76 不安な夜が明けても
クロムが去った後、私はまた玄関に移動した。
時刻は午前2時を回り、さすがに眠かったけど。
パイラのことで何か知らせが来るかもしれないし、彼女が今、どうしているのか――と考えると、のんびり眠る気にはとてもなれなかった。
カチコチ、カチコチ。
それでも、単調な時計の音を聞いていると、だんだん眠気が強く――。
「おい、あんた。俺が代わってやるから、少しは寝ておけよ」
ハッと顔を上げる。
いつのまにか、ダンビュラが私のすぐそばに立っていた。
「この様子じゃ、明日もどうなるかわからねえぞ。今のうちに、ちょっとでも休んでおいた方がいいって」
「……ダンビュラさんは眠くないんですか?」
自分はさっき少し寝た、とダンビュラ。「ついでに言うと、昼寝もしたしな」
確かに、彼はよく昼寝している。犬や猫と同じで、暇な時間は寝ていることが多い。
「すみません。お願いできますか」
いざという時に眠くて動けない、っていうんじゃ困る。今のうちに休んでおいた方がいいという、ダンビュラの言葉はもっともだった。
「ああ」
ダンビュラは軽くうなずいて、玄関ドアに背を預けるように腰を下ろした。
自分の部屋に引き上げた私は、ランプの明かりをつけたままにして、メイド服も着たまま、ベッドに横になった。
多分、熟睡はできないだろう――と思ったのだが。
やっぱり疲れていたみたいで、目を閉じた瞬間、睡魔に襲われた。
ふと気づいた時には数時間が経過しており、窓の外が明るくなっていた。
ドンドンドン。
ドアを叩く音に、ベッドから飛び起きる。
玄関まで走っていくと、数時間前と全く同じ姿勢でそこに座っていたダンビュラが、「誰か来たぜ」と言った。
訪ねてきたのは、兵士の格好をした若者だった。
「失礼致します。カイヤ殿下からクリスタリア姫に、お言葉をお預かりして参りました」
年頃は私と変わりなく見える。素朴で親しみの持てる顔立ちをしており、頬の辺りにちょっとソバカスが浮いている。
彼はクロサイト様の部下だと名乗り、カイヤ殿下の言葉を伝えてくれた。
――状況は進展なし。
ルチル姫はいまだ見つかっていないし、殿下もしばらくはお屋敷に戻れないそうだ。
「……そうですか。それであの、パイラさんは?」
私が聞くと、若者は申し訳なさそうな顔をした。
「それが、ルチル姫の捜索に人手を割かれてしまいまして、メイドの女性については、ようやく聞き込みを始めたばかりで……」
パイラが婚約者と別れてから、この庭園に戻るまでのわずかな道のりで、不審な物音を聞いたり、怪しい人物を目撃した者は居ないか。
あるいは、パイラらしき人がきのうの夕方以降、城門を通らなかったか。
……今のところ、手がかりは見つかっていないそうだ。
「では、クリスタリア姫には、そのようにお伝えください」
若者は疲れた顔も見せず、一礼して立ち去ろうとした。
「あ、待ってください」
彼は夜通し働いていたはずだ。私は急ぎ台所に戻ると、昨夜用意しておいたサンドイッチの残りを紙袋につめて、差し出した。
「ありがとうございます、助かります」
若者は本当にお腹がすいていたみたいで、たいそう感謝して受け取ってくれた。
「……パイラはまだ見つかっていないのだな」
物音に気づいたらしく、クリア姫が起きてきた。ろくに眠れなかったのだろう、顔色が良くない。
「まだ起きるにゃ早いぜ、嬢ちゃん」
若者が居る間は奥に引っ込んでいたダンビュラが、廊下に顔を出した。
「もう少し休んでろよ」
「…………」
クリア姫は一瞬、何か言いかけたようにも見えたが、結局は黙って廊下を戻っていった。
憔悴した小さな後ろ姿に、私は胸がつまった。
「あんたまで、そんな暗い顔すんなよ」
と、言われても。
「暗い顔にもなりますよ。……パイラさん、本当にどこへ行っちゃったんでしょう」
彼女が姿を消してから、かれこれ半日は経過している。
時間がたつほど、不安は募っていく。
なのにダンビュラは、「あの女なら心配いらねえって」とか言いながら、けっこう平気な顔をしているのだった。
根拠を尋ねたら、パイラが消えたのがお城の中だからという返事だった。
日中の城内は人が多い。であるのに、いまだ手がかりが見つからないということは、不審な悲鳴や物音を聞いた人間が居ないということ。
仮に曲者に襲われたのだとしても、声すら上げられずに連れて行かれることはありえない、とダンビュラは断言した。
「あいつはけっこう肝が太いんだよ。お嬢様育ちのメイド連中とは違う」
「だったらどうして、帰ってこないんですか?」
パイラが自分でどこかに行ったとでも言うのか、この山猫もどきは。
「さあな。愛しい殿下に探してほしくて、隠れてるんじゃねえのか?」
「……いいかげんにしてください」
そもそも、パイラが殿下を好き、という話だって確かじゃないのだ。
ダンビュラは軽く目をすがめて私を見ると、「あんたも人がいいな」とつぶやいた。「あいつと会って、まだ日も浅いってのに。よく本気で心配できるもんだ」
「この状況で、心配しない方がおかしいと思いますけど」
そりゃ、パイラのことは、まだよく知ってるわけじゃない。
お世話になったし、ここ数日は仲良く過ごさせてもらったが、「親しい友人」と言えるほどの関係ではないかもしれない。
でも、仮に「ちょっと顔を知ってる」程度の間柄だったとしても、突然姿を消して、しかも「誰かに連れ去られたかもしれない」なんて可能性があるなら、心配して当然だ。
……あまり考えたくはないが、あんな美人で色っぽいパイラだし。
同じ女として、ひどいことをされていないだろうか、とつい考えてしまう。
「あいにく俺は、あの女のことをそれほど信用してたわけでもないんでね」
とダンビュラは言った。
「最初来た時は、スパイじゃないかって、ちょいと疑ってたしな」
スパイとはまた、穏やかでないことを。
「『フローラ派』のスパイってことですか?」
そう尋ねると、「フローラとは限らない」という答えが返ってきた。
「殿下の周りにはいろんな奴が居るからな」
「よくわかりませんけど……。その殿下が信用できると見込んで、連れてきた人じゃないんですか、パイラさんは」
そうでなければ、妹のメイドに雇ったりするはずがない。
「殿下が重度のお人よしだってことはあんたも気づいてるだろ。クロムみたいなろくでなしのチンピラでも、殿下にかかれば『信用できる奴』になっちまう」
クロムが信用できる人物かどうかはこの際置くとして、私の見立てでは、2人は似た者同士だ。なので、こう言った。
「そうですね。自称300歳のしゃべる虎でも、妹の護衛に雇っちゃうような人ですもんね、殿下は」
思った通り、ダンビュラは痛い所を突かれたという風に顔をしかめた。
「ダンビュラさんは、クリア姫のこと何とかしてあげたいって思わないんですか」
あんなに心を痛めている様子なのに。
ダンビュラはさらに顔をしかめた。顔のパーツが極端に真ん中によって、つぶれた虎まんじゅうみたいになっている。
「……俺にどうしろってんだよ」
どうって。
一緒に心配してあげたって、それだけじゃあまり意味がない。
クリア姫を安心させてあげるには――。
「パイラさんを見つけてあげる……?」
「どうやって」
それはもちろん、探す、しかないが……。
「えーと、匂いを辿って、とか?」
ダンビュラの鼻は、私の手に残っていた国王陛下の匂いを嗅ぎ当てることができるくらいには利くようだし。
「俺は犬じゃねえよ」
ダンビュラはハッと馬鹿にしたような声を上げた。
「う。やっぱり無理ですか」
さすがに、匂いを辿って人探しができるほどじゃないか。
「多分な。やってみなけりゃわからねえが」
は? 何それ。ちょっと待ってよ?




