ブタ汁だろうとトン汁だろうと。
「また……、豚汁ですか?」
「おう。これは日本が、いや人類が発明したバランス栄養食だからな。」
彼の部屋に上がった瞬間に香る、味噌と動物性の油の匂いに私は顔をしかめる。
コンビニで買ってきた買い物袋をテーブルに、カサリと置く。
彼曰く。
・発酵食品である味噌を用いてる。
・調べた結果、使われている食材でおおよその成人が一日に摂取すべき栄養素が取れる。
・概ね食材が安価。
・何より豚汁は切って煮るだけで完成する。
・余談だが、彼は豚汁を「とんじる」と呼ぶ。
だ。
家にいる時の食事、朝ご飯と晩ご飯は毎日、豚汁とごはん。
大学にいる時の昼食はバナナとゆで卵のみ。
彼曰く、昼食は「失われたカロリーを摂取するだけで良い」。なんと言う暴論。
ちなみに休みの日の昼食は食べない。私が外食に誘った時以外は。
「よく飽きませんね。」
「飽きるも何も。
食事は生命維持のため飽きずに続けるものだからね。」
かれこれ、そう言い続けて1年以上は過ぎていると思う。
そうは言っても、彼はけっして美味しいものを「美味しい」と言わないわけではない。
先日も、最近評判のいいパスタ屋さんに連れて行った時もそうだ。
「う~む、カルボナーラと言うのかこれは。旨いな!」と絶賛していた。
もっとも、大抵のものは絶賛するわけだけど。
好き嫌いの内、嫌いなもの、食べられないものがないのは美徳だとは思う。だけれど「好きなもの」がないのも、どうなのか。
お陰で私は未だにそのことで苦慮しているというのに。
「なにか、手伝います?」
「いや、あとは煮込むだけだから。」
「そうですか。」
「何か買ってきたの?」
「そこのコンビニで御萩を買ってきました。
時期物だし、甘いものを取るのもいいと思いまして。」
「ふむ、久方食べたてないなぁ。御萩。」
ママが「男の胃袋を掴んだら勝ち」とは言ってたけど、この人の場合、胃袋の前に味覚のハードルが高い気がする。
「まーちゃん。
そうそう、こないだの資料、助かったよ~。」
手を洗い、布巾なのか台所に掛かっているハンドタオルで手を拭きながらこちらに笑顔を向ける。
「そういう何気なくする笑顔は罪だ。」
私は思う。
「教授の発想は素晴らしいとは思いますが、まとめるのが苦手ですからね。
そういうの「右脳でアウトプット」っていうらしいですよ?」
若干、皮肉を込めて応えてみる。
彼と出会ったのは小学生の頃だ。
亡くなったパパの助手をしていた彼は、よく家に遊びに来ていた。いや遊びにと言うのは語弊があるかもしれない。家に来てはパパと、あの頃の私には難しいことで議論を交わしていた。お互いが自分の意見を忖度なくぶつけ合う関係。
分不相応にも、幼心に嫉妬を感じていたように思う。
あの頃から彼は変わらず私のことを「まーちゃん」と呼ぶ。
私は「お兄ちゃん」から「杉山さん」に、彼の勤める大学に入ってからは「教授」と変化してきたのに。
心は変化してないというのに。
「いやはや、これ美味いな!
脳の失われた糖分が充足していくのを実感するよ!」
「それは良かったです。
でもデザートのつもりで買ってきたんですけど、食事前に食べて大丈夫ですか?」
「ん?
いやいや、折角まーちゃんが買ってきてくれたんだから、直ぐに味合わないと罪じゃない。」
「罪なのはそういうところですよ。」という言葉を私は飲み込む。
「餡子、好きですか?」
「うん、美味しいよね。」
「私は餡子はあまり好きじゃありません。
中のもち米は好きですが。」
そう言いながら私は自分の御萩の餡子を掬い取り、彼の食べかけに全てのせる。
糖分を取りまくって、もっと他のことにも頭が回るようになればいいのに。
「今度、カレーライスを作っていいですか?
材料は豚汁とそう変わらないと思うので。」
「カレーライスかぁ。
そういや久しく食べてないなぁ。若い頃は毎日、昼と夜食べてたんだけどね。」
「聞きたい解答はそれじゃない。」そう思いながら、ふとママの言葉を思い出す。
『料理なんて食べてくれる、喜んでくれる人がいるから作るものなのよ。
一人だったらママだって毎日カップラーメンだと思うわよ?
料理は、蒔恵に作りたい人が出来た時に教えてあげる。』
明日、カレーライスの作り方をママに教わろうか。
きっとネットで調べながら作るよりも、彼の胃袋を掴めるかもしれない。
「ところで教授、牡丹餅って何か知ってます?」
「う~ん、そういや定義がわからないなぁ。食べたことないし。
関西の食べ物でしょ?」
「違いますよ。
春のお彼岸に食べるのが牡丹餅。秋のお彼岸に食べる御萩。
同じものですよ。」
「え? そうなの?
まーちゃんは物知りだなぁ。」
そう言いながら手元の御萩の、山盛りになった餡子を掬い口に含みながら彼が笑顔を私に向ける。
「そういう何気なくする笑顔は罪だ。」と、私は再度思う。今迄だって何度思ったことか。
私の想いはいつ届くのだろう。
カーテンの無い、居間の窓の外の秋闇。それを背景に映る私の顔と彼の横顔を見つめた。
「期待しないで待ってくださいね。」
「ん?」
「カレーライスのことです。」
私の想いをカレーライスに含めて届けようと密かに誓う。
「それより教授。
豚汁が煮えすぎるんじゃないですか?」
「うわっ! 忘れてた!」
慌てふためき、台所へと走る彼の背。
その背中に追いつくのは、いつになるのだろう。