母と家庭とエプロン
9話目です!
エプロンについて悩む女性の話です。
私の家は、さして裕福ではない。それでもどうにかやっているのは、昔の貯金があるからだと言っていた。
「でもお母さん、それってもったいないと思う」
母は、かつて大手企業に勤めていたらしく、そのときの貯金があるという話だ。しかし、私は専業主婦になってしまった母をすごく残念に思う。そのまま仕事を続けていれば、うちは普通にお金持ちだったかもしれないのに。母は、子会社の役員くらいには上り詰めていたかもしれないのに。
「だから私はお母さんのエプロンが嫌い」
私は母に繰り返し訴えていた。
エプロンとは、母性の象徴だ。家庭に入って、夫や子どもに尽くす女性の象徴だ。そんなもの、剥ぎ取ってしまえばいい。エプロンを奪い取って、私に母の人生をかける価値があったのか、確かめてやりたいくらいだ。
大学生になって、彼氏と同棲を始めた。大好きな彼に喜んで欲しくて、手料理を振る舞うようになった。母仕込みの料理の味は、毎日星三つを獲得している。そんな生活が続いて、私はエプロンを買った。可愛らしいピンクのエプロンだ。彼氏も素敵だね、と褒めてくれた。不思議と嬉しい気持ちだけが湧いてきた。
半年経ってマンネリズムという言葉が脳裏に過ぎる季節になってくると、彼氏がこんなことを言った。
「ねえ、一旦脱いで、エプロンだけ着てよ」
こんなに人間に失望したのは、この日くらいだ。
エプロンは、たしかに母性の象徴だった。それゆえに、女らしさをも際立たせる。裸体が一部隠れるのが、チラリズムという視覚効果で、良い影像を作るのは理解できる。しかし、エプロンのチラリズムは、女性を家庭に押し込めることを想像しているようにしか思えない。旧態依然とした夫婦像が、男性の本能とやらに訴えかけているとしか思えないのだ。こうして私は、エプロンのことを大嫌いになった。
無事に社会進出を果たした私は、結婚だとか子どもだとかは考えずに、着実にキャリアを積み上げていた。色恋とはもう無縁だと思っていたが、出会いがあると、彼氏はできる。その彼氏は一人暮らしの経験も長く、共働き向きという雰囲気で、そこに私は安心した。
ある日、初めて彼の家を訪れることになった。
ピンポン。逸る鼓動を抑えて、彼の家のインターホンを押す。はーい、という精一杯高くした低い声が、部屋の奥から聞こえる。ガチャリと鍵が外れる音がして、ドアノブが回る。彼が出てきた。エプロンをしていた。
私はそれを見て、素直に美しいと感じた。あんなに嫌いだったエプロンなのに、美しいと思えるのは彼を好きだから生まれる効果だろうか。恐らく違った。確かにエプロンは母性の象徴で、それを男性が身に纏っているのがたまらなく嬉しかったのだ。このひとは、家庭を共有してくれる、家事を共有してくれる、料理を一緒に作ってくれる。そんな安心感だったのだ。エプロンは家庭的な道具であって、それを女性が身につけるのは嫌なことだけど、男性が着てくれるのはとても頼りになることだ。
そうして私は、一つ反省をした。エプロンは女性が着るもの、と思い込んでエプロンを嫌っていたのは、いささか女性差別的だったかもしれない。エプロンが女性蔑視だと思うことこそが、家事は女性のものだというステレオタイプの産物だったのだ。これはいけない。これからは、エプロンを、彼と家庭を共有するためのバトンだと思って生きていこう、そう決めた。
それはそうとして、私にエプロンだけを着させて喜んでいたあの彼氏、あいつだけは許さん。
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