81 告白
「カイヤ――」
ハウライト殿下が席を立つ。
カイヤ殿下は動かない。あくまでパイラだけを見て、「知っているのだろう?」と繰り返す。
パイラの体から力が抜けた。
浮かべた表情も、糸が切れたように弛緩して――。
「はあ……やっぱり。殿下に嘘は通じないだろうと思ってましたけど」
どうしてわかったんですか、と疲れた声で問いかける。
「ルチル姫が消えたことに、『あの方』が関わっているって。まさか、最初から気づいていたとは言わないですよね?」
「さすがにそれはない。関わりがなければいい、とは思っていたが」
「どういうことだ、カイヤ」
いいかげん、しびれを切らしたようなハウライト殿下の声。「いったい何の話をしている。私にもわかるように説明しろ」
「少し待ってくれ、兄上――」
その時ふいに、パイラが声を張り上げた。
「私は何も知りません」
全員がその声に注目する。
彼女は笑っていた。唇の端を持ち上げ、挑発めいた表情を浮かべていた。
「……なんて言ったら、どうします? 殿下が何を仰っているかわかりません、って答えたら――私を連行して尋問するのかしら」
殿下は不思議そうにまばたきした。
「そんなことはしない。……というより、できないな。おまえに手荒な真似はしたくない。だからそう答えられたら、正直困る」
パイラは声を上げて笑い出した。
「正直過ぎでしょ、それ。嘘も駆け引きもなくて、ただ本当のことを言ってるだけ。それで他人を動かせると思ってるんですか、殿下」
「……だめか」
「…………」
ほんの一瞬、彼女は冷ややかな目をした。しかし次の瞬間にはあきらめたように肩を落とし、
「だめじゃないですよ。むしろ、よく効く手だわ。殿下のことが好きで好きで仕方ないっていう相手なら、そうやって素直にお願いするのが1番でしょうよ」
本当に。ずるいんだから。
ほとんど聞き取れないような声でつぶやく。
「パイラ……?」
戸惑う殿下に、彼女は小さく首を振って見せた。「それで? 私に何をお聞きになりたいんでしたっけ?」
「……昨夜のことだ。誰に会って、何を頼まれたのか」
「はいはい、昨夜ね。彼と別れた後、何だかお城の中が妙に騒がしいのに気づいて、様子を見に行ったんですよ。そしたら、城門の方から、偶然あの方が戻ってこられて」
「だから、あの方とは誰だ」
ハウライト殿下が詰問する。パイラはちらりと彼の方に目をやってから、「宰相閣下ですよ」と答えた。
宰相閣下――。
私の脳裏を、クマのぬいぐるみによく似た、つぶらな瞳がよぎる。
「その時、頼まれたんです。ちょっとの間、姿を消してくれって」
ハウライト殿下は衝撃を受けたような顔をした。
「なぜ、叔父上がそのようなことを」
パイラは「さあ?」と首をひねって、「くわしい理由はお伺いしてません。ただ、雇い主の命令だから従っただけ」
そこで彼女は、視線をクリア姫に移し、
「姫様、私ね。カイヤ殿下だけじゃなくて、宰相閣下にもお給料をいただいていたんですよ。姫様のお屋敷で見聞きしたこと全て、宰相閣下に正しくお伝えするのが仕事」
「って、スパイかよ」
ダンビュラが唸る。
「そんな大げさなものじゃないでしょ」
と言い返すパイラ。
「だって、宰相閣下は姫様とカイヤ殿下の叔父上様だし、お2人の味方なんですものね?」
普通の叔父上様は、そんなことしないと思う。多分、いや絶対。
「…………」
クリア姫は黙ったまま、困惑の表情を浮かべている。
「少し待ってくれ」
ハウライト殿下が声を上げる。
「いったいどういうことだ? あの叔父上が、ルチルの失踪に関わりがあるとでもいうのか? いや、まさか――」
混乱したように頭を抱え、短い沈黙を挟んで、キッと弟を見る。
「どうなんだ、カイヤ。おまえは叔父上のことを疑っていたのか? あの叔父上が拐かしなどに手を染めると、本気でそう思っているのか?」
「思わない」
カイヤ殿下は、即座に否定した。
「むしろ叔父上だけは、そんな真似をするはずがない。ルチルをさらってどうにかしたところで、何の得にもならん。それどころか、事が露見すれば全てを失いかねない愚行だからな」
「ならば――!」
「落ち着け、兄上。ここで言い合っていても意味がない」
これから叔父上に会いに行く、とカイヤ殿下は宣言した。
「会って確かめてくる。今までは証拠も確信もなかったが、パイラのおかげで、ひとつだけ取っ掛かりができた」
そこに割って入ったのはセレナだった。
「なぜ、彼女に姿を消すよう命じたのか――それをテコにして、宰相閣下を追及なさるの?」
彼女は軽く首をかしげて見せた。
「さすがに甘いのじゃないかしら。言い逃れしようと思えば、いくらでもできるのではなくて?」
「そうかもしれんが、今は時間がない。ルチルが失踪して、丸1日だ。これ以上は命の危険が――」
「その前に」
ハウライト殿下が、弟の肩をつかむ。
「全部話せ、カイヤ。おまえが知っていること、わかっていることを。いったいいつから、どんな理由で、叔父上を疑っていたのだ」
「後で説明する。今は時間が」
カイヤ殿下はその手を振り払おうとしたが、兄殿下は放さなかった。
「いいや、今すぐ説明しろ。おまえ1人でわかったような気になっている時は、大抵ろくなことにならん」
「少し落ち着け、兄上――」
「これが落ち着いていられるか!」
ハウライト殿下は、事の成り行きに、ちょっと頭に血が上ってしまったみたい。ゆうべはろくに寝てないみたいだし、疲労とストレスで限界だったのかも。
ほとんどつかみかかられるような格好になって、カイヤ殿下は少しだけ困った顔をした。お兄さんの方が体格もいいしね。無理に振りほどくってわけにもいかないんだろう。
「ハウル兄様――」
クリア姫が顔色を変えて席を立つ。
私も。
話についていけなくて、ただ見てたけど。これはさすがに止めないとまずい、と席を立った。
とはいえ、ダンビュラとクロムのけんかを止めるのとは勝手が違う。水をぶっかけるわけにもいかないし、どうすれば?
「これ、使います?」
誰かがお盆を手渡してくれた。
そうだ。これでひっぱたけば――いや、それもだめでしょ。
「じゃあ、こっちかな?」
今度は水差しを手渡される。
「だから、そういうわけにはいきませんってば」
私は水差しをテーブルの上に戻した。
「そう? 君はけんかの仲裁が得意だと聞いたんだけどな」
残念そうにため息をつく、中年の男性。ふくよかな体に高価そうなローブをまとい、つぶらな瞳に眼鏡をかけている。きのう会った時にはかけていなかったものだ。
「って、あれ?」
私は目の前の男性を凝視した。
「やあ、1日ぶりですね」
と私に笑いかける。いつのまに、なんでこの部屋に?
気がつけば、もみ合っていたはずの兄と弟も動きを止めていた。
2人とも、あっけにとられた顔で中年男性を見ている。
「叔父上」
カイヤ殿下が呼んだ。「いつからそこに居た?」
「少し前ですよ」
と中年男性――宰相閣下は答えた。
「殿下が城の中を全力疾走していたから、これはひょっとしてパイラが見つかってしまったかな、と思ってね。後をついてきたんですよ。そろそろ時間稼ぎも限界みたいだし、ちゃんと事情説明をしておこうかと」
言い淀むこともなく、すらすらと。質問に答えてから、宰相閣下はふと司書の女性を見た。
「ああ、セレナ嬢。私の分のお茶もいただけませんか?」




