89 王都の路地裏
真夜中を過ぎ、人通りも絶えた路地裏は暗く、静かだった。
にぎやかな盛り場から通り1本隔てただけで、人の声はなく、明かりを灯す家もなく、見える範囲には街灯もない。
真っ暗だ。闇の中でじっとしていると、自分が闇と同化したような奇妙な感覚に陥る。
カルサは空を見た。
地上の闇とは対照的な、降るような星空がそこにあった。
――満天の星、って多分こういうのを言うんだな。
星にはくわしくないが、知っている名前をひとつずつ数えてみる。
牛飼いの星と、機織り姫の星。十字に並んだ星々は、姫を背中に乗せて運ぶ白い鳥。
あとは何だっけ。昔、ご隠居に教わったような……。
「ねえ、先輩は知ってる? 星の名前とか」
カルサは自分の横に並んでいる黒い影を振り向いた。
一見すると路傍に打ち捨てられたゴミ袋のようだが、よく見れば膝を抱えてうずくまっている男だ。
声をかけても、反応はない。
「俺はもう終わりだ……、俺の人生は詰んだ……」
ぶつぶつと、同じ言葉を繰り返している。
男の名はニックといい、カルサの先輩である。2人とも、王国の平和と民を守る「警官隊」の一員だ。
しかし今から小1時間ほど前、2人そろって仕事をクビになった。
正確には仕事でヘマをやらかし、「この失態を帳消しにできるような手柄を挙げるまで戻ってくるな」と追い出されてしまった。
もともとは、ニックが「怪しい貴族が怪しい商人と密会する」という情報をどこかで聞き込んできたのだ。
その現場を押さえるのが目的だったのに、あろうことか、ニックは別の貴族と商人の密談に踏み込んでしまった。
怪しい貴族は騒ぎのドサクサで姿を消し、密会の証拠はつかめずじまいだった。
……まあ、そもそも。
その貴族と商人が具体的にどう怪しいのか、カルサは知らない。本当に怪しいのかどうかもわからない。
ちゃんと裏を取ってもよかったのだが、ニックは「自分のお手柄」にこだわっていた。早く出世して、プロポーズしたい女性が居たからだ。
その女性は酒場の主人で、ここから通り1本離れた場所で店を構えている。
ニックが鬱陶しいほど落ち込んでいるのは、さっきその女性に会いに行ってフラれたせいだ。
自分は無実の罪で警官隊を追われた、かくなる上は共に逃げてくれと血迷ったセリフを吐く酔客に、彼女の答えは、「復職したら、またお店に来てくださいね」というものだった。
ニックの耳にはその言葉が、「無職男はお呼びじゃない」と聞こえたらしい。
実際はそういう意味ではなく、無職じゃなくてもお呼びじゃないという意味だとカルサは思うが、まあ細かいことはいい。
ともあれニックは恋に破れ、職を失い、ついでに住む場所すら失っていた。地方出身で王都に家はなく、警官隊の隊舎に部屋を借りて住んでいたからだ。
カルサの場合は、事情が違う。むさ苦しい男だらけの隊舎で寝起きなどしたくなかったので、安アパートに部屋を借りていた。家賃は前払いしてあるので、すぐに追い出される心配もない。
それでも、警官隊をクビになるのは困る。
今のところ、他に居場所がないからだ。
……と、いうより、他にやりたいことがない。自分を拾ってくれたご隠居のもとで、彼の信じる「正義」のために働くこと。今はそれ以外、特に興味を引かれることがない。
「ねえ、先輩。いいかげん、元気出してよ」
できれば追い出された者同士、どうやって「手柄を挙げる」のか、善後策を講じたい。
「……ああ……、俺はもうダメだ、終わりだ……」
「それはもう聞いたからさ。なんか他のこと言ってよ」
ぐいぐい。肩を揺すっても、ニックは反応しない。
「大手柄を挙げ、警官隊を継ぐ男になるという俺の夢が……」
「そんな夢、あったんだ? ご隠居の養子にでもしてもらうつもりだったの?」
「王都の英雄となり、美しき姫君に見初められ、王位を得るはずが……」
「うわ、ずうずうしい。ってか、セラフィナさんは? さっきあの人に告白してたよね?」
「いずれは王国中の美女を集めた楽園の王となる予定が……」
「……要するにハーレム? 先輩って、ハーレム願望なんかあったんだね」
「だが、その夢は潰えた……。このまま何者にもなれず、路傍で朽ち果てていくのみだ……」
「何でもいいから、そろそろ立ってよ。今夜の宿なら、俺の部屋に泊めるからさ。先輩と同じ部屋で寝るとか、本当はすっごい嫌だけど」
そう言いながら自分も立ち上がり、服についた汚れを払い落とす。
ニックは尚も動こうとしなかったが、カルサは放っておくことにした。
引きずってでも連れて行くとか、そこまで面倒みる気にはなれなかったし。
放っておいたら野犬に食われる、なんてことも多分ないと思う。王都の野犬はわりと上等な残飯を食べているから、人間の男など襲わないはずだ。きっと、残飯の方がおいしい。
ニックを置き去りにして、路地を歩く。
静かだった。静寂に包まれているというより、不気味に静まり返っていると表現した方がいいような静けさ。
物盗りでも出そうだな、とカルサは思った。
王国は豊かで、王都は比較的平和だ。
――しかし、先の戦争からまだ4年。戦後の混乱で商売に失敗したり、戦場帰りの兵士が心を病んで、まともな職につくことができずに身を持ち崩してしまう例もある。
そうして犯罪者にまで身を落とし、路地裏で獲物を狙っている者が居たとしても、別に不思議はない。
物盗りを捕まえたら、「失態を帳消しにする手柄」になるかな、とカルサは思った。
だから、自分の進路を塞ぐように怪しい人影が現れた時、ラッキー、と思った。
反射的に腰の後ろに手を伸ばす。
そこには警官隊の特殊警棒が、普段ならある。
クビになって叩き出される時、返却させられた。今は丸腰だった。しょうがないので、私服の内ポケットから武器を取り出そうとした時。
「よう、坊主。……元気か?」
人影がしゃべった。甲高い男の声のようで、ハスキーな女の声のようで、若いようで年寄りのようで、カルサにとっては聞き覚えのある声だった。
「えと、誰だっけ?」
聞き覚えはあるのだが、とっさに名前が出てくるほど親しい相手ではない。
「ゼオだよ。恩人の名前を忘れる奴があるか」
音もなく暗闇の中から現れた人影は、全身にすっぽりと紫色のローブをまとっていた。
怪しい魔道師か、イカサマ占い師みたいな格好だ。声を聞かなければ、知り合いだとは気づかなかっただろう。
「恩人って、何回かご飯食べさせてくれただけじゃん。そのご飯も、出世払いだとか言って、後で奢らされたし」
すかさず言い返すと、男はあきれたようだった。
「あいかわらず、口の減らねえガキだな」
「何か用?」
カルサの方は、男に用などない。疲れたし空腹だし、早く帰りたかった。
なのに男は、「そう急くな」とか言って、用件を話そうとしない。
「最近はどうだ。変わりないか?」などと、極めてどうでもいいことを聞いてくる始末。
「変わりなんてないよ。ずっとご隠居の所に居る」
ついさっき追い出されたばかりだが、失態を帳消しにできるような手柄を挙げれば帰れるのだから、別に言う必要はない。
「ご隠居の所、か……。つまり、ずっとカタギの仕事をしてるってわけだな」
「うん、もちろん」
自信を持ってうなずくと、男は「ケッ」と吐き捨てた。
カルサがカタギなのが気に入らないのだろうか。そんなことより、早く用件を教えてほしいのだが。
用がないなら、もう行くよ――そう言って身を翻しかけた時、男が口をひらいた。
「あの娘と親しくしてるのか?」
カルサは瞬きした。
「って、誰?」
「昼間、中央公園であの娘に話しかけてただろうが。今日――じゃない。日をまたいでるから、きのうか」
きのうの昼間。中央公園。あの娘、すなわち若い女。
「ああ、姐さんのこと?」
なんだよ姐さんってのは、と男が毒づく。
「え、ちょっと待ってよ。あの姐さんと知り合いなの?」
見た目も怪しいが、中身も王都一怪しい、カルサが知る中で最もうさんくさい、年齢不詳、本名不詳のこの男が?
カルサが言外に込めた含みを、男は敏感に感じ取ったらしい。「てめえが他人様のことを言えた義理か」と不機嫌そうに吐き捨てた。
「俺は別に怪しくないよ」
警官だし。今も昔も、悪いことなんてしてない。
あの姐さんだって、この男とは全然違う。
濡れ衣を着せられれば留置所の壁を蹴破りそうなほど怒り、相手が刃物を持った貴族でも、迷わず蹴りを入れた。
いつ見ても、背筋がぴんとのびている。やましいことなんて何にもないって顔をしている。
そういうところが、いいと思う。ちょっと、ご隠居に似ている、とも思う。
「俺は怪しくない、か。よく言えたもんだぜ」
「ねえ、こっちの質問に答えてよ。あの姐さんと知り合い? どういう関係?」
「どんな関係でもいいだろう……いや、そもそも関係なんてない。別に、知り合いでもないしな。おまえもあの娘には近づくな。理由は聞くんじゃねえぞ」
何だか知らないが、随分と勝手な言い草であることはわかる。
「なんで?」
「だから、理由は聞くなと言ったろ。詮索は無用、とにかく関わるな。どのみち、あの娘はそう長いこと王都に居るわけじゃない。すぐに郷里に帰るはずだ」
「って、なんで?」
間髪入れずに問い返すと、男の声にいらだちが混じった。
「あの娘が真っ当な育ちをしてるからだよ。薄汚い王宮なんぞ、すぐに嫌気が差すに決まってる」
「別に、普通に働いてたよ? お姫様とも仲良さそうだったし」
「まだ小さいお姫様と仲が良かろうが、そんなものは――」
言いかけて、ふと口をつぐむ。ローブの奥のまなざしが光る。「……おい。なんでそんなこと知ってやがるんだ」
おっと、口がすべった。
「王宮に忍び込んだのか」
「警官隊の仕事だよ。ちょっとしたネタ集め。有力な情報は剣より強い、敵を知り己を知れば百戦危うからず、ってご隠居がよく言ってるし」
「……で、ついでにあの娘のことものぞいたってか」
その口調に含まれた毒気に、カルサは顔をしかめた。
「のぞきなんてしてない。元気にしてるのかなって気になったから、ついでに様子を見に行っただけ」
メイドとしての仕事ぶりを、天井裏から、少しばかり見ただけだ。私室とか、プライベートな場所には近づいてもいない。
お姫様の護衛――獣の姿をした謎の生き物に、すぐに追い払われてしまったし。
なのに、男はカルサが良からぬことをしたと決めつけているようで、
「もう1度だけ言う。3度目はないぞ」
と、低く脅すような声で言った。
「命が惜しいなら、あの娘には関わるな。あれはカタギの娘だ。俺やおまえみたいな血生臭い人間が、おいそれとそばに寄っていい人種じゃねえんだ」
セリフの後半は、何やら寂しげに宙を見上げたりしている。
自分に酔っているのか、酒にでも酔っているのか、どちらにせよ、理解できない。
「いいな、警告はしたぞ。今度あの娘に話しかけでもしやがったら、ただじゃおかねえからな」
言うだけ言って背中を向ける。こちらの答えなど、ハナから聞く気もなしだ。
年寄りはこれだからなと思いつつ、一応、抗議しておく。立ち去る男の背中に向かって、
「俺やおまえみたいな、って一緒にしないでよ。俺はあんたみたいな人殺しじゃない」
ただ、その訓練を積んだことがあるというだけだ。
物心ついた頃には目の前に誰だか知らない大人が居て、武器の使い方や毒物の扱い、人殺しの方法を教え込まれていた。
あの大人は多分、自分を刺客とか暗殺者とかにしたかったのだと思う。
扱いもぞんざいだった。他人の命も、自分の命も軽いものだと教えられた。
親は誰かとか、自分がどこで生まれたのかとか、そういうことは知らない。別に、興味もない。
ただ、想像はつく。王国でその手の汚れ仕事をさせられるのは、大抵隣国から売られたかさらわれたか、戦災で身寄りを亡くした子供だ。
自分の場合、幸いにして本物の人殺しになる前に、周囲の事情が変わった。
くわしいことはわからないが、どうも雇い主が没落したらしい。他にも何人か居た子供たちは、全員お役御免となった。
――7年前。
路上に放り出されて行くアテもない自分を、拾ってくれたのがご隠居だ。
屋敷に連れ帰り、飯を食わせ風呂に入れ説教して、着るものを与え寝床をあてがい、また説教して飯を食わせてくれた。
ご隠居はおもしろい。頑固でものすごく厳しいが、見ていておもしろい。それに、自分を訓練した大人たちと違って、なんとなく好ましい。
「おおーい、待ってくれー!」
その時、静まりかえった路上に、騒々しい声と足音が響いた。
「俺を置いていかないでくれえー!」
ニックだ。ようやく正気づいたらしい。
「先輩、こっちだよー!」
カルサは叫んだ。間もなく、闇の中に、薄汚れた先輩警官の姿が浮かび上がる。
よろよろとこちらに近寄ってくると、すがりつくようにカルサの手を取り、おいおいとむせび泣き、
「俺を見捨てていくな、同志よ。全てを失った俺だが、まだ果たすべき使命が残されているのだ!」
それは警官として王都の平和を守ることだと、熱に浮かされたような声で宣言する。
実際に浮かされているようにも見えるし、疲労と空腹と、あとはご隠居にどつき回されたショックでうわごとを言っているだけなのかもしれないけど。
「そうだね、先輩。早く手柄を挙げて帰ろうよ。俺、早く警官隊に戻りたい」
そしてまた、ご隠居のもとで働きたい。
カルサはご隠居の、目であり、耳だ。王国の正義の番人、ジャスパー・リウスの「密偵」だ。
……小1時間前までは、そうだった。
いずれまた近いうちにそうなる予定である。
「とりあえず、帰ってご飯にしよっか」
同志よ、と抱きつこうとするニックの体をひょいとかわし、カルサは自分の安アパートに向かって歩き出した。
これにて第一部完結となります。
第二部開始の時期は未定ですが、できるだけ早く書きためて戻ってきたいと思います。(詳細は活動報告にて)
ここまでお付き合いくださった方、本当にありがとうございました。
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