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面倒くさい人

結局リノアは一度も魔術を使うことができなかった。しかしその結果を見てもエルシャは納得せず、おかしい、なら何故と思考に沈んでいた。長髪の先輩に許しを貰って立ち去ったが、あの時の様子ではリノアが居なくなったことに気づいていないだろう。


 近いうちにまた連れて行かれる気がする。いや、絶対来る。

 困った人だなーと思いながら、教室へ向かう。しかし途中で授業終了を知らせるチャイムが鳴ってしまった。

 エドガーにノートを見せてもらおうかな。いや寝てそうだな......。


 エドガー以外に交流のある友人がいれば良かったのだが。ユースに睨まれている今、クラスではリノアに関わりたくない者がほとんどだろう。

 歩調を緩め、教室へ向かっていると何処からか男女の言い争う声が聞こえた。


「どうして駄目なの。(わたくし)のことが嫌いになった?」

 甘さを含んだ駄々をこねるような声色を向けられても、男の声は平坦だ。

「どうしてと言われても、もう貴方に特別な感情を持っていないとしか」

「そのお堅い言葉遣いは何?前みたいに話して。それでまた私を愛してるって言って」

「あれは遊びです。あなただってそのつもりだったでしょう?ただ、今となっては不誠実だったと反省しています。気が治まらないのならいくらでも罵倒を受け止めるつもりです」


 足を止めていたリノアははっとして静かにその場を去ろうとする。

 別れ話を立ち聞きするなんて趣味が悪い。向こうに気づかれる前に離れないと。

 しかし次に聞こえた言葉に思わず振り向いた。


「あぁ、分かったわ。あの子のせいね?名前は、ルイスとかいったかしら。医務室までわざわざ運んであげて。随分気にかけているじゃない」

 同名の他人かと一瞬思ったが、おそらく自分のことだ。階段から落ちた時のことを言っているのだろう。となると別れ話の相手は。


「婚約者の弟なんです。気にかけるでしょう、普通」

「いいえ違うわ。あの子が特別だからよ。本気なんでしょ」

「は?いや、本当に......無茶苦茶なことを言っている自覚はありますか」

 アレンの声色からは本気で困惑している様子が伝わってきた。このお嬢様はアレンが婚約者を好いていないことを前提に話しているようだ。実際それは間違っていないとリノアは思う。しかしだからといってその弟を好きになったと考えるか?思考がぶっ飛んでいる。


 はぁ、と心底疲れたようにアレンがため息をつく。

「お互い頭を冷やしましょう。くれぐれも妙なことはしないでください。もう私が貴方を思うことはないんですから」

「......そう。私を捨てた気でいるのね。平民の分際で!」


 バシッと叩くような音が聞こえて、渡り廊下の柱の陰から女子生徒が出て来る。彼女は振り返ることなくスタスタと行ってしまった。リノアはまっすぐ通り抜けるわけにもいかず、通路を少し戻って別の道を通ろうとした。

「待て」


 ぎょっとして動きを止める。こちらの姿は見えていないはずだが。足音が近づいて来て、長身が柱の裏を覗き込んだ。

「やっぱりルイスだった」

「あー、聞くつもりはなかったんですけど」

 しどろもどろになるリノアに、アレンはさっぱりした口調で言う。

「別に悪く思わなくていい。俺の自業自得なんだから」


「......顔、叩かれたんですか」

「ああ、扇子で。令嬢の力じゃ痛くもないけどな」

 そうは言っても赤く浮いてきた線が痛々しい。痛がることもなく、いつも通りの表情を見て、リノアは浮気を責める言葉が出てこなかった。代わりに言ったのはあの令嬢のことだ。


「あの人、貴族ですよね。いいんですか、あんなに怒らせて」

「あれは単に、昔遊んだ男が思い通りにならなくてキレてるだけだ。ご友人たち(・・・・・)といちゃついてればすぐ忘れるだろ。愛情なんて無い」

 乱暴な言い方に、リノアは思わずくすりと笑ってしまった。

「あっ、すみません。笑い話じゃないのに。......なんとなく前のアレン先輩みたいで、懐かしかったんです」


アレンは意外そうに目を瞠って、表情を真面目なものに変えた。

「前みたいに接したほうがいい?」

「え、やめてください。やっと理性的になったのに退化しないでください」

 真顔のリノアに即答され、アレンは拍子抜けした様子だった。並んで廊下を歩きながらリノアは尋ねる。


「というか授業に出なかったんですか?サボり?」

「今日は休講だったから。図書館に行こうとしたら捕まってこのざまだ」

 アレンと図書館という組み合わせのアンバランスさと、運の悪さにリノアは声に出して笑った。

「ルイスはどうなんだ。そっちこそサボりか」

「違いますよ。何というか、色々あって出れなかったんです」

 説明するには気力が足りず、”色々”と雑にまとめた。深く追求せず、アレンはそうかと相槌を打った。


「授業に付いて行けなくなりそうなら、俺が教えようか」

「そのときはお願いしますね」

 まともに教えられるわけがない。リノアは舐めきっていた。


****


 高い天井の解放感と、棚どころか壁にまでぎっしり詰められた本に圧倒される。リノアは今日、学園の図書館に来ていた。特に目的は無く、ただの好奇心である。ぶらぶらと本のタイトルを見ながら棚の間を歩く。

 学術書だけでなく、恋愛やミステリーなど娯楽本もあるようだ。聞いた覚えのあるタイトルを見つけて立ち止まる。


 これ、街で流行ってる恋愛小説だ。

 最新だと聞いていた巻数より2冊多い。さすが王都。図書館の奥へ進む程、小難しそうな本が増えて来る。館内で読むための机と椅子があるが、その一角に妙な光景があった。

 机いっぱいに本が置かれ、それでもスペースが足りずにこれでもかと積み上げられている。そして座る時間すら惜しいのか、立ったままページをめくっている人達がいた。彼らは皆ローブを着ており、学生や教員には見えない。


 何事かと思ったが、すぐに彼らの素性に思い当たる。エルシャが言っていた、王立魔術団の人達だろう。そんなに熱心に何の魔術を研究しているのか興味を持ったが、声をかけられる雰囲気ではない。

 分厚い本の間を目的もなく進んでいると、床に積み上げられた本を見つけた。タワーというより防塁のようになっている。机に持っていくことを面倒くさがった結果だろう。少し離れたところに梯子を使っているローブ姿の男性がいる。この辺りにリノアの他に学生はいないようだ。


 いや居た。本棚の後ろから一人の女子生徒が姿を現した。リノアは彼女を一方的に知っている。アレンと言い争っていた令嬢だ。

「はじめまして。私が誰なのか心当たりがあるんじゃないかしら?」

「えーと、アレン先輩の......アレですよね」

 面と向かって浮気相手とも元カノとも言えず、言葉を濁した。令嬢はそれを都合よく変換したらしい。ふふんと不敵に笑う。


「そうよ。分かっているじゃない。でも簡単に許してなんてあげない。人の物を誘惑した罰を受けなさい」

 令嬢は防塁、いや本の山をリノアの方へ押した。しかし不意打ちでなければこの程度怖くない。リノアは自分に向かってくる鈍器をさっと横にずれて躱した。そして抗議しようと令嬢の方を向いたとき、それが目に入る。


 視界の上方に、二階が見えた。積み上げられた本に、一人の魔術師の背がぶつかる。

 あ。

 ぐらりと傾いた本の山は、手すりを超えて空中に放り出される。


「危ない!」

 とっさに令嬢に体当たりして庇う。リノアは肩越しに頭上から降りそそぐ大量の本を見た。

「......?」

 痛みを感じないことに疑問を持ち、ぎゅっと閉じていた目を開ける。見えたのは妙な光景だった。本がピタリと空中で静止している。何が起こっているのか理解しようと体を起こした途端、それらはふわりと床へ落ちた。


「今、何が」

 唖然としていたリノアは、はっと令嬢の存在を思い出す。下敷きになっている令嬢は、目を白黒させていた。

「大丈夫?」

「へぇあ!?もももちろんよ。はやく私から離れなさい」


 令嬢は立ち上がってスカートのほこりを払う。すました顔をしている彼女にリノアは冷静に尋ねる。

「何か言うことあるよね」

「言うこと!?わた、私に言わせるというの!?」

 当たり前だ。結果的に無傷とはいえ、危ないことをしたのだからきちんと謝ってほしい。


 令嬢はこほんと咳払いをして、扇子に目を落としながら言う。

「あなたを、私の恋人にしてあげてもいいわ」

「え?」


 予想もしていなかった言葉にリノアは固まる。

「私と親密になりたいから、身を挺して庇ったのでしょう?見た目は弱そうだけど気に入ったわ。アレンへの仕返しにもなるし」

「いやいやいや」

 リノアは顔を引きつらせて後ずさりする。


 なんでそうなる!?怪我させようとしてごめんって言ってほしかっただけなのに。全部の思考に恋愛が絡んでるのこの人?

「違いますから。とっさに庇っただけで本当に好意とかないですから」

「え......」


 令嬢は全く予想外のことを言われたような顔をした。

「あと、アレン先輩とも何もないですし。普通に同郷だから面倒見てもらってるだけです」

「嘘つかないで!私にはあんな顔見せてくれなかったわ!」

 どんな顔だよ。

 はぁ、とリノアはため息をつく。


「すみません!大丈夫ですか!?」

 走ってきたのは若い男性の魔術師だ。本が落ちて来た原因の人だろう。

「僕は大丈夫です。ただ、そちらの令嬢が頭を打ったかもしれないので、後のことお願いします」

「頭を!?」

「違いますわ!ルイス!待ってルイス!」


 自分は急用があるので、と嘘をついてリノアはその場から逃げ出す。

 あぁ、とんでもない目に遭った。

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