80 不審
「……まさか、そんな騒ぎになっていたなんて」
それが、事情を聞いたパイラの第一声だった。
王室図書館の談話室。
ハウライト殿下とクリア姫、私とダンビュラ、司書のセレナ。先程と同じ顔ぶれに、兵士に連れて来られたパイラが加わっている。
特に顔色が悪いわけでもなく、疲れた様子もない。ぱっと見ケガをしているようでもない。元気そうだ。
ただ、自分が行方不明ということになっていて、クリア姫が心配していたこと――さらには第一王子殿下まで巻き込んだ騒ぎになっていたことについては、動揺のあまり青ざめていた。
「ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるパイラ。
ハウライト殿下は怒るでも責めるでもなく、ただ静かな口調で、「どういった経緯でこうなったのか、説明してもらえるだろうか」
パイラは深くうなずいて話し始めた。
婚約者と別れ、お屋敷に戻る途中。
彼女は知り合いのメイドに声をかけられた。
昨夜、ルチル姫の捜索に人手を割かれ、お城の奥はかなり深刻な人手不足になっていたらしい。そちらを手伝ってくれないかと。
「あなたの所には、もう1人メイドが居るからだいじょうぶよね?」と頼まれて。
彼女はそれを引き受けた。
もちろん、クリア姫が心配しないよう、ちゃんと伝言を頼んで。
「でも、伝わらなかったんですね。やっぱり、自分で直接言いに行けばよかった――」
がっくりと肩を落とすパイラ。
「昨夜はどこに居た?」
ハウライト殿下が質問を続ける。
「メイドの居住棟で休ませてもらいました」
お城の中には、使用人たちの居住棟もある。本当に忙しかったので、長椅子で2、3時間仮眠をとることしかできなかったそうだ。
「カイヤの部下が君を探していたはずだが、会わなかったか」
「いえ……」
パイラは力なく首を振る。
ルチル姫を探している兵士なら確かに居住棟にも来たし、メイドたちの部屋から物置まで全て調べていったが、
「まさか、自分が探されているなんて思いもしなくて……」
「…………」
難しい顔で黙り込むハウライト殿下に、パイラは何度も、何度も頭を下げた。
「本当に、本当にすみませんでした」
私やクリア姫にも、「心配をかけてごめんなさい」と繰り返し。
彼女があまりにも小さくなってしまっているので、クリア姫は胸を痛めたようだ。
「よいのだ。パイラが無事でよかった」
それから「あまり責めないでほしい」というように兄を見る。
ハウライト殿下は厳しい表情を崩さない。
「君が今言ったことについては、後で確認をとらせてもらう」
「はい、わかりました」
パイラは神妙な面持ちでうなずいた。「ただ、彼に……。私の婚約者にも、できれば無事を伝えたいのですけど……」
確かに、パイラの婚約者だって、昨夜は心配でろくに寝てないはずだ。
「鳥を使って知らせておこう」
とハウライト殿下は言った。「セレナ、頼む」
「はいはい、承知しました。無事を伝えるだけでよろしいかしら? それとも、ここまで来ていただきます?」
「いや、それは――」
パイラは期待を込めてハウライト殿下を見つめている。本当は、無事を伝えるだけじゃなく、今すぐにでも会いに行きたいのかもしれない。
「ここで、というわけにはいかないだろう。どこか別の場所で会える算段を」
「……っ! ありがとうございます!」
感極まったように頭を下げるパイラ。セレナが「はいはい」と言って談話室を出て行く。
――沈黙。
ハウライト殿下は黙って何か考えている。クリア姫とパイラはそれぞれ神妙にしている。
私は、残る1名を見た。
談話室の隅に座り込んでいるダンビュラは、さっきから全然しゃべろうとしない。
じっと目を細めて、パイラのことを見つめている。凝視している。
パイラは気づいていない。
いや、気づいているのかもしれない。気づいているからこそ、彼の方を見ないようにしているのかもしれない。
何だろう、この気分。
パイラが無事で居てくれたこと、クリア姫の安心した顔、それは本当に嬉しいのに。
胸の奥がモヤモヤする。
おそらく、ダンビュラも私と似たようなことを感じているのだ。
ただ、彼の場合はモヤモヤどころではなさそうだ。
不審。そう、不審の目だ。
――あいにく俺は、あの女のことをそれほど信用してたわけでもないんでね。
数時間前に聞いたセリフが耳に蘇る。
ガチャリ。
談話室の扉が開いた。
部屋の中の全員が振り向く。そこに立っていたのは、ひたいに汗の粒を浮かべ、大きく肩を上下させているカイヤ殿下。
「パイラ」
真っ先に名前を呼ばれて、パイラの瞳が見開かれる。「殿下――」
「無事で」
殿下はそこで息切れしたのか、こくんと喉を上下させた。「よかった」
ひょいと談話室の入口から顔を出したセレナが、「はい、どうぞ」とグラスに入ったお水を殿下に差し出す。
「すまない」
受け取って一気に飲み干し、グラスをセレナに返すと、部屋の中に入ってくる。
「カイヤ――」
「兄上、手間をかけさせたな。後は引き受ける」
「ルチルの方はどうした。なぜ、ここに」
「今はこちらの件が優先だ」
カイヤ殿下はまっすぐにパイラのもとに歩み寄り、「何があった?」と短く尋ねた。
「……それを今、聞いていたところだ」
「兄様。パイラは、お城の奥を手伝っていただけだったのだ」
クリア姫が事情を説明する。「だけど、言付けがうまくいかなくて……。パイラは自分が探されていることも知らずにいたのだ」
兄殿下と妹姫の言葉を受けて、カイヤ殿下は「本当か」とパイラを見た。
「ええ……」
パイラは申し訳なさそうに瞳を伏せた。「お騒がせしてしまって、本当にごめんなさい……」
「…………」
カイヤ殿下は、じっと彼女を見つめた。
穴が開くくらい、じっと。
あまりにも長くそうしているので、私は変に思った。私だけじゃなく、みんなが変に思い始めたタイミングで。
カイヤ殿下が口をひらく。
「パイラ」
もう1度、彼女の名を呼び、そして言った。
「答えてくれ。……本当は、何があった?」
空気が張りつめた。
本当は何があった、って――。
「どういう意味ですか?」
強張った顔で問い返すパイラに、カイヤ殿下は表情を変えることなく、「そのままの意味だ」と答えた。
「偽りを口にせず、ありのままの事情を話してほしい、と言っている」
絶句するパイラ。
クリア姫もハウライト殿下も、パイラに不審の目を向けていたダンビュラでさえ、驚いた顔でカイヤ殿下を見ている。終始にこにこしているのはセレナくらいのものだ。
「そんな……」
パイラが口をひらく。その声は隠しようもなく、動揺で震えていた。
「私、私は……そんな、偽りだなんて……」
声だけでなく、細い肩も震わせている。
うつむき、両手で顔を覆ってしまいそうになる彼女の前に。
カイヤ殿下が膝をつく。
驚くパイラの手をそっと取り、プロポーズでもするんじゃないかって体勢から、彼女の顔を見上げて。
「頼む」
その体勢のまま、小さく頭を下げる。
「本当のことを教えてくれ。……事は一刻を争う」
プロポーズというより、懇願するような仕草だった。
「ルチルの居場所を知っているだろう」
「な」
私は思わず声を上げていた。
パイラも唖然とした顔で、「はあ? 何ですか、それ。知りませんよ」
「……そうか。では、聞き方を変える」
殿下は顔を上げ、その黒い瞳でまっすぐに彼女の瞳を見つめた。
「ルチルの居場所を知っている者を知っているだろう」
パイラは今度こそ本当に絶句した。




