目の端に捉え続けている。
「探し物を持っているのは俺だ。一般人を殺す必要はないだろう?」
「......全員殺して持ち物を全て確認したほうが確実だ」
「随分と頭の悪いやり方だな」
「煽るなこの状況で!」
リノアはたまらず突っ込んだ。偽アレンの強さは知らないが、戦えない二人がいる状況でこのヤバそうな奴を相手にできるとは思えない。
金属のぶつかり合う音が何度も響く。こちらは防戦一方だ。
ここを離れないと。
僅かに動いた途端、狐耳がリノア目掛けてナイフを投げる。エルシャの防御魔術で間一髪ガードできたものの、アレンの注意が逸れた。
「グッ!」
リノア達に目線が向いた一瞬の隙を突かれ、その首が切り裂かれる。リノアは目を見開き、呆然とその光景を見上げた。アレンはがくりと膝をつき、流れ出した血が床を赤く染めていく。
「次はお前たちだ」
ゆっくりと近づいて来る狐耳に手を向け、エルシャが叫ぶ。
「死んでも恨むなよ!」
狐耳がはっと気づいて頭上を見上げるのと同時に、氷の塊がクリーンヒットする。ぐらりと体が傾いた。やったか、と思えたのは一瞬だった。ばね仕掛けの人形のように体勢を戻し、額から血を流しながら不気味に笑って見せたのだ。
「......痛え」
一歩で距離を詰めた狐耳はエルシャを蹴りつけた。左腕からみしりと嫌な音がする。壁に叩きつけられたエルシャは声を途切れ途切れに漏らしながら全身をふるわせた。
「エルシャ!」
悲鳴交じりの呼びかけにも反応が見られず、目の焦点が合っていない。
「最後はお前だ」
震える足を気合で動かし、その一撃を避ける。続く攻撃を必死にかわす。狐耳は執拗に首や心臓を狙ってきていた。
「このっ、一般人だって言ってるでしょうが!手加減しろ馬鹿!」
恐怖で気絶しそうだが、大声を出してごまかす。しかしずっと足の感覚がふわふわして、吐き気とめまいが消えてくれない。
ちゃんと動きを見なきゃ。あのときの刃の潰された剣とは違う。少しでも掠ったら致命傷になる。
背中に冷たいものを感じながらぎりぎりで避け続ける。狐耳がイラついたように舌打ちした。
「手間取らせるな!」
あっ、切られる。
目と鼻の先に迫った刃がぎらりと白く光った。しかし寸前でその光は離れる。狐耳は頭を腕でガードしている。その袖はわずかに燃えていた。
エルシャだ。伸ばされた彼の手はぱたりと床に落ちた。
狐耳は飛びのいてバタバタと袖を払う。
「クソッ!......あっ」
懐からころんと何か落ちた。それを火の粉が掠める。光が迸り、次の瞬間には視界がめちゃくちゃになった。




