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魔女の末裔~新米メイドの王宮事件簿~  作者: 晶雪
第三章 新米メイドの王宮事件簿
87/410

86 鏡の向こう4

「ま、予想はしてたけどね」

 カイヤ殿下の返答に、意外や、宰相閣下の反応は軽かった。

「子供の命を見捨てろとか、おまえやハウルには重すぎるでしょ。だから隠しておきたかったんだ。……結局、失敗したけどさ」

「パイラのことか」

とカイヤ殿下。

「そうだよ。ルチル姫の件から、おまえの目をそらしておきたかった」

 大事な妹のメイドが消えれば、そっちを探す方を優先するはずだから。

「本当はね。脅迫状とかも用意してたんだ。パイラの身柄を盾にして、おまえを城から引き離しておきたかった」

「ならばなぜ、あのメイドを城から出さなかったのですか?」

 ハウライト殿下が問う。

 宰相閣下は苦虫をかみつぶしたような顔で、「意味がなくなったからだよ」と答えた。「カイヤが事件に関わること、それ自体を止めたかったのに――」

 先手を打たれてしまった。

 誰に? ……ファーデン国王陛下にだ。


「まさかあの男が、いの1番にカイヤに協力を求めるとかさ。……普通、ないだろ」

「親父殿のことを言っているなら、そもそも普通ではない男だと思うが」

「知ってるよ! ……けど、よりによってルチル姫の件だよ?」

 宰相閣下は、軽く頭をかきむしった。

「おまえの大事な妹を、さんざん傷つけてくれた相手じゃないか。それを知っていながら放置していたあの男が、いったいどのツラ下げて協力とか――恥知らずにもほどがあるだろ。……それも、知ってたけどさ」

 肩を落とし、深々と嘆息してから、宰相閣下はあらためてカイヤ殿下に向き直った。


「おまえ、きのうからクロサイトと2人で、関係者に聞き込みに回ってただろう? あんなことしてたら、いずれ本当のことに辿り着くと思ってさ」

 下手に動かれるよりはと、自ら事情説明に来た、らしい。

「おまえはカンがいいからね。たまに他人の心が読めるんじゃないかって思うくらい」

「そんな魔法のようなことはできないが……」

「そうかな」

 宰相閣下は、真顔で首をかしげた。「ルチル姫の取り巻きが怪しいこと、気づいてたんじゃない?」

 カイヤ殿下は「そんなことはない」と否定した。


 ルチル姫の取り巻きの少年たちは、「ご主人様の行方不明にひどく動揺している」という顔をしており、口数も少なかったらしい。

「怪しいというなら、ルチルのメイドだった」

 ルチル姫は、昼食の直前まで部屋に居ました、と証言したメイドだ。

 言われてみれば、実際に起きたことと矛盾している。

 宰相閣下の話が本当だとしたら、ルチル姫が自分の部屋を抜け出したのは、もっとずっと前だったはずだ。

 つまり彼女は嘘をついていた。なぜか。

 そのメイドは、取り巻きの少年たちの、うち1人の姉だったのだ。弟に泣きつかれ、口裏を合わせたのである。


「どうして彼女が怪しいと思ったの?」

 宰相閣下に問われたカイヤ殿下は、「嘘をついていた」と答えた。

「ルチル姫は部屋に居た」という証言。加えて、「何か知っていることはないか」とカイヤ殿下が聞くと、「ありません」と答えたらしい。


「なんで、それが嘘だとわかったの?」

 宰相閣下が重ねて質問する。

「それは……」

 カイヤ殿下の目が泳いだ。「……なんとなくだ」

「ほら、やっぱり。おまえにはわかるんだよ、他人の嘘が。それがあるから、私はおまえをこの件から遠ざけておきたかったし、あの男は逆に、おまえを引き込みたかった」

「そんな便利な力はない。俺は魔法使いではないぞ、叔父上」

「先祖は魔女だってことになってるけどね」

「その通りだが、今は関係ないだろう」


 一瞬、沈黙が落ちた。

 叔父と甥は、互いの出方を探るように、しばし顔を見合わせ――やがて口をひらいたのは、カイヤ殿下の方が先だった。

「親父殿の話に戻るが……。あの男は多分、叔父上の関与を最初から疑っていたのだと思う」

「!」

 宰相閣下の瞳が尖った。

 カイヤ殿下は少しだけバツの悪そうな顔をして、「……実は俺も、最初に話を聞いた時、それを心配した」

「カイヤ――」

 何か言いかける兄殿下を振り向き、

「だから、叔父上がルチルを連れ去ったと思ったわけではない。ただ、ルチルが消えて得をする人間というなら、俺か兄上、それに叔父上くらいのものだろう?」


 もしかしたら、何か知っていることがあるかもしれないと思った。疑ったのではなく、心配したのだ。

「だから、親父殿の話を受けることにした。そうすれば、関係者全員に会いに行く口実ができるからな」

「直接、私の所に聞きに来ようとは思わなかったのかい?」

と宰相閣下。

 確かに、その方が手っ取り早いような気もするけど。

「それも考えたが……。仮に叔父上が情報を持っていたとしても、俺には隠すかもしれないと思った」

 自分をこの件に関わらせまいとして、知らぬフリをするのではないかと。「実際、そういうことが何度もあっただろう?」

 その言葉に、気まずそうな顔で視線をそらしたのは、なぜかハウライト殿下だった。

 宰相閣下は全く動じず、「おまえは正直すぎるからね」と言った。「それに、優しすぎるから」

「俺は優しくなどない。叔父上に手を汚してほしくないと言ったのも叔父上のためではない。単に、俺自身が嫌だからだ」


 カイヤ殿下はそこで言葉を切り、今までになく強いまなざしで、宰相閣下を見すえた。「俺は俺の心に従う。ルチルを見捨てるという話にうなずくことはできない」

「平行線だね」

と宰相閣下。「このまま話し続けていれば、いつかは時間切れになるから、別に構わないけどさ」

 時間切れというのはつまり、ルチル姫の命が尽きてしまう、という意味か。

 叔父の冷酷なセリフにも、カイヤ殿下は顔色ひとつ変えなかった。「ルチルはそう簡単に死にはしないと思うが」

 確かに、かなりしぶとく生きのびそうなお子様である。

「それでも限度はあるだろうな」

 傷を負い、水も食べ物もなく。特に水なしでは、人はそう長くは生きられない。


「叔父上」

 カイヤ殿下は、あらためて宰相閣下に呼びかけた。

「考え直してもらうことはできないか?」

 ルチル姫を見捨てるのではなく、助ける方向に。

 宰相閣下は答えなかった。

 逆に、質問を返した。

「カイヤ。おまえは、昔に戻りたい?」と。


「フローラが国を継いで、形だけの王族に戻って、またあの頃のようになりたいのかな。他人に翻弄されるだけの、自分も、家族も守ることができなかった、あの頃に」

 私はご免だよ。

 宰相閣下は、冷たいほど静かな声でそう言った。

「絶対に、もう2度と、あんな想いをするのはご免だ。そう思いながら、今日まで生きてきた。おまえは違うのかい?」

 そのセリフに、カイヤ殿下は全く表情を動かさなかったが、横でハウライト殿下がナイフで胸をえぐられたような顔をした。


「それは……違わない」

 カイヤ殿下は、考えながら、一言ずつ言葉を紡いだ。

「あの頃の自分に戻りたいとは思わない。兄上や叔父上に、また同じ想いをさせたいとも思わない。……何より、クリアにだけは。絶対に、同じ経験をさせたくない」

 石のように固まっていたクリア姫の体が、その言葉で小さく揺れた。

「王族として生まれたからには、力がなければ自分の身を守れないらしい。であるならば、俺は力を手放したくない。そのためなら何でもする。自分にできる限りのことを」

 だったら、と宰相閣下。「ルチル姫の件も受け入れてくれないかな?」

「……無理だ」

 カイヤ殿下の表情は変わらなかったが、声は申し訳なさそうだった。

「どうして」

「『できる限りのこと』はする。だが、ルチルの命を見捨てろ、というのは、俺にとっては『できないこと』だ」

「理由になってないよ、それ。ただの屁理屈でしょ」

「そうかもしれないが」


 カイヤ殿下は、物思いにふけるかのように宙を見上げて、

「ルチルが閉じ込められている部屋というのは、どんな場所なのだろうな」

 話が飛んだ。

 私にはそう思えた。

 宰相閣下もそうだったみたいで、「急に、何?」と眉根を寄せた。

「隠し部屋なら窓もないのだろうな。明かりがなければ、きっと真っ暗だろう」

「……だから?」

「助けが来るかもわからない。傷つき、疲れ、飢えているだろう」

「…………」

「たった1人、味方もなく、孤独と死の恐怖に耐えている」

「それが……、なん、だと……」

 ふいに、宰相閣下の声がかすれた。

 両手で目頭を押さえ、そのままうつむいてしまう。


 あまりに唐突だったので、私はぎょっとした。

 まさか、泣いてる? 急にどうしちゃったの?

 言葉を失ってしまった叔父の代わりに、ハウライト殿下が口をひらいた。

「カイヤ、おまえ……」

 弟に語りかける、その声もまた不自然にかすれていた。「昔の自分と重ねているのか?」


 え――。


「ルチルの気持ちは、俺にはわからない」

 カイヤ殿下は、かすれも湿りもない声で話し続ける。

「ただ、俺は助けが来た時、嬉しかった。暗く冷たい場所から、急に明るい所に引き上げられたような――多分、もう1度生まれ直したような気分というのはああいう感覚を言うのだと思う。今でも、忘れられない」

 目の前に居る2人の顔を見比べて、「兄上と叔父上が、来てくれたおかげだ」

『…………』

 2人は言葉もない。宰相閣下は自分の顔を覆ったまま、ハウライト殿下は弟の顔に視線を奪われたまま、それぞれ沈黙している。

「俺は助かった。ならば、同じような目にあっている誰かを見捨てるのは不公平だと思う」

『…………』

「頼む、叔父上」

 カイヤ殿下は、テーブルにひたいがつくほど頭を下げ、そのまま動かなくなった。

 そんな弟の背中を、ハウライト殿下が痛ましそうに見つめている。


 宰相閣下は、両手で顔を押さえたまま、じっと動かずにいたけど。やがてゆっくりと顔を上げた。その目は乾いていた。

「ずるいよなあ、本当に」

 ふうっと長い息を吐き出して、「おまえにそんな風に言われたら、私が拒めるわけないじゃないか」

 宰相閣下は、拗ねた子供のように口を尖らせて見せた。「だから言ったろ。決定権を持っているのは私じゃないって。決めるのはおまえか、ハウルなんだよ」

「……私もですか」

 ハウライト殿下が意外そうな顔をする。

「そうだよ。おまえに命令されたら、カイヤはうなずくしかない。それくらい、わかってるだろ」

「それは……」

「わかってるから、弟に強制しないんだよね、おまえは。それはそれで、けっこうずるい話だと思うけど」

「そのようなことは……」

「じゃあ、どうする? 命令する?」

「…………」

 ハウライト殿下は一瞬迷い、それから、その迷いを吹っ切ったらしい。

「私からもお願い致します、叔父上。ルチルの件、考え直していただきたい」

「そう言うと思った」

 はっと短く息を吐いて、宰相閣下が天井を仰ぐ。すぐに視線を戻すと、いまだ頭を下げたまま動かないカイヤ殿下に向かって、「ほら、いつまでそうやってる気?」と投げやりに言葉をかける。

「叔父上の返事を聞くまでだが……」

「それなら、もう言ったよ」

「……そうだったか?」

 顔を上げ、兄と叔父を交互に見比べるカイヤ殿下。

 実際は言ってなかったと思うけど、宰相閣下の答えは私にもわかった。


「ルチル姫は、おまえの部下の誰かに見つけてもらうことにしよう。……もちろん、偶然を装ってね。あの娘の捜索に当たっている者の中から、口が堅くて、絶対におまえを裏切らない人間を選んでくれる?」

「…………! わかった」

 ようやく宰相閣下の返事を理解したカイヤ殿下が、慌しく席を立つ。そのまま出口に向かおうとして、途中で思い直したように振り返り、

「その、なんだ。叔父上――」

 いかにも申し訳なさそうなその顔に、ぴしゃりと言葉を叩きつけるように宰相閣下は言った。

「礼とかいらないからね。謝罪とか、もっといらない」

「叔父上……」

「ただ、ひとつ意地の悪いことを言わせてもらうけど。生きのびたルチル姫が、今後、おまえの大事な人間を傷つけた時――1番確率が高いのがクリアだと思うけど、おまえは後悔するんじゃないの」


 確かに意地悪なセリフだと私は思った。

 同時に、ありそうな話だとも思った。あのルチル姫が、九死に一生を得て改心する――なんてことが起きたら奇跡で、実際はまたクリア姫をいじめようとする可能性の方が高い気がする。

「それは……。きっと、いや確実にすると思うが」

 カイヤ殿下は、また時間をかけて考えながら返答した。


「助けない」選択に後悔がないかと聞かれたら、それも違う。

 見捨てた命のことは、一生引きずるかもしれない。

 後悔のない理想の選択肢があったらそちらを選ぶが、そんなものがあったら、そもそも迷ってなどいない。

 今できるのはせいぜい、選んだことを後悔せずにすむよう、尽くすくらいだ。

 どうせ、先のことなど誰にもわからないのだから。


「ただ、叔父上の言葉は、心に留めておく。……絶対に、忘れない」

「あ、そ。なら、もういいよ」

 さっさと行けば、と犬でも追い払うみたいに手を振る宰相閣下。

「……ありがとう」

 ふっと殿下がほほえんだ。


 この人の笑顔って、見るのは2度目だけど。

 私は優しい風に、ふわりと頬をなでられたような気がした。

 宰相閣下もそうだったのかもしれない。小さな子供みたいに、つぶらな瞳をぱちくりさせている。

「っと、礼はいらないと言われたのだったな」

 まるで幻みたいに一瞬の笑みを消して。

 部下に伝えてくる、と部屋を飛び出していく。バタンとドアの開く音がして、慌ただしい足音が階段を駆け下りていった。


「叔父上。ルチルの居場所をまだお聞きしていません」

 ハウライト殿下が口をひらいた。

「……あ。そうだった」

「まったく、何を伝える気だ、あの馬鹿は」

「あー、うん。とりあえず、追いかけようか?」

 宰相閣下が立ち上がりかける。


 先に、ハウライト殿下が席を立った。直立不動の姿勢から直角に腰を折り、頭を下げる。

「申し訳ありません、叔父上。いつもご苦労を――」

「ちょ、ハウル?」

「私たちのわがままをお許しくださり、言葉もありません」

「あー、もういいよ。そういうのは、さ」

 宰相閣下は、ちょっと決まり悪そうに笑って見せた。

「一時は笑い方さえ忘れてたあの子が、あんな顔するようになったんだ。それだけで、全部報われた気がするよ――正直」

 甘いかな、と言って、また決まり悪そうに苦笑する。

「その点は、私も人のことは言えません」

 ハウライト殿下もまた、叔父とよく似た表情を浮かべていた。

「あれが笑って生きられる場所を失いたくない。そのためなら、王にでも何でもなってやろうと。それを、弱い己の支えにしています。3度目の後悔はしたくありませんから」

 その言葉に深くうなずいて。

 宰相閣下が、次いでハウライト殿下が部屋を出ていく。


 遠ざかっていく足音を聞きながら。

 部屋の中に居る私たちは、凍りついたようにその場から動けなかった――。

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