僕に縁談が来ない理由
――僕が何をやったというのだろう。
目の前には虎皮の敷物と仁義と書かれた掛け軸。
そして極めつけは抜き身の剣を持った僕の正面に座っている強面の壮年の男性に、背後に控えた銃を持った筋骨隆々の黒服の男たち。
「貴様か。ワシの娘に手を出したというのは」
「い、いえ。ぼ、僕はメアリーさんとお付き合いさせてもらっているだけで」
後ろから何か突き付けられる感覚。
「貴様、タダで済むと思っていないな」
「……」
「返事はァ!!」
「は、はひっ!!」
背中に冷たいものが流れ、喉にすっぱいものを感じる。このままだと、漏らすのも時間の問題だろう。
突如として、目の前に鈍い金属音と共に刀が投げ捨てられる。
「テメエ、落とし前つけろや」
――お母さん、お父さん。先立つ不孝をお許しください。僕はもうダメみたいです。
◇
秋。
セヴァリー男爵家の一人息子である僕、ノエルは名門シュルスバリー学院での新しい生活に胸をときめかせていた。
素敵な友達に、素敵な寮生、素敵な先生。そして、素敵な恋人が出来ると良いな。
そんな、人並みの願いを持って入学したのだ。最初の三つに関してはつつがなく達成できた。田舎者でそこまで明るいとは言えない僕にもみんな優しくしてくれたのだ。本当にありがたい。
けれども。
最後の恋人に関してはダメだった。
考えてみれば当然だ。貴族の長子には大体婚約相手がいるのだから。とてもではないが、声をかけられる雰囲気ではない。
そして、残念ながら僕には婚約者はいない。
セヴァリー男爵領があまりにも田舎すぎて、婚約を結ぶ相手がいなかったのだ。
そんなわけで、僕は男同士で決して青くはない学生生活を過ごすことになってしまったのだ。
畜生。
主よ、主よ、何故私に恋人が出来ないのですか!?
「つってもさあ。お前、何も行動起こしてないじゃん」
「う、うるさいな。僕だってチャンスがあれば声かけてるさ」
「ええー? ほんとでござるかー?」
やけに煽ってくる、僕の友人たち。そういう彼らは大体が婚約者持ちなのだ。しかも、昼食のお誘いを婚約者がいるからといった理由で断ってくる。おかげで、僕はボッチ飯をする羽目になるのだ。
「話それるけどさあ、何かと連れがいると楽しいぜ。この間なんかは新しくできたカフェで一緒にパフェを食べたんだ」
「俺も向うさんのおかげで就職は安泰よ」
「といっても、何かと小言を言われることも多いけどな。でも、それがかわいいんだ」
「……」
「あ、敗北者がこっちを恨めしそうに見ている」
「誰が、敗北者じゃあ!」
そんな僕の言葉に皆は冗談だって、と笑い飛ばす。
くそうくそう。悔しいです。
「まあ、この敗北者への救いの手をみんなで考えてやろうぜ」
だから誰が敗北者だ。僕の痛切な叫びは届かず、友人たちは勝手に色々考え始め、そのうち一人が手を上げて発言する。
「ウィリアム王子がルイーズ公爵令嬢と婚約破棄するみたいな話し在ったじゃん? 粉かけてみたら?」
「ば、バカ野郎! 流石に他人様、それも王家の婚約者に手は出せない」
一瞬の静寂。
みんなは口々に違うな、と言い出す。
「違うって、なんでさ」
「だって、お前」
「そもそも、女に話しかけられないじゃん」
「話したとしても敬語だし」
「女子と目を合わせられないし」
「服装がダサいし」
「頭も悪いし」
「……」
泣いていいかな。最後に至っては単なる罵詈雑言の気がする。
実際、僕は生まれてこの方まともに女性と接したことは無い。だから、話すにしても敬語になってしまうのだが……。
辛い。
そんな僕を見て友人たちは、秘密話をするかのように何かを相談し始める。
「よし」
友人の一人が僕の肩を叩いてくる。
「ここは一つ度胸をつけてやろう」
「……何するのさ」
「スプリング侯爵の娘がうちのクラスにいただろ?」
メアリー・スプリング。軍務大臣を父に持ち、雄獅子の鬣のような豊富な金髪に湖のような碧い瞳と赤い唇が完璧な配置で磁器のような白い柔肌の上に並んでいる。
この美貌でも噂になるのだが、彼女にはもう一つ有名な話がある。
「スプリング令嬢には婚約者がいない」
引く手数多のはずなのにも、関わらずだ。自分に既に婚約者がいなければ声をかけていたという人はかなり多く、僕もひそかに心寄せている。
だが、友人の次の一言はそんな僕の清らかで温かな純情を爆破するのに十分な一言だった。
「お前、告白してこい」
「えっ」
「好きなんだろ」
自分でもわかりやすいほどに顔が赤くなっているのがわかる。そして、それをにやにやと笑う友人たち。
「で、でも。ぼ、僕のことなんてスプリングさんは気にしてないだろうし……それに、今、彼女がどこにいるかわからないし」
「そこに居るだろ」
友人が窓の近くの席で静かに本を読んでいるスプリングさんを見やる。
綺麗だ。
「もし、お前が告白しないなら俺が告白する」
「君らにもそんな興味ないと思うけどね」
「そうかー? この間話したら結構いい雰囲気だったけどね」
「う、嘘だろ」
だが、彼らは相変わらずにやけ面であんなことがあったとかこんなことがあったとか言い出す。
多分嘘だ。
嘘だ。
その、はずだよな?
「……」
「おっ、どうしたよ」
僕は息を大きく吸い込み、友人たちの方を指す。
「見とけよ! 今から告白してくる!」
一斉に囃し立てる友人たちを背に、僕はガニ股でぎこちなくスプリングさんの方へと歩き出す。
歩き出したのは良いのだが。
「何を言ったらいいかわからない」
かといって、考えている暇はない。ええい、当たって砕けろ、だ。
僕は、相変わらず本を読んでいるスプリングさんに声をかける。
「え、ええと。今、少し、時間、いい、かな?」
噛んでないかな? 噛んでないね。
スプリングさんは本を閉じて僕に微笑みかける。
「何かしら?」
「……」
ヤバい。口が乾いて声が出てこない。
「どうしたの?」
で、出ろ。大きな咳を無理やり一つする。
「ぼ、僕と付き合ってください!!」
スプリングさんの固まったような顔と、長い長い沈黙。
それを破ったのはスプリングさんだった。
「顔上げて」
「はい」
そう言うと、彼女は僕の顔をしげしげとみてきた。
「目立たなくて女っぽいけど……中々整った顔立ちね」
「う゛」
実は気にしていることなのだ。今はともかく、小さい頃は女の子と間違われることが多かった。やっぱり、男らしい顔立ちの方がいいのだろうか。
「貴方の御実家はどこかしら?」
「え、えっと。南のクロティアン諸島です。あ、あの、マロッコ・スルタン国との境目の近くでして、ええっと」
そう、僕の実家は王国本土ではないのだ。事情を話すと長くなるが、なんでも移住した先で爵位を認められたらしい。
「……」
スプリングさんは首を傾げている。どこに僕の実家があるかわからないようだ。とはいえ、実際小さな島がいくつかある程度。知らなくてもしょうがない。
しょうがないけど。
少し、寂しい。
「そこなら、とりあえずは付き合ってもいいわよ」
「えっ」
今、なんて言った? というか知っていたのか。
「付き合いましょう」
「ホントですか?」
「こんなことに嘘ついてもしょうがないじゃない」
多分、普通なら小躍りして喜ぶところなのだろうけど。
僕はとろけた顔をして、そこにへたり込んでしまった。
そんな僕に、スプリングさんは手を差し出してくる。
「これから、よろしくね」
そう微笑みかけてきたスプリングさんの顔は窓からの光に照らされて、本当に太陽みたいだった。
◇
そして冬休み。
入学からの二か月半は友人たちにおちょくられたり、釣り合いの取れてない関係だった故に色々な問題があったけど楽しい期間だった。
そして、その最初の日。
僕は友人から紹介されたカフェでスプリングさんと一緒に食事をとっていた。
「貴方は実家に帰るのかしら?」
「ううん。寮にいる予定」
僕は鮭フライのサンドイッチをがっつきながら答える。
実家は船で行って二週間、準備とかを考えると片道一月は考えなきゃいけない。それに、せっかく王都に来たのだから色々なものを見物したかった。
「ならば、一度我が家に挨拶に来ない?」
「挨拶!?」
僕は他の貴族のお家に伺ったことは一度もない。デビュタントでさえ、本土から遠すぎて断ったくらいだ。なら、この二か月半何やっていたかと言われれば――
すいません、学内でずっと燻っていました。我ながら甲斐性に欠けると思う。
だから他人様の家に挨拶なんて考えただけで心臓が破裂しそうなくらいに上がってしまう。けれども、スプリングさんは僕の不安を笑い飛ばす。
「あら、大丈夫よ。お父様は少し癖が強いけど、良い人だから」
「そう言えば、スプリング侯爵はどんな方なんですか?」
僕は軍務大臣の為人については全くと言って良いほど知らない。何度か新聞で議会内での発言を見たが、それでもせいぜい責任感が強い人ということくらいしかわからなかった。
だが、スプリングさんは意地悪な笑みを浮かべる。
「やっぱり、貴族だからお父様が宮中でどういう立ち位置とか知りたいの?」
「い、いや、そんなことは無いです」
うちのような木っ端貴族ではそもそも政争に関われない。関わったところで適当なところで使い潰されて終わりだ。
慌てた様子の僕をよそに、スプリングさんはお茶を静かに啜る。
「冗談よ」
「……そうですか」
困った顔やっぱりかわいいわね、といって心底美味しそうにイチゴのパフェを口にするスプリングさん。
「まあ、真面目な話をすると。うちは態度をはっきりさせてなくてそこそこ大きな家だから、色んなとこからお声がかかっているみたいよ。それこそ、どこぞの公爵家様とか王子様とか」
「はあ」
「だから、うちと知り合いになっておけば人脈は何もしなくても広がるわよ」
「僕がスプリングさんと付き合っているのは、そういうのじゃないんです」
本当に僕と彼女は付き合っているのだろうか。愛玩されているだけな気がする。そこで、自分の手元を見る。丁度サンドイッチを食べ終えたようで、それはスプリングさんも同じらしい。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「どこへですか?」
「決まってるじゃない。うちの実家よ」
驚きで声も出ない。
「ほら、善は急げっていうし。それにお父様からそろそろ交際相手の顔を見せろって言われているのよ」
「ええ」
「そんな大事にならないだろうし、頑張ってくれたらご褒美上げるわよ」
まあ、元々今日は暇だったし。それに色々奢ったり、お世話してもらった恩や、確かにほんの少しばかり軍務大臣様とお近づきになりたい気持ちもあるし。
なにより、そんな素敵な笑顔で物事を頼まれたら行くしかないじゃないですか。
「本当!? 断りたいなら、そう言ってもいいのよ」
「いや。今日行きましょう。是非、アズスーンアズポッシブル」
僕も笑顔で返す。
そうして、僕はスプリングさんの案内にホイホイついて行ってしまったのだ。
その結果が。
上述のような様である。
◇
道理でスプリングさんに婚約者がいないと思った。誰だって、そりゃヤクザ様、しかも国家権力を笠に着た人とは結婚したくないもの。
閑話休題。とりあえずは、自分の命が大事だ。
僕は目の前の刀の意味を一抹の期待を以て恐る恐る聞く。
「す、すいません。この刀の意味は……」
「小指一本で今回は勘弁してやる」
予想してたけど、全然嬉しくねえ。畜生。
けれど、そんな僕を庇うようにスプリングさんが一歩前に出る。
「お父様、ノエル様は仮にも私の好いた人です。どうか、そんな扱いはしないでください」
有難い。有難いんだけど……
自分が情けなくて、涙が出てくる。
スプリング軍務大臣はそんな僕を見て馬鹿にしたようなため息をしてから、一転してスプリングさんに慈しむような目を向ける。
「だが、お前にはすでに婚約者がいただろう」
えっ。知らない。だが、スプリングさんの方を見るとかなり不満そうな顔をしている。
「ええ。ですが、相手はもう七十に届きそうな老人。そもそも、お父様は」
「悪いが、こればっかりは聞けん!!」
剣を床に叩きつけて意見を封殺するような態度。多分、貴族の論理と言うやつでは軍務大臣の方が正しいし、学院でも彼を支持する方が多いのだろう。
けれども。
正直に言って、スプリングさん、いや僕ら位の女の子が同意もなく祖父と孫ほども年の離れたおじいさんと結婚させられるのは倫理的に正しいことなのだろうか。
「……どうしたら、その裁定は覆すことが出来ますか?」
しまったと思う。だが、言わなきゃ僕はダメだとも思った。
その言葉に軍務大臣は僅かに怒りをにじませる。
「部外者が口を出すことではない」
「部外者じゃないです。少なくとも、僕は貴方の娘様とクラスメイトです」
あかん、論理が無茶苦茶になっている。
「なら、ワシと剣で戦え。戦って、一本取れたらお前と娘の婚約を認めてやる」
えっ、絶対勝ち目ない。何とか、何とか……
「向うの家に僕が何か賠償をはらうとかではだめでしょうか?」
「そんなものは無い! ワシとの決闘だけだ」
ええ。そんなご無体な。
そんな僕をスプリングさんは潤んだ瞳で見てくる。
「いいの。大切な人が傷つくのは見てられない。だから、ここは引いて」
「……」
正直引きたい。そもそも、婚約を認められたところでこんなヤクザな家と上手くやっていける自信がない。
でも。
ここで引くのは――
「男が廃るような真似はしません!! その決闘をお受けします」
僕はくしゃくしゃになった皮の手袋を叩きつける。それを見て、彼も満足したように犬歯を剥き出して笑う。どうやら、向うとしてはこちらを叩きのめしたいらしい。
「いいだろう。道場へ来い」
そう言って、軍務大臣は従者の方々を伴って歩き出す。
「ノエル……」
「大丈夫です。勝ち取ってきますから」
僕はスプリングさんを安心させるよう微笑みかけて軍務大臣の後を追った。
その笑顔が引きつっていたのは、みんなには内緒だよ!
公判に続いてしまうかもしれない。