94 第二王子の訪問2
ルチル姫の取り巻きをしていた5人の少年たちは、全員が王都を離れることになったのだそうだ。
公的な追放処分ではない。事件のほとぼりがさめるまでの間、遠方の親戚や知人のもとで暮らすというだけだ。
腐っても貴族、子どもを預けるアテくらいあるのだろう。王都を離れた少年たちが、暮らしに困るようなことはないはずだ。
ルチル姫にケガをさせた少年も、お咎めはなし。
彼の場合は、他の少年たちと違ってそう簡単には王都に戻れないそうだが、むしろ戻らなくていいんじゃないかと私は思う。
ワガママ王女からも、王都のゴタゴタからも離れて暮らす。その方が、彼の将来のためにはきっといい。
もっとも、そのワガママ王女自身は、事件のショックで自室に引きこもったままらしく――。
「あの、殿下。ルチル姫って、あれからずっと?」
殿下は「そのようだな」と曖昧な答え方をした。「少なくとも、アクアや親父殿はそう言っている。事実かどうかはわからん」
ショックを受けて閉じこもっているというのは方便で、これも事件のほとぼりがさめるまでの間、人目を避けているだけなのかもしれない、とのこと。
13歳の異母妹に対し、いささか情のないセリフのようにも聞こえるが、ルチル姫の事件は、彼女1人の問題にはとどまらない。
ルチル姫には、17歳になる姉のフローラ姫が居る。
あの事件以来、そのフローラ姫を次の王様にしようとする貴族たちの派閥――通称「フローラ派」が神経を尖らせているらしいのだ。
「先日の一件は内々に処理されたが……。それでも人の口に戸は立てられんからな。王宮内では、かなり早い段階から真相がささやかれていた」
ルチル姫が取り巻きの少年を虐げていたこと。
彼女の両親がそれを放置していたこと。
挙げ句、醜い事件が起きてしまったこと。
「ラズワルドは事件をもみ消そうと躍起になっていたようだが」
醜聞というのは広まりやすいものだ。今では王宮内のほとんどの人が事件の真相を知っており、結果「フローラ派」は苦しい立場に追い込まれているのだという。
ちなみにラズワルドとは、王国の騎士団長の名前だ。
宰相閣下と並ぶお城の実力者で、「フローラ派」の中心人物。ルチル姫の母親アクア・リマとは養子縁組をしている。
「今度の夜会って、フローラ姫とアクア・リマも来るんですよね……」
正直、不安だった。
あんな事件が起きたばかりで。
あのワガママ王女の姉と母親がそろって出席する夜会に、クリア姫も出なければならない。
ルチル姫の一件を逆恨みして、クリア姫を責めたりしないか。いっそ、2人とも参加を自粛してくれればよいのだが――。
「ただ夜会に出席するというのとは違うな」
しかし私の淡い期待は、驚きに塗り替えられた。
なんとアクア・リマは、今度の夜会の主催者を務めるというのだ。
「えっ……」
「聞いていなかったか」
初耳だし、思いもしなかった。
アクア・リマは平民出身である。もとは酒場の歌姫だ。その彼女が、身分の高い女性ばかりが集まる伝統的な宴の主催者?
「『魔女の宴』は国王の妻、もしくは母親が取り仕切ることになっている」
が、王妃様は離宮で静養中。一方、国王陛下の母上はといえば、もうかなり高齢なはずだ。……ってか、生きてたっけ?
「名目上は、俺の祖母殿が宴の主催者だ」
あ、ご存命でしたか。失礼しました。
「ただ、ここ数年はほとんど床に伏している状態でな。夜会を仕切るどころか、出席するのも難しい」
で、前回の宴からアクアが代理をしていると。
「もっと身分の高い人が代理をする、って話にはならなかったんですか?」
たとえば、側室の誰かとか。
王様の側室は3人。1人は亡くなっているはずだけど、あとの2人は?
「1人は、数年前から王都を離れている」
その理由を、殿下は「色々あってな」としか言わなかった。
私はなんとなく察した。
多分、その側室は、好きで王都を離れたわけじゃない。権力争いに負けて、王都を追われたんだな、と。
4年前、カイヤ殿下が「救国の英雄」として王都に凱旋した後、兄のハウライト殿下が第一王位継承者の地位を正式に認められた。
その後、2人の叔父である宰相閣下の主導で、王位継承争いのライバルたちが次々と地位を剥奪され、あるいは王都を追われることになった。そう聞いている。
「じゃあ、もう1人は……?」
私の問いに、殿下は口をひらきかけ、「……話すと長い」と結局は口をつぐんだ。
要するに、そちらも「色々あった」んだろうなと思い、突っ込んで聞くのはやめておく。
「だけど、反対する人とか居なかったんですか?」
身分の高い女性限定の宴なのに、主催者が平民って。
「居た。それに関しては、派閥を問わずに反対の声が上がった」
そのため、フローラ派の貴族たちの間で、内輪揉めすら起きかけたそうだ。
結局は騎士団長ラズワルドの(強引な)後押しがあって、アクア・リマは主催者代理を務めた。
ちなみに、宰相閣下は別に反対しなかったそうだ。
「敵が内輪揉めしているなら上々、ついでに宴で失敗でもしてくれたら御の字だと」
あいかわらず、普通は口にするのをためらうような話を、平気でぶっちゃける人である。
で、結果は? 成功? 失敗?
「俺は実際に見たわけではない」
男子禁制、女性限定の宴なので。
「ただ、色々と話は聞いたな」
参加者の感想は十人十色だった。
「見事な宴だった」とほめる者、「悪くはなかったが、立場を弁えない振る舞いはやはり責められるべきだ」と非難する者、「平民らしい実に品のない宴だった、あれを評価する者の気がしれない」と揶揄する者。
「それって……」
総合的に見ると、そんなに悪い評価でもないような?
「そうだな。公平に客観的に見れば、良い宴だったのだろう」
「それは……、すごい、かも……」
国王の生母に変わって伝統的な夜会を取り仕切り、しかも成功させるなんて。
彼女の出自を考えれば大出世じゃなかろうか。同じ平民として、ちょっと尊敬する。
「そうか」
「あ、すいません……」
殿下の前で言うことじゃなかった。反省する私に、しかし殿下は「なぜ謝る?」と不思議そうな顔。
「話を聞けば、大抵の人間がそう思うだろう」
今年も名目上の主催は国王陛下の母上で、実際に取り仕切るのはアクア・リマという形になるらしい。
昨年の宴が失敗していればそうはならなかっただろうから、つまり彼女の実力が認められたのだ。
「でも、あの。ルチル姫のあんな事件があったばかりなのに……?」
実の娘が、不祥事を起こした直後である。宴で後ろ指を指されたり、嘲笑を浴びたりしそうな気がする。
私だったら、そんな時に目立つことはしたくない。多分どこかでおとなしくしている。
「確かに、この時期に敢えて人前に出ようというのは、無謀とも大胆不敵とも言えるな」
とつぶやく殿下。
皮肉のようでもあったが、何だか感心している風にも聞こえた。
「……アクア・リマってどんな人なんですか?」
私の問いに、殿下はしばらく考えて、「頭がいい。それに、肝が据わっている」
さらにもう少し考えて、「あの親父殿と長年連れ添っていられるのだから、忍耐強く、寛容でもあるのだろうな」
「…………」
私はだんだん違和感を覚え始めていた。
さっきから、殿下の話し方が。
……敵の話をしているようには聞こえない。
離宮に追いやられたままの王妃様を差し置いて、王の寵愛を受ける女性。王妃様のご子息である殿下にとってみれば、憎い存在ではないのだろうか?
しかも、あのルチル姫の母親だ。クリア姫がいじめられている時も、娘を叱るどころか放置していた人だ。
それなのに、なんか。すごいさばさばした口調。
「一応、敵なんですよね?」
今更とは思いつつ、確認せずにはいられなかった。
カイヤ殿下は、実兄のハウライト殿下を次の王様にしたい。
一方のアクア・リマは、娘のフローラ姫に王位を継がせるか、もしくは良い婿を迎えて、フローラ姫の子供を次代の王様にしたい。
これまでのいきさつや感情を抜きにしても、両者は敵だ。敵同士のはずだ。
殿下は否定しなかった。「そうだな」とうなずいた。
だけど、そのうなずき方も何だか軽すぎて、ちゃんと意味がわかっているのかと不安になっただけだった。
「どうかしたか?」
と、聞かれても困る。
「別にどうもしませんけど……」
「ならばなぜ、そんな顔をする?」
だから、聞かれても困るんだってば。
「えっと、その。……アクア・リマって、本当に敵なんですよね?」
「そうだと言っている」
それなら普通、もうちょっと敵意とか感じさせないものかな。殿下が普通じゃないことは知っているけど、それにしたって。
私の反応を見て、殿下は自分の言葉が足りなかったと思ったらしい。
「敵か味方かというなら、間違いなくアクアは敵だ。目的の不一致、利害の対立、存在自体が不利益を生じさせる相手。一般的に、それを敵と呼ぶ。和解も協力もありえない――」
私は殿下の説明にストップをかけた。
「あの、すみません。もうわかりましたので」
「……そうか?」
「はい。もう十分に」
アクア・リマのことはともかく、私の「違和感」が殿下に通じないってことはよくわかった。
「夜会の時は、十分気をつけます」
ルチル姫の時みたいに、クリア姫が傷つけられることがないように。
「そうしてくれ。特に今は、ルチルの事件のせいで向こうも追いつめられているからな。夜会の場で、何らかの反撃に出ることも考えられる」
夜会で反撃?
……もしや、クリア姫に毒でも盛るつもりとか?
「そんな直接的な手段は使わないだろう」
クリア姫に危害を加えたところで王位が手に入るわけでなし、露見すれば自分が処刑されてしまう。
「無論、万一のことがないよう、最善を尽くすが」
普通に考えて、クリア姫が狙われる可能性は低い。
では何を? と疑問符を浮かべる私に、殿下の説明は以下のようなものだった。
「魔女の宴」は形式こそ親睦会のようなものだが、本来は政治的な意味合いが強い。
身分の高い女性たちが集まって歓談しながら、互いに牽制し合い、権力を誇示し合い、時に火花を散らす。
「魔女の宴」とは本来、王国の上流階級の女性たちが、自らの、あるいは家や所属する派閥の、政治力と影響力をアピールするための場なのだ。
その出席者たちに、フローラ姫こそが次代の王にふさわしい、と思わせる。
あるいは「フローラ派」の方が「ハウライト派」より優勢なんだと示し、味方を増やす。
それができれば、「フローラ派」にとっては大いにプラスになる。
だからこそアクア・リマは、今度の宴で何かするかもしれない。
たとえば、名家の御曹司との結婚を電撃発表する、とか。
「もっとも、フローラの縁談については、叔父上が特に気をつけているからな。そうそう出し抜かれることはないだろう」
そういや、そうでしたね。確か、騎士団長の身内との縁談を潰した、なんて話も聞きましたっけ。
「ちなみに、ハウライト殿下に縁談とかは……?」
殿下はなぜか微妙な表情で口ごもった。
「ないわけではないが……」
「あ、すみません。立ち入ったことを聞いてしまって」
まあ、今更だけど。
そもそも、メイド相手に、何でも話しすぎなんだよね、この人。
「……兄上が未婚であることは、確かに王位を狙う上では弱みになる」
と、殿下は言いにくそうに認めた。
王国では、王位を継ぐこと自体は男性が多いものの、「魔女」を祖に持つお国柄もあって、女性の地位もけして低くはない。
歴代の王妃様は、貴族の女性たちを集めてサロンを形成し、独自のネットワークを作り、王の助けとなってきた。いや、時には王を凌ぐほどの権力を集めてきた。
しかし今現在、王妃様は王都を離れて久しく、「ハウライト派」で王都に残っている女性の王族といえば、幼いクリア姫と宰相閣下の奥方だけ。
「クリアの年で宴に出るというのは、実のところ、かなり早いのだが……」
クリア姫は、昨年冬から「魔女の宴」に出ている。
誰に命じられたわけでも強制されたわけでもなく、「自分にも何かできることがあるなら」というクリア姫本人の強い希望によって。
なるほど、姫様らしい理由だと私は納得したが、殿下は複雑な表情を見せている。
幼い妹に負担をかけていることを、兄として不甲斐なく思っているのかもしれない。
……どうだろう。
あんな小さい姫様にそんな重責は酷だ、不憫だ、と思うべきなのか。
それとも、しっかり者の姫様ならできる、子供扱いすべきじゃない、って思うべきなのか。
どっちが正しいのか、私にはよくわからない。
でも、自分の家族が大変な時に、ただ守られているだけ、というのは多分つらいんじゃないかと思う。クリア姫が、自分も役に立ちたい、とそう願っているのなら――。
私も腹をくくって、メイドとして、そんな姫様をしっかりサポートしよう。
「夜会の時、私が気をつけることって何かありますか?」
私はテーブルの上に身を乗り出した。
「ある。……今日はそれを話そうと思って来た」
熱意が伝わったのか、殿下は丁寧に説明してくれた。
夜会の出席者や、その関係性について。さっきは「話すと長い」と説明しなかった、側室の最後の1人のことも教えてくれた。彼女がなぜ、夜会の主催者になれなかったのかという理由も含めて。
大方の説明を終えた辺りで、ダンビュラがやってきた。
「おう、来てたのか?」
「ああ。クリアの様子はどうだ?」
今は起きていると聞いて、殿下は様子を見に行くと席を立った。
じゃあ、私は夕食の支度を――と台所に向かいかけた時。
「エル・ジェイド」
呼ばれて振り向けば、殿下が戻ってきていた。
いつも着ている黒い外套の中から封書を1通取り出し、
「すまない。これを渡すのを忘れていた」
前に約束した物だと手渡されたそれには、私の知らない名前が書いてあった。




