97 叔父と甥の事情
先程からたびたび話に出ている殿下の叔父上様は、40代の若さで宰相の地位にまで登りつめた、王国史上でもなかなか例を見ない有能な人である。
若い頃から秀才として知られ、王立大学を首席で卒業、王妃様の妹姫であるフィラ・クォーツ嬢とは恋愛結婚で、30代の時、名家オーソクレーズを継いだ。
彼が今の地位につく前から重視してきたもの、それはズバリ「情報」である。
国内・国外問わず、速く正確な情報を得るため、直属の諜報員を雇い、独自の情報網を張り巡らせてきた。
そうした分野では王国一、他の追随を許さない、とは殿下の弁ではなく、私が王都に来る前、実家の居酒屋で聞いた噂だ。
今の宰相様は有能かつ怖い人で、逆らう者には容赦ない。この宿場にも諜報員がまぎれ込んでいるかもしれないぞ、なんて話を酔客がしていたのである。
要はかなりマユツバなんだけども、殿下が言うには、宰相閣下が情報を重視している、という部分は嘘じゃないらしい。
「だから、おまえの父君のことを調べるのに叔父上の力が借りられたら、これほど頼もしいことはない」
……って、宰相閣下は、実際に調べてましたよね。
私にも殿下にも無断で。
王族に雇われるなら、身元の調査をされるくらい当然だろうって本人は言ってたし、それはまあもっともなんだけど。
「勝手に調べるのではなく、普通に力を貸してくれないかと頼んだら、断られた」
都合のいい時だけ頼ってくるなと、にべもなかったらしい。
「それは、あの。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
私が謝ると、殿下は首を横に振った。
「おまえが詫びる必要はない。叔父上は意地になっているだけだ。クリアのメイドの件では、過去にも色々あったからな」
「過去にも色々って?」
殿下はもう1度ため息をついてから言った。
「つまり、パイラの前にクリアに仕えていたメイドが、叔父上の紹介だったからだ」
そのメイドは、宰相閣下の息がかかった貴族の子女だったらしい。明るく優しく、仕事もできて、忠実だった。
……ただ。
クリア姫に対して、どこか線を引いているというか――あくまで仕事として接するだけで、友達のように仲良くなろうとはしなかった。
常に優しく穏やかなのも仮面のようで。クリア姫にとっては、気詰まりな部分も多かったらしい。
だからカイヤ殿下は、王城の派閥争いとは関係のない、平民出身の女性を探したのだ。
宰相閣下は、「身元の不確かな人間を雇うべきではない」と反対した。結果的に、親子げんかならぬ、叔父と甥のけんかになってしまったらしく。
「クリアのメイドの件には、今後いっさい干渉しないでくれ、と俺が言った」
で、けんか別れのようになったと。
「後で言い過ぎたと気づいたので、謝りに行ったのだが」
その時にはもう、宰相閣下は怒っている様子もなく、「おまえの好きにすればいいよ」とにこにこしていたらしい。
その陰で、殿下の雇ったメイド――パイラに話をつけてスパイじみた真似をさせていたわけだから、怖いというか普通じゃないというか。
「パイラにはすまないことをした」
つぶやく殿下の横顔には、後悔と罪悪感が滲んでいた。
自分と叔父の揉め事に彼女を巻き込んでしまったと、そう思っているんだろう。
確かにそうかもしれない。
でも、彼女はけっこうしたたかな女性だった。
宰相閣下が怖くて仕方なく、みたいなことも言ってたし、それも嘘ではないんだろうけど。多分、「無理強いされた」というほどではなかったはずだ。
もっといえば、タダ働きをさせられていたわけでもない。あの宰相閣下のことだ。口止め料も込みで、それなりの金額を出していたはず。
そこまで気に病まなくても――とは、思えないんだろうな、当事者としては。
「叔父上はいささか過保護な面があってな。心配してくれるのはありがたいのだが、行き過ぎることがよくある」
メイドにこっそり命令して姪のお屋敷の様子を探らせるなんて、過保護どころの騒ぎじゃない。
はっきり言って、異常だ。
普通はそんなことされたら信頼関係なんてぶっ壊れるし、それまで通りの付き合いはできなくなると思う。
殿下は普通じゃないから、普通の顔をしているけども。
「今言ったように、クリアのメイドの件では俺がワガママを通したからな。仕方がない面もある」
そうかなあ。それは仕方ないと言ってもいいのか。やっぱりやり過ぎじゃない?
殿下は優しくて、人がよくて、王族としてはちょっと危なっかしいところもあるから、宰相閣下が心配する気持ちはわかる。
身元の不確かな人間を雇うべきではない、という言い分も間違ってはいない。
でも、だからと言って、クリア姫に我慢を強いるのが正しい、とは思えない。
たまに顔を合わせるだけの相手ではない。同じ屋敷の中に居て、1日中、共に過ごすのだ。
それが気を許せない人間だったら、誰だって参ってしまう。子供のわがまま、とかいうレベルの問題じゃない。
とにかく、結論としては、私の父のことを調べるのに、宰相閣下の力は借りられないと。
「俺の直属の部下を動かしてもいいが、どうにも探索事は不得手でな」
殿下は申し訳なさそうにしているけど、私はむしろその方がいい。宰相閣下の力を借りるというのは気が進まない。率直に言って、後が怖い。
「まずは『魔女の憩い亭』に相談してみます」
「そうか、わかった」
殿下はよく城下町に行くので、「近いうちにおまえが相談に寄ると、セドニスに伝えておく」
「ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。
本当に、メイドごときにここまでしてくれる人なんて、王都広しといえどカイヤ殿下くらいだと思う。
この人と会ってから、短い間に、色々なことがあった。
本当に、色々なことだ。それまでの自分の常識が、ガラガラと音を立てて崩れていくような――おかげで、この人に出会えた自分が幸運だったのか不運だったのか、いまだ判断に迷う部分はあるけれど。
感謝はしないといけない。きっと、バチが当たってしまう。
もらった封書を、私は大切に引き出しにしまった。
プライベートな問題はいったん封印、まずはお仕事に集中しよう。
すなわち、目前に迫る「魔女の宴」に。




