王都のカフェ
黒って一種類じゃないんだ。
綺麗に陳列されたインク瓶を眺め、リノアは思う。タグを見ると一つ一つ違う名前が付いているのだが、正直ほぼ同じに見える。少し迷って、手前のインクを手に取った。次にノートが並んでいる方へ行く。こちらも種類が多い。
今度は迷わず一番シンプルなノートを手に取る。デザインが無い分安かったからだ。
あとは封筒と便箋だな。
買い物は済んだがこのまままっすぐ帰るのもつまらない。
せっかく王都にいるんだから、珍しいスイーツとか食べてみたいな。
目に付いた洒落た外観のカフェに入ってみる。店内は落ち着いた雰囲気でリラックスできそうだ。席に案内されたリノアはざっとメニューを確認する。
パフェ?なにこれ初めて見る。
大量のフルーツとクリームが驚異のバランス感覚で盛られている。非常に食欲に訴えかけてくる見た目だ。食べきれるか怪しいが、半ば衝動的に注文する。
「それと、持ち帰りでこの......カヌレ?とかいうのもお願いします」
「はい。かしこまりました」
楽しみだな。どんな味なんだろう。
どきどきしながら、窓の外を眺めて待つ。
「アレンもひとくちどーぞっ」
不意に耳に入った言葉に、ふわふわした幸せな気持ちは一気に引き締まった。いやよくある名前だ。同名の他人だろうと思いつつ、声のした方のテーブルを見る。
本人だった。
彼女らしき女性といちゃついている。女性の前にあるのは今さっきリノアが注文したパフェではないか。口元にスプーンを差し出されたアレンは、優しくそれを奪い取る。
「俺甘いの苦手なんだよ。チルが食べて」
逆にアレンに食べさせられ、女性は頬を染めてはにかんでいる。
待て待て待て。頭が追い付かない。何この状況。品行方正になったのは学園内限定ってこと?外だと今まで通り遊ぶって?よくバレなかったな、そのクズさ。
一気に脱力感を覚える。そのとき、呆れていたリノアとアレンの目が合った。笑顔が一瞬にして凍りつく。
「どうしたの?」
「い、いや......悪いけど今日はこれで終わりにしない?」
「えー!久しぶりなのに何でそんなこと言うの」
まだ一緒に居たいという彼女に、アレンは少し考えて言う。
「ユージーンがチルに会いたがってたし、たまにはかまってやれよ。俺ばっかり独占したら悪いだろ?」
「しょうがないなぁ......絶対また会ってね!」
「もちろん」
にこやかに手を振って彼女を見送る。代金はアレンのおごりのようだ。ドアが閉じると同時に、アレンは真顔になってリノアの方にスタスタと来る。座ったまま見上げるアレンの顔は、学園での彼とは違って見えた。表情一つでこうも軟派に見えるのか。
「別に帰さなくても良かったのに。他人のふりしますし、先輩の人間関係に口出しする権利は僕にありませんから」
逆切れするかもしくは言い訳するかと思ったが、アレンは怪訝そうに言う。
「は?何言ってんだお前。つうかその口調なに?キレてんならそう言えよ」
「え?」
「その格好も......ルイスの真似かよ?」
上から下まで無遠慮に見られて、リノアは困惑しながらあれ、と思う。
ルイスじゃないってバレてる?
「あの確認なんですけど、僕が誰か分かってます?」
アレンはこちらの頭を心配するような顔をしたが、素直に答える。
「リノアだろ?お前大丈夫か」
見破られた。何で急に?それとも最初からバレていた?
遠慮がちな声が割って入る。注文したパフェを運んできた店員だった。
****
「で、どういうこと?」
クリームとフルーツをスプーンですくいながらリノアは尋ねる。もうバレているので丁寧な口調は元に戻っている。アレンは当然のようにリノアの向かいに座った。ふわりと嗅ぎなれないコロンの香りがした。
「どうもこうも、聞きたいのは俺の方だ。なんで王都にいんだよ。せっかくおっさんの目盗んで帰って来たってのに、お前がいたら楽しく遊べないだろ」
「はあ?真面目になる宣言しておいてよくもそんなこと」
「いつ俺がそんなこと言ったよ?第一、俺が真面目になれると思うか?」
「思わない」
即答した。そうだこいつはそういう性格だった。しかし何故だろう。ここ最近のリノアは、アレンの猫かぶりを半ば信じていた。そして今、会話しながら失望の感情がじわじわと広がっている。
ああもう。なんでこんなにいらいらするの。分かってたことなのに。
はー、と息を吐き出して、代わりに糖分を口に含む。もぐもぐとパフェを食べ進めるリノアを見て、アレンが呆れた声色で言う。
「よくそんな砂糖の山食えるな。見てるだけで胸焼けしそうだ」
リノアは目線を上げてアレンの顔をまっすぐ見る。
「母さんたちにどう説明するわけ?結婚するつもりとか言っちゃってさ。どこにでも行けばいいけど婚約破棄はきっちりしてよ。迷惑被るのは私だけじゃないんだから」
「そんなこと知らん。言ってないことの責任は取らねえ」
「っ!あのねえ、ふざけるのもたいがいに――」
腰を椅子から浮かしかけて、ふと違和感がよぎる。
さっきから、お互いの認識にずれがあるような気がする。
座りなおして、リノアは少し考えて冷静に尋ねる。
「......あなたって、本当にアレンなの?」
アレンは言葉の意味を理解できないといった表情になり、次に鼻で笑った。
「もちろん。俺は正真正銘、お前の幼馴染兼、婚約者のアレンだ。 どうした、しばらく会わないうちに忘れたか?」
やっぱりそうだ。違うんだ。
「会ってる」
「は?」
「学園でついこの間会ったでしょ。しばらくぶりなんかじゃない」
「言ってる意味が......」
「記憶になくて当然だよね。別人なんだもの。ねえ、あのアレンは誰?洗いざらい話して」
睨んでいるとすら感じる目を正面から向けられて、アレンはたじろいだ。少し考えて、あぁと何かに気づいたように手を叩いた。
「......しょうがねえな。話してやるよ」
****
まずリノアは、自分がルイスの恰好をしている経緯を説明した。偽アレンとルイスが帰省してきたこと、ルイスに身代わりを頼まれたこと。それらを聞いて、アレンはマジかよと顔をひきつらせた。
「そんなに俺に似てんの?変装して俺のふりするとしか聞いてねえんだけど。つうか気づけよ明らかにおかしいだろ」
「だ、だって確証なかったし......あ!私の指輪盗ったのって結局アレンなの?」
すると分かりやすくうろたえた。
「つけてるところ見たことねえし、高そうだったからつい」
「全くもう。偽物がわざわざ返してくれたよ」
目の前で自白したわけだが、リノアはさほど怒る気にならなかった。
多分、くだらない悪戯のつもりだったんだろうな。私が困っているのを見て笑ってから返すつもりだったんだろう。でも、売らざるをえなくなった。
アレンがいくらクズでも、さすがに人の物を無断で持ち出して平然と売るような人間ではないはずだ。多分。アレンがそんな最低なことをした原因には、見当がついていた。
「借金してたんだよね?悪そうな同級生とか先輩、他にも色々な人から」
アレンは無言で肯定した。
「......いやー、遊びまくってたらあっという間に金なくなっちまってさー。指輪売って少しでも金つくろうとしてた時に、あいつに会ったんだよ」
あいつというのは、偽アレンのことだ。彼は借金を代わりに返す代わりに、アレンの身分を借りたいと提案したらしい。
「怪しすぎるでしょ!」
「とにかく金が必要だったんだよ......そんでそいつの知り合いだっていう商人のところで、今働いてる」
借金を返して、そのうえ監視するためとはいえ仕事を紹介する?それだけ聞けばものすごく良い人だ。アレンは何一つ損していない。しかし向こうには何の得がある?
「偽物は何が目的なの?」
「さあ?」
「さあって......」
リノアは額に手をあてて、どれだけ危ないことをしているのか説明する。
「偽物が犯罪を犯したら、アレンも加担したことになるんだよ。いや、全部アレンに被せられるかもしれない。分かってるの?」
「それは、まあ大丈夫だろ。仕事が終わったらちゃんと返すって言ってたし、これまで通り学園に通えるって話だったから」
「それが嘘だと思わないわけ?だいたい、仕事って何?」
「知らん」
リノアは危うく目の前の男に拳骨を振り下ろしそうになった。テーブルから浮かせた右手を左手で抑える。
「落ち着けよ。俺だって右から左に了承したわけじゃない。お前は何者なんだってちゃんと聞いた。けど答えられないとしか言わなかったんだよ」
真っ当な仕事とは思えない。本当に犯罪者なのでは?
顔をしかめて考えこむリノアに、アレンは投げやりな口調で言う。
「なんにせよ、これ以上考えない方が良い。深入りさえしなけりゃ一般人に手出しはしないだろ。そんでお前はさっさと外出許可貰って帰れ」
確かに本来のリノアの目的も達成されたわけだし、ルイスも十分休めただろう。もう学園にいる理由はない。
「......」
「あ?まさかお前、偽物に惚れたなんて言わねえよな」
「それはない」
ただ単に、本来の彼がどういう人間なのか気になるだけだ。親切にしてもらったのに邪険にしてしまった罪悪感もある。
「......まあ、アレンの言う通り帰ることにするよ。危ない目には遭いたくないし」
「そうしとけ。じゃ、俺そろそろ行くから。女といるところが見つかったら流石に殴られそうだし」
またな、と片手をあげてアレンは去って行った。珍しくリノアの代金まで払って。
「まったく。自由すぎるでしょ」
リノアは小さくため息をつき、くすりと笑った。
****
帰宅の申請をすると、三日以内には許可が下りるはずだと寮母から伝えられた。成績が悪かったり素行が悪かったりすると許可が下りないこともあるらしい。真面目に生活している自分は大丈夫なはずだ。ちょっと自信が無いけども。
家に帰ったらまた花嫁修業の日々が待っている。考えるだけで嫌になる。
ベッドに腰を下ろして、仰向けに倒れこむ。
「はぁ、向いてないんだよなぁ」
家で夫の帰りを待つ自分を全く想像できない。料理や裁縫といった技能は全てルイスが持っているし、父の言うように私達はきっと生まれる性別を間違えたのだろう。
帰ったらまず母さんたちの誤解を解かなきゃ。でも偽物でしたなんて信じてくれるかな。私が嘘をついてると思われそう。やっぱりアレン本人を引きずってでも連れて行って、きっちり説明しないと。
スムーズに婚約破棄ができればいいのだが、できたらできたで今度は行き遅れないようにと焦って更に修業を課せられる可能性もある。あぁ憂鬱だ。
なんにせよ、学園に居られる時間は残り少ない。やり残したことが無いようにしないと。
1つ試したいことがあった。ノートから1ページ切り取り、教科書を見ながら精霊語を書く。精霊を呼び出す意味らしい。それを机の上に置き、カフェで買ったお菓子を重石代わりに載せる。
「あとは窓を開けて......えーと、精霊さん?もし居たら姿を見せてください」
以前リノアは気まぐれに精霊語を添えたマフィンを置いておいたことがあった。そのときは自分で食べてしまったのだと思ったが、あのとき本当に精霊が訪れていたのではないか?姿の見えない何者かの助けがあったのは、その後からだ。関係があると考えるのが自然だ。
半分はまさかという思い、もう半分は期待を抱いて応答を待つ。
部屋はしんとしている。窓からは夕方の橙色の光が差し込んでくる。あたたかい風が開きっぱなしの教科書のページをめくった。
「......やっぱり気のせいかー。ちょっと残念」
窓を閉め、何気なく机に視線を向けたリノアは目を疑った。菓子がない。
「え、なんで」
視界の端に、半透明なヴェールが映り込む。びくりとしてリノアは壁にかかとをぶつけた。目は空中にくぎ付けだ。
それは奇妙な生物だった。ヴェールに空気を含ませてぎゅっと縛ったような見た目だ。目も鼻も口もなく、ふわりふわりと空中を泳いでいる。
不思議な光景だが、前にもどこかで見たような気がする。
「あの、精霊さんで合ってますか?」
恐る恐る話しかけてみると、それはすいとリノアの目の前に寄って来た。
「あのー?」
声は出せないようだが、動きでリノアのポケットを気にしているようだと分かった。中からアンティークの指輪を出して見せると、精霊は喜んだ様子でリノアの周りをぐるぐる飛び回った。
「うわっな、なに?何でそんなにテンション上がってるの?」
指輪は特別な物には見えない。
光ものが好きとか?カラスみたいだな。
首を傾げながらも、リノアは呼び出した理由を説明した。
「もうすぐここを離れるので、お礼を言いたかったんです。ここのところ色々助けてくれたのってあなたなんですよね?......伝わってるのかなこれ」
言葉が通じているか怪しい上に、相手の表情が分からないため、こちらが察することもできない。うーんと考えて、机の上の紙を取った。教科書を見ながら走り書きした文を見せ、指でトントン叩く。
「”ありがとう”これを言いたかったんです。伝わりました?」
目が無いのにどうやって読んでいるのか不明だが、それは体を揺らしてこたえた。そしてまたリノアの周りを一回りし、すいーっと窓から出て行った。
リノアはぽかんとしたまましばらくそこから動けなかった。一連の出来事が夢だったのではないかと思うほど現実味がない。
「フリーダムな種族だなぁ」
窓を閉めながら、あれが精霊かと実感する。もし違ったらお菓子をただ食いしていった謎生物ということになるが、多分本物だろう。帰ったらルイスにこのすごい経験をきかせてあげよう。




