88 新米メイドの告白
その日の夕方、カイヤ殿下がお屋敷に姿を見せた。
私が玄関のドアを開けると、殿下は少し驚いたような顔をした。「パイラはもう行ったのか?」
このお屋敷で殿下を迎えるのは、いつも彼女の役目だった。
「はい。今朝早くに」
「……そうか」
短いつぶやきは、どこかため息のようにも聞こえた。
あいさつはとっくにすませていたはずだけど、いざ「出て行った」と聞くと思うところがあるのだろうか。
パイラは結局、告白とかはしなかったらしいが――って、違う。そういう話じゃなくて。
こんな形で彼女が辞めることになって、責任を感じているとか。
パイラ自身は否定していたものの、やっぱり宰相閣下に無理強いされたんじゃないかと心配しているとか。
「…………」
殿下は黙って考え込んでいる。
私もまた、黙って立っていた。
とりあえず事情を知っているというだけで、2人がどんな話をしたのかとか、くわしいことは何も聞いてないし。
「あの、とにかく上がってください」
せめて温かいお茶でも飲んでもらおうと、そう言った。
しかし殿下は、なぜかその場を動こうとせず、じっと私の顔を見つめてきた。
ゆっくりと、日が傾いていく。
庭園の草木がオレンジ色に染まる。
殿下の瞳も。
黒い宝石みたいな目の中に、赤い夕日の光が揺れて、とてもキレイだ。
「エル・ジェイド」
あらためて、私の名を呼ぶ。「少し、話したいことがある」
「え、話?」
「ここではなんだ、場所を変えよう」
そう言って、こちらの返事も聞かず、先に立って歩き出す。
何だろう。わざわざ場所を変えて話したいって。クリア姫やダンビュラには聞かせたくないってこと?
戸惑いつつも、私は従うしかない。
殿下はすたすたと来た道を引き返していく。
黄昏時の庭園を、遊歩道に沿ってしばらく進み、やがて行く手に小さな池が見えてきた。
池のほとりにはベンチがある。何日か前、怪しいセクハラ親父に遭遇した――ろくでもない思い出のある場所だが、景色はいいところだ。
特に今の時間帯は、水面に夕陽が反射して、赤い鏡のようになっている。その光が周囲の森と溶け合い、幻想的にきらめいて。
本当に、言葉にできないくらい美しい眺めだった。
殿下は池の手前で足を止め、くるりと私の顔を振り向いた。
「話は聞いた」
「え」
「叔父上がおまえに無礼なことをした」
すまなかったと謝られて、何のことやら、ぴんとこなかった。
「叔父上がおまえの身元について、勝手に調べていた、と聞いたが……」
「あ、ああ。あの時のこと」
遅れて、理解する。
アゲートと商談中だった宰相閣下と、偶然会った時の話か。
「……まるで忘れていたかのような反応だな」
「あー、はい。その後、色々あったもので……」
宰相閣下に責められた時はマジで命の危険を感じたし、普通だったら忘れられるものじゃないだろう。
でも、あの日は普通どころの騒ぎじゃなかった。
事情聴取のために連れて行かれた警官隊ではジャスパー・リウスの凄まじい説教を受け、お城に戻ってくればルチル姫の行方不明事件だ。おかげですっかり、頭から抜け落ちていた。
「…………」
殿下は拍子抜けしたような顔で黙っている。
なんとなく気まずくなった私。
「あの、それって宰相閣下がご自分で話されたんですか?」
「いや、俺が問いただした。パイラの件があったからな。もしや新しいメイドにも何かしていないだろうな、と」
もっともな疑問である。そして宰相閣下は、あっさり認めたそうだ。
「その時に、少し聞いた。おまえの父君の話を」
…………。
……聞いたんだ。
そりゃ宰相閣下にしてみたら、殿下に隠しておく理由がない。
私のこと、信用してないみたいだったし――無理もない話だが――あのメイドは辞めさせた方がいい、とか言ったのかもしれないな。
「えと、お聞きになったのは、私が父を探して王都に出てきたこととか……?」
「ああ」
「7年前の事件のこととか……」
「そうだ」
「父が、その……人を、手にかけたこと、とか……」
「……ああ」
「すみません。ずっと隠してて……」
殿下は「詫びる必要はない」と首を横に振った。
「簡単に明かせる事情ではないだろう。むしろ、勝手に暴き立てるような真似をして悪かった。おまえの父君の件は、無理に聞かないという約束だったのにな」
そんな風に言ってくれるんだから、つくづく人がいい。
普通は怒るところじゃないのかな。ただの田舎娘だと思って雇い入れたら、父親が正体不明の人殺しだ。だましたのか、と非難されたって仕方ない。
なのに殿下はまるっきり怒る素振りもなく、もちろん私をクビにしようともしなかった。
「叔父上の言ったことは、できれば忘れてくれ。今後もクリアのメイドとして働いてほしい」
「……いいんですか?」
そりゃ私だって、この仕事を辞めたいわけじゃない――少なくとも、今すぐ辞めたいとは思っちゃいないが――。
「父親がそんな、素性の怪しい人間で……」
「別に、親がどんな人間かということは関係ないだろう」
いや、ありますよねと突っ込もうとしたら、「それを問題にされたら、俺は誰の信用も得られなくなる」と言われて、ぐうの音も出なかった。父親がアレで、苦労したのは想像に難くないし――。
や、でも。それとこれとは話が別っていうか。
王様は確かに問題の多い人だけど、素性だけはこれ以上ないほどはっきりしている。一方、うちの父親の場合は、そもそも何者だったのかというのが問題なわけで。
「素性というなら、俺の部下にはさまざまな素性の人間が居る。敵国で生まれた者や、過去に罪を犯した者、元は敵の間者だった者も」
……本当にさまざまな素性だった。
しかも、敵国生まれはまだいいとして、元スパイとか。そんな簡単に部下にできるものじゃないと思う。
「どのような素性であれ、『だから信用できない』ということはない。逆に、生まれも育ちも傷のない人間が、普通に敵に回ることもあるのが王宮というものだ」
殿下の敵は騎士団長だっけ。あとは王様の側室や愛人、その後ろ盾の貴族たち。ルチル姫の母親で、平民生まれのアクア・リマだけがちょっと例外で、他は生まれ育ちに傷のない人々と言える。
「つまり信用というものは素性に拠らない。相手がどんな人間かに拠る」
もっともといえばもっともな理屈だけど、私の気持ちは晴れなかった。
悪いことをした時のような後ろめたさ、罪悪感が消えない。
こんな気持ちになるくらいなら、ホント、もっと早い時期に打ち明けてしまえばよかった――。
……なんて。今更後悔したって仕方ないか。
今からでも、話せることは話そう。それも今更だが、一応、私なりのケジメだ。
小さく嘆息してから、私は顔を上げ、雇い主と視線を合わせた。
「うちの父親は、王都の貴族様の密偵だったらしいです」
数秒間、沈黙が落ちた。
「行商人のフリして王国中を周りながら、情報を集めたり、諜報活動っていうんですか? そういうの、してたらしいです」
殿下の表情は変わっていない。ただ、すぐに反応がないところを見ると、これは初耳だったのかもしれない。
ってことは、宰相閣下も知らないのかな。
ちなみに私自身が知ったのは、今から数週間前のこと。
実家の居酒屋にたまにやってくるお客さんが、今年のはじめ、父によく似た人を王都で見かけた――と言い出した。それが全ての始まりだった。
その客は、父と同じ生業をしていた。
つまり、行商人だ。といっても、さほど親しい間柄ではなく、一応付き合いがあったという程度。王都で見かけたのもあくまで「似た人」で、本人だったという確証はないとも言われた。
それだけなら、私も王都くんだりまで探しに来ようなんて思わなかっただろう。
直接の引き金は、一緒に店番をしていた祖父が烈火の如く怒り、その客を叩き出してしまったことである。
――俺の店で、あの野郎の話をするんじゃねえ、出てうせろ!!!
祖父は父のことを怒っていた。正体を偽っていたからでも、人を殺めたからでもなく、家族に説明もなく姿を消してしまったこと、娘と孫たちを悲しませたことに怒っていた。
それは知っていたけど……、不確かな噂を持ってきただけの人間(しかも店の客)を、怒って追い出そうとするなんて、やり過ぎだし。
変だ、と思った。
躍起になってその客を追い立てる祖父の姿は、明らかにおかしかった。まるで、知られたくない何かを必死に隠そうとしているみたいで――。
私は祖父を問いつめた。
父のことで、何か隠していないかと。ストレートに問いつめた。
7年前、私はほんの子供だった。だから祖父や母だけが知っていること、私や弟妹には言わなかったことがあっても不思議はない。そう思って。
祖父はまともに答えようともしなかった。
言い合いが怒鳴り合いになり、怒鳴り合いがつかみ合いになり、しまいにはお互いにそこらの物を投げ合って、近所の人が見物に来るほどの騒ぎに発展した。
私の欠点は、頭に血が上りやすいことである。両親どちらも穏やかな人なのに、3人きょうだいの中で私だけがそうだ。
多分、いや間違いなく祖父の血を受け継いだのだろう。その祖父と私がけんかになると、誰も止められない。収拾がつかなくなる。
売り言葉に買い言葉で、「おじいちゃんが教えてくれないなら、自分で確かめに行く!」と叫び、単身、王都へ――。
旅立とうとした直前、母が教えてくれたのだ。
7年前、何があったのか。私の父が、本当はどんな仕事をしていたのかを。
「父はずっと真面目に?勤めてたらしいんですけど、7年前に何か大きな失敗をしちゃって、ご主人様のお怒りを買って、刺客を差し向けられて――」
その刺客を返り討ちにしてしまい、姿を消すしかなくなった。
「そういういきさつだったから、父が王都に居ることは絶対ありえない、って母は言うんですが……」
店のお客さんが見かけたという人は、たまたま似ていただけの別人だ。残念だけど、お父さんが帰ってくることはもうない――。
「確かに、今の話を聞く限りではそう思える」
殿下は最初の驚きから覚めたのか、いつもの調子で質問してきた。「それを知りながら、なぜ王都に出てきた?」
「…………」
私は口を閉じた。
ここまで来たら、もう全部言ってしまうしかないとわかっている。
それでも、できることなら伏せておきたかった。
自分でも、気の迷いとしか思えないからだ。あるいは白昼夢でも見たとしか――。
「……魔女に会ったからです」
「は?」
殿下が問い返してくる。半ばヤケクソ気味に、私は言い放った。
「だから、魔女に会ったんですよ。それで言われたんです。おまえの父親は王都に居る、王都に行けば会えるかもしれないって……」
「…………」
もともと表情の乏しい殿下が本物の無表情になるのを、私は初めて見た。
もはや生身の人間ではなく、等身大の彫刻か人形みたいだ。もちろん、名のある職人が作った、国宝レベルの彫刻である。
再び口をひらいて人間に戻るまで、随分長い時間がかかったような気がした。
「……魔女というのはつまり、伝説の白い魔女か」
「いえ。多分、黒い魔女の方だと思います。黒い髪に黒いローブを着てましたし、あと、自分でそう名乗ってましたからね」
私はノコギリ山に住む黒い魔女だ、と。
「…………」
今度の沈黙は、それほど長くなかった。
「その魔女の導きに従って、おまえは王都に来たのか」
「そうです」
答えて、胸を張る。
笑うなら笑えという気分だった。
私だって、これが他人から聞いた話なら笑うどころか正気を疑う。
殿下は笑わなかった。ただ、いささか反応に困ったようだ。意味もなく自分の頭に手をやったり、指先で頬をかいたりしてから、ようやく言うことには。
「……驚いたな」
わりと芸のないセリフであった。
あまり驚いているようには見えなかったので、「やっぱり、信じられませんよね」と私は言った。
「いや、そんなことはない。俺自身は魔女に会ったことはないが、会ったと主張する者に会ったことならある」
「……ダンビュラさんのことですか」
魔女に姿を変えられたという、しゃべるケダモノ。
確かに彼の存在は、魔女の実在を示す証拠と言えなくもない。あるいは、この世になにがしかの神秘が存在する証拠と言い換えてもいい。
「ダンビュラもその1人だな」
って、他にも居るんだ。殿下はその辺りのことにはふれず、「だから、おまえの話も頭から疑うわけではない」と言った。
まるっと「信じる」とは言わないところが、この人にしては慎重だ。
「魔女に会った者」ではなく、「会ったと主張する者」という言い方もそう。
殿下は魔女の存在に懐疑的なんだろうか?
妹のクリア姫はあんなに魔女のお話が好きだし、この国の王家の祖――殿下のご先祖様だって、一応は魔女だということになっているのに。
「その『魔女』は他にどんなことを言っていた?」
王都に行けば父親に会えるかもしれない、ということの他に。
「全然、何も」
具体的にどうすればいいか、手がかりひとつ告げてはくれなかった。
「こっちが驚いて固まってるうちに、気がついたら消えてましたし」
祖父と大げんかし、母に7年前の真実を告げられ、頭が混乱して。
とにかく気持ちを落ち着けようと家の外に出たら、目の前に立っていたのだ。そして短い言葉だけを残し、すぐに消えてしまった。
普通であれば、それこそ「夢でも見た」と思って忘れるか、即座に医者にかかるかするところだと思う。
その「魔女」の言葉に従って、王都まで出てくるなんてありえない。
なのに、どうして私は今、ここに居るのか――。
本当のところは、自分でもよくわからないのだ。
あの『黒い魔女』に父が王都に居ると言われた時、どうしても行って確かめなければならないような、そんな衝動に突き動かされたのは確かだ。
それも今考えて見れば、悪い魔法にでもかけられていただけだったのかもしれない。
父を探そうにも、あまりに手がかりが乏しい――そう気づいた時には、時既に遅く。
家族の説得を振り切り、「勘当だ」と怒り狂う祖父に背を向けて、王都まで来てしまっていた。
「おまえが貴族の雇い主にこだわっていた理由は? 父君が貴族の密偵だったという話と関係があるのか?」
私は首肯した。貴族に仕えていた父のことを知るため、とにかく偉い人たちに近づく手段がほしかったのだと。
殿下は「雲をつかむような話だな」と若干あきれたような顔をした。
「貴族なら誰でもいいというものではないだろう。父君が仕えていた貴族の名はわからないのか?」
仰る通り、その雇い主に当たることができれば1番手っ取り早い。
「家の名前は、母が教えてくれました。でも、戦後のゴタゴタでつぶれちゃったらしくて」
ちなみに「ブラウン家」という、すっごい平凡な名前だ。
殿下も「どこにでもありそうな家名だな」と首をひねった。「一応、調べてはみるが……、あまり期待するなよ」
いや、期待って。
「お力を貸していただけるんでしょうか。その、父を探すために――」
ほんの一瞬、殿下は不思議そうな顔をした。「俺にできることがあれば力になる、と前にも言っただろう」
言いましたよ。言いましたけどね。私の事情は、いわゆる「厄介事」に当たると思うんですが。
それを隠していたと怒るでも責めるでもなく、当たり前みたいに助けてくれようとするんだから。
ホント「重度のお人よし」だ。宰相閣下が心配して、あれこれ手を回すのもわかる気がする。
「私、大したお礼はできないと思いますが……」
今度は一瞬ではなく、殿下は不思議そうな顔をした。
礼の必要はない――って言い出すのかと思えば、「そもそも、役に立てるかどうかわからん」だって。
「今の話だけでは手がかりが少なすぎるからな。しかも、7年前に起きた事件というのが厄介だ」
「……? どういう意味ですか?」
私の疑問が、殿下にとっては意外なものだったらしい。
「知らないか? 当時は色々あって、王都がかなり騒がしかったのだが」
そう言われても、特にピンと来るものがない。
7年前といえば、殿下がクリア姫と別れて戦場に行くことになったのがその頃のはずだけど……、あれは戦況が悪化したせいじゃなかったっけ?
「……そうか。あの時ゴタついていたのは国の上層部だからな。国民にはそれほど認知されていないのかもしれんな」
殿下は1人で納得してしまったようで、その件についてくわしく説明しようとはしなかった。
「おまえの父君が――」と話を戻し、「貴族の密偵だったという話が事実なら、居場所を見つけるのは容易ではないだろう。知人を探すにしろ、当時の事情を調べてみるにしろ、おそらく困難を極めることになるはずだ」
密偵というのは影の存在。法にふれる仕事をすることもあれば、主人の後ろ暗い秘密を知ってしまう場合だってある。
どこの貴族も、自分の密偵のことなんて調べられたくない。下手にそんな真似をすれば身の危険があるかもしれない。
「……王族の殿下でも難しいんですか?」
「少なくとも、簡単ではないな。その『ブラウン家』というのが仮の名で、実はクォーツ家に仕えていた、とでもいうなら話は別だが」
さすがに、うちの父が王家に仕えられるほどの大物とは思えない。
「つまり、探すのはあきらめた方がいいと……」
「そうは言っていない。おまえがそれでも父君を探すつもりなら、思いつく手段がふたつある」
その方法とは?
思わず前のめりになる私に、殿下は。
「続きはまたにしよう」
と、気抜けするようなことを言い出した。
思わず膝が砕けそうになったが、
「そろそろ日が暮れる。あまり遅くなると、クリアが心配するだろう」
夕陽は沈みかけ、池の水面もあかね色から藍色に変わり始めている。間もなく夜だ。そういや、お夕食も作りかけだった。
クリア姫をお待たせしては悪いし、確かに1度お屋敷に戻った方がいいかも。
「わかりました。殿下もお夕食、食べていかれますよね?」
話の続きは、それからってことで。
ああ、とうなずきかけて、殿下はふと気づいたように言った。「そういえば、おまえの作った料理を口にするのは初めてだな」
殿下がお屋敷に居る時は、全てパイラが用意していたから。
「クリアはおまえの料理の腕をほめていた。俺も期待している」
「や、そんな。期待していただくほどのものでは、けっして」
「謙遜することはない。居酒屋を営む祖父殿直伝の腕前なのだろう?」
楽しみだな、とつぶやいて、殿下はお屋敷の方に足を向けた。
だから、そんな楽しみにするほどのものじゃないんです、と言いかけてやめた。
おいしいごはんを作るのも私の仕事だ。
どうやら、この先も色々とお世話になることになりそうだし、今の私には大したお礼もできない。せめて自分の仕事をしっかりすることにしよう。
――よし。がんばって、ご馳走作るぞ。
「魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~」第一部・了




