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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第三章 新米メイドの王宮事件簿
88/410

87 別れ

 ルチル姫は無事だった。

 水も食べ物もない状態で放置されて弱ってはいたものの、傷の方は幸い命に関わるほどではなく、ちょっと頭を打って出血した程度だったらしい。翌日には、王宮の侍医から「もう心配はない」と言われたそうだ。

 ただ、それは体の方だけで。

 いつ助けが来るかもわからない暗闇の中で、死の恐怖に直面し続けたこと。現実にはたった1日でも、当事者にとっては無限に思えたのかもしれない。

 あのしぶとそうなお子様も、その恐怖には耐えかねたようだ。

 正真正銘ショックを受けて自室に閉じこもり、ろくに口もきけない状態になっているという。


 事件を起こした少年たちは――彼らの処遇は、まだ決まっていない。

 仮にも王族にケガをさせたわけだから、本来なら極刑もありえるくらい重い罪だ。

 が、事件の経緯が経緯である。

 王様も、ルチル姫の母親アクア・リマも、その養父である騎士団長ラズワルドも。自分たちの醜聞を世間に知られたくない、という弱みがある。

 無論、知られないよう、ひっそりと関係者を処分する方法もあるだろうけど。

 そうはさせないために、カイヤ殿下は、少年たちの身柄を全員引き取ることにした。

 例の、王様との「取引」を使って。

 ルチル姫を探すのに協力する見返りに、何でもひとつ言うことを聞く、というアレだ。


 そんなことしたら、事件への関与を疑われるんじゃないか。そう心配する私に、「そうなったとしても仕方ない」と殿下は言っていた。

 宰相閣下の密偵をしていた少年を守らなければならないから――という理由については、私は知らないことになっているから口にしなかったが。

 少年たちは皆、それなりに名のある貴族の子息だ。うまく貸しを作れば、彼らの家ごと味方に取り込むことも不可能ではない。

 その辺りの工作は、宰相閣下の得意とするところらしい。

 最終的には、事件を公表しない代わりに、少年たちには事実上お咎めなしという形に持っていくだろう、とのこと。


 こうして、行方不明事件は終わった。

 人死にが出ることもなく、誰かが厳しい罰を受けることもなく。

 ルチル姫は前述のようにショックで引きこもってしまったので、今後はクリア姫がいじめを受ける心配もない。

 万事解決、めでたし、めでたし。

 と、言えればよかったんだけど……。

 私は少しばかり落ち込んでいた。

 理由はわからない。念のため言っておくと、ルチル姫に同情したわけではない。全くない。

 ただ、気分が重い。うんざりするほど、重い。


「疲れちゃったんじゃない?」

 そう言ったのはパイラだ。

 あの日から3日後。

 お屋敷の玄関まで見送りに出た私に、パイラはからかうような、気遣うような、曖昧な笑みを向けた。

 この季節にはちょっと暑そうなコートを羽織って、荷物は小さな鞄がひとつだけ。

 早朝だった。クリア姫はまだ寝ている時刻だ。

「あいさつはきのうの夜にすませたから、起こさなくてもいいわ」

とパイラは言った。「顔を合わせても、お互い気まずいしね」


 彼女は今日、お屋敷を出て行く。予定よりだいぶ早まったのは、パイラ本人がそうしたいと言ったからだ。

 彼女が宰相閣下に雇われていたこと、お屋敷の様子をこっそり伝えていたこと。それが明るみに出てしまったから。


「別に、責められたわけじゃないんだけどね」

 薄曇りの空を見上げて、パイラは嘆息した。

「殿下もクリア姫も、むしろ心配してくれたし。私が宰相閣下に脅されて、無理やり働かされてたんじゃないかって。……実際はそこまでひどい待遇でもなかったのよ。閣下はちゃんとお給料をくれたし」

「あの、パイラさん」

 いつから宰相閣下に雇われていたのか。私は聞いてみた。

 パイラの答えは「1年前」だった。思いのほか早い。つまり、彼女が「魔女の憩い亭」の仲介でここに来てすぐってことになる。

「閣下に呼び出されたの。話がある、って」

 事情もわからないまま行ってみると、いきなり突きつけられたのが、パイラの経歴を事細かに調べた調査書。「人のいいカイヤ殿下に代わってあなたのことを調べさせてもらった」と言われ、「ついては頼みがある」と。


 どこかで聞いたような話だな、と私は思った。

 私も、宰相閣下に調べられていた。事細かに、というほどではないが、それは単に時間がなかったからだと思う。


「正直、怖かったわね」

 パイラは細い肩を小さく振るわせた。

 宰相閣下がやり手という噂は聞いていたし、例のくまさんみたいな容姿でにこにこ笑う姿が、「何を考えているのかわからなくて……本当に、怖かった」

 わかる。私も、ズバリ父のことを聞かれた時には、心臓が止まるかと思ったし。

「だから、閣下の話を断るなんて、あの時は考えられなかったの」

 それはどうだろう。まずはカイヤ殿下に相談してみるとか、方法はあったと思うけど……。


 私の考えていることが伝わったのか、パイラはちょっと苦笑して見せた。

「……なんて、言い訳にしか聞こえないわよね」

「宰相閣下は、どうしてパイラさんにそんなことをさせたんでしょうか」

 別に、殿下が宰相閣下に隠れて、何か悪巧みをしていたというわけじゃなし。仮にしていたとしても、幼い妹姫のお屋敷で聞かれてヤバイ話なんてしないだろう。

「さあ? 偉い人の考えることなんて、私にはさっぱり」

 事実、パイラが伝えた「情報」は他愛のないものばかりだった。今日もカイヤ殿下が訪ねてきた、クリア姫に珍しいおみやげを買ってきた、などなど。


 ただ、情報を伝えるためには、宰相閣下の手の者に定期的に会う必要があった。

「だから、見張られていたのは私の方なのかもしれない」

 どこかの誰かのスパイでは、と疑われたのか。あるいは、今後そうならないように、あらかじめ圧力をかけたのか。

「何だかね。この仕事を頼まれた時には、ツキが回ってきた、って喜んだものだけど――実際に働いてみたら、想像してたのと違って」

 パイラは疲れたように肩を落とし、

「できるなら、早いうちに辞めたいと思うようになってたのね。だから彼にプロポーズされた時、急ぐ必要はないからって本当は言われたんだけど」

 今すぐにでも結婚して、ここから連れ出してほしい、と彼女は頼んだ。

 パイラみたいな美女にそんなセリフを言われた婚約者が、男気を発揮しないはずもなく。早々に式を挙げて寿退職、という流れになったのだ。


「今は、正直ホッとしてる。肩の荷が下りた、って感じ。……エルさんには悪いけど」

「いえ、私は」

 答えようとして、私は固まった。

 私は、どうなんだろ。


「やっぱり、疲れちゃった?」

 パイラは冒頭にも口にしたセリフを繰り返す。「それとも、嫌になった?」

 私の返事を待たず、パイラは続ける。

「無理もないわよね、あんな……。子供の命を見捨てるだの見捨てないだの、それを利用して敵をやっつけようだの、だから死んでもらわないと困るだの聞かされたら……」

「…………」

「ああいうの、王宮では珍しくないのよ。ううん、今回はまだ、誰も死ななかった分マシな方。実際に人が死ぬかもしれない。自分の身が危なくなったりするかもしれない。偉い人たちの都合の前では、人の命なんて軽い時もある。それが王宮なの」

「…………」

「それでも、だいじょうぶ? この仕事、続けられる?」

「…………」


 私は黙っていた。黙って、考えていた。

 彼女の言うように、まだ働き始めたばかりなのに色々なことがあって、あり過ぎて、ちょっと疲れた部分もなくはない。

 今後もこの仕事を続けていくかどうかは、もう少し落ち着いてみないと断言できないが。


 やっぱり、気になるんだよなあ。

 聡明すぎるクリア姫のことも、常識外れで危なっかしいカイヤ殿下のことも。

 心配で放っておけない、なんて言えるほど、親しい間柄ってわけでもないのに。

 何だろう、これ。

 いわゆる「情が移った」ってやつ?


「だいじょうぶ? エルさん」

 じっと私の反応を見つめていたパイラが、ふいに口の端を持ち上げて意味深な笑みを浮かべた。

「初めて会った日に言ったでしょ。あの人たちとは世界が違うって。あんまり肩入れしない方がいいって」

 そういや、言われたっけ。何だか随分昔のことみたいに感じる。

「私は無理だった」

 パイラのまなざしが遠くなる。「私は、臆病だから。殿下のことは好きだったけど、深く踏み込むのは怖かった」

「パイラさん、その――」

 私は一瞬迷ったが、もうこれで彼女とは当分会えないのだし、気になることは聞いてしまえ、と思った。

「その『好き』っていうのは、どういう種類の好き、なんでしょうか」

 パイラは吹き出した。

「そりゃ色恋の『好き』よ、もちろん」

「!」

 予想はしていても、ストレートな肯定にはどきっとした。

「本当はね、告白しちゃおっかな、って思ったりもしたのよ」

 パイラは笑顔のまま、やけに楽しそうに話してくれた。


 それは、クリア姫が熱を出した、あの日のこと。話があると殿下を呼び出して、そして。

「物語に出てくるみたいな愛の告白って、1度やってみたかったのよねえ。ほら、よくあるでしょ? ずっと好きでした、最後に1度だけ抱いてください、ってやつ」

「ぶっ!」

「でも、やめたの。私みたいな汚れた女が、殿下の初めてを奪っちゃいけないと思って……」

「ゲホ、ゴホ、ゲッホ……」

「ちょ、エルさん。だいじょうぶ?」

 咳き込む私を見て、パイラは面食らったようだ。

「あのね、冗談よ? 初めてかどうかなんて、私は知らないし」

「ゲホゲホ、……はあ、く、苦しかった……」

 ようやくまともに息ができるようになった私に、パイラはなぜか感心したような目を向けた。


「エルさんて、意外に潔癖よねえ。確か、居酒屋の娘なのよね? ああいう所のお客さんって、わりと品のない話も好きじゃなかった? 若い女の子相手には、特に」

「それは、まあ……。そういう話をしたがるお客さんは居ましたけど」

 祖父が厳しい人で、若い娘にセクハラまがいの話題を振ってくる客が居ると、店から叩き出していた――という話に、パイラは「ははあ」とうなずいた。

「しっかりしたご家族だったのね。それでエルさんは品がいいんだ」

「そんなこと全然ないですよ」

 庶民生まれの庶民育ち、口より先に手が出る性分だ。どっかのセクハラ親父にも、正拳突きを見舞ってしまった。

「謙遜しないで。初めて会った時から思ってたのよ? キレイな目をした人だなあ、って。ちゃんとしたご家族が居たからだったのねえ」

 やっぱり私とは違うのね、とパイラは妙にしみじみした口調で言った。

「私は、色街で育ったの」


 それからパイラは、彼女自身の生い立ちについて、少しだけ話してくれた。

 生まれたのは、王都の西にある港町。そこは海洋諸国との貿易の拠点で、大勢の船乗りや商人でにぎわう王都の玄関口だ。

 彼女の母親は水商売で、船乗り相手に、娼婦まがいのこともしていた。貧しい家庭で苦労して育ったこと、学がないことが母親のコンプレックスだったそうだ。せめて子供たちにはしっかりした教育を受けさせたいと、学校にも行かせてくれたが――。


「小娘の頃に大ゲンカして、家を飛び出しちゃってね。それっきり」

 以来、1度も連絡は取っていないし、自分がどこで何をしているか、母親に知らせたこともないそうだ。

「えと、結婚することとかも……?」

 さすがに、それは教えてあげたら?

「そうね。彼との暮らしが落ち着いたら、久しぶりに手紙を書いてみようかな」

 パイラは少し考えてからうなずいた。その表情は屈託なく、すっきりしていた。


「長話しちゃったわね、ごめんなさい」

 小さな鞄を持ち直すと、パイラは軽くほほえみながら別れの言葉を口にした。「元気でね、エルさん。もう会うことはないと思うけど」

 それは、ちょっと寂しいんじゃないかな。彼女はこの先も王都で暮らすんだし、旦那さんはお城勤めなんだから、接点がないこともない。

 殿下やクリア姫と顔を合わせるのは気まずいかもしれないが、それも時間がたてば――。

「ほとぼりがさめたら遊びに来てくださいよ」

 パイラはころころ笑った。

 でも、私の言葉にうなずくことはしなかった。

「殿下と姫様のこと、よろしくね」

 最後に、そう言って。

 後は振り返らずに、お屋敷から去って行った。

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