【3】
月曜日の朝。いつも通り人が混んでいる。
すぐにあの人がいるか、いつもの座席を確認した。
いた。
あの人はこっちを見てて目が合った。
少し口角を上げて、小さく手を振ってきた。
なんて精神攻撃力の高い行動なんだ。
絶対に武装してる。武装して攻撃力高めにきている。
私をタコ殴りしにきてる。
冷静さを保たなければ。
あの人に小さく会釈して返した。
そんな日々を過ごしていたが、ある日あの人はいつもの座席に座っていなかった。
あれ?どこだ?
「ここですよ」
囁くような声が聞こえた。
私がいつも立っている場所のすぐ隣の席に、あの人が座っていた。
「ここなら話が出来るかなって思って。いつも遠くから手を振ってしまってすみません」
イケメン要素に『囁きボイス』及び『不意打ちの行動力』が追加された。
「気になってたんですが、土曜は学校が無い日もあるんですか?この前いなかったから」
「ああ、あれは補習があったからなんです。あの日がかなり特殊だっただけで」
学校の事を簡単に説明していたら、学校最寄り駅に到着してしまった。
「ここですよね、降りる駅。今日も頑張ってください」
あの人は微笑んだ。
くっ……。ここは耐えろ!こちらも装備を厳重にするんだ!
後悔しないように。
「あ、あ、あの」
「はい?」
「ま、また明日……」
「はい。また明日、ここの席に座ってますね」
電車を降り、車両のドアが閉まった途端、私は膝から崩れ落ちた。
生き長らえた……。
壮絶な戦だった……。
でも、私はさっきの戦が嬉しかった。
私たちは少しずつ会話が増えていった。
といえど、満員電車のなか大した事は話せなかった。
それでも、あの人の事が少しずつ分かってきた。
家族の収入が少ないから高卒で工場で働いている事。
土曜日は不定期で出勤する事。
通勤中だけ小説を読んだり音楽を聴いたりしている事。
楽しい。
世間話程度の事が、こんなにも楽しいなんて思わなかった。
ある日の朝、あの人がいなかった。
あれ?また別の席に座ってるのかな。
辺りを見回すがいない。
体調悪くて仕事が休みになったのかな。
明日は来るかな。
そう思いながらドアの外を眺めていたら、何だか視線を感じた。
周囲を見ると、私を見ていた。
目が合うと、目を逸らされた。
同じ制服の女子高生たちの声が聞こえる。
「あの子、同じ高校だよね。何であのイケメンと話せたんだろ?」
「ちょっと聞いてきてよー。どんな手を使ったのかって」
「いや、無理でしょ」
あの人は、この感覚だったのか。
何か、嫌だ。この感覚。
早く明日にならないかな。あの人と話をして紛らわせられないかな。
次の日も、その次の日もあの人はいなかった。
何で?どうして?
そんなに体調崩しているの?
全くそんな感じじゃなかったのに。
心配だけど、私はあの人の連絡先も家も知らない。
そもそも名前すら知らない。
一人でこの電車に乗るのは耐えられない。
何か気を紛らわすもの……。
そうだ、音楽を聴こう。
音楽を聴いても、心の奥では周囲が気になる。
周囲を見回そうとしてしまう。
そうだ、電子書籍で漫画を読もう。
あの人がいなくなって2週間が経った。
さすがにおかしい。
体調不良じゃないでしょ。
もしかして、私の事が嫌になった?
何か失礼な態度を取った?
周囲の反応が気になる。
「最近、あの男の人が電車乗らなくなったのって、あの女子高生が関係してるんじゃない?」
「何かトラブルになって、男の方が嫌になって逃げたんでしょ」
「おかしいと思ったよ。突然あの二人話し出すから、何か裏があるんじゃないかって」
そんな事を思われている気がする。
そんな事を言われている気がする。
頭がおかしくなりそう。
怖い。怖い怖い。
もう、この車両に乗るのが怖い。
翌日の朝、私は別の車両に乗り込んだ。
今までの車両と比べてかなり満員だが、私の事を気にする人たちはいない。
気が楽になった。
あの人の事も、もう忘れよう。
そうでないと、あの電車内の事を全て思い出してしまいそうだから。