74 不安な夜2
真夜中を過ぎても、カイヤ殿下からの連絡はなかった。
幼いクリア姫に、これ以上夜更かしさせるわけにはいかない。なので、「姫様はお休みになってください」と私は頼んだ。「何かあったら、すぐに起こしますから」
こういう時、大人を困らせるような駄々をこねないのがクリア姫だ。「わかった」とうなずいて、おとなしく自分の部屋に戻ってくれたけど……。その横顔は正直で、とても眠ることはできない、と言っているように見えた。
どうにかしてあげたいが、今の私にはどうにもしようがない。
せめて、連絡が来たらすぐにわかるようにと、居間から玄関ホールに移動し、そこで待つことにした。
座る場所がないので、自分の部屋から椅子をひとつ運び、ドアの前に置く。
さすがに少し肌寒くなってきたので、毛布を1枚持ってきて、膝にかけた。
――静かだ。
カチコチ、カチコチ。
居間の時計の音が、ここまで聞こえてくる。
――にしても、疲れた。
気を抜くと、頭がぼうっとしてくる。
長い1日だった。
初めてのお休みで王都観光に出かけ、中央公園でカルサとニックに会い、ちょっといいレストランで食事して、それから、あんな――とんでもない事態に巻き込まれて。
アゲートのこと、宰相閣下のこと。
警官隊のこと、ジャスパー・リウスのこと、ユナのこと。2人とクロサイト様の意外な関係。
戻らないパイラのこと、居なくなったルチル姫のこと、国王陛下とカイヤ殿下のやりとり。
ぐるぐると、とりとめなく巡る記憶のかけら。
コン、コン。
ノックの音に、意識が覚醒する。
私はすばやくドアに近づき、外の気配に耳をすました。
すると、もう1度ノックの音。コンコン、とさっきより速いスピードでドアが叩かれる。
聞き間違いではない。誰か居る。
私はこくんと喉を鳴らし、「どなたですか?」と問いかけた。
返事は「俺だよ」だった。
なりすましサギの常套句みたいだな、と私は思った。
生き別れの家族を装って無関係な他人の家に入り込み、たかりや盗みを働くサギのことだ。
終戦直後は特に多かったと聞いている。戦地では戦死者だけでなく、多くの行方不明者が出るから。
私は「どちらの『俺』さんですか」と返した。
「近衛隊のクロム」
2度目の返事は、必要な情報を満たしていた。
近衛騎士という肩書きに似合わない、どこかやさぐれた空気のある男だ。前に、王室図書館でも会っている。
「あんたはえっと……名前、なんだったか」
クロムはドアの向こうでしばらく考えていたようだが、結局思い出せなかったらしい。「新しいメイド。ほら、髪の白い」
別に、覚えていないなら覚えていないでいいものを。髪の色は、私にとってひそかなコンプレックスなのに。
「エル・ジェイドです」
こちらの声が不機嫌さを帯びたことにも気づかず、
「ああ、そんな名前だったな。殿下から伝言だ。ひとまず開けてくれや」
私はちょっと考え込んだ。相手はどうやらクロムで間違いないが、こんな真夜中に、姫君のお屋敷に、男の人を入れてもいいのかな、と。
とはいえ、「聞こえていますから、そこで話してください」なんて言うのは悪いし。
「おい、どうした? まさか疑ってるのか?」
ドアの向こうから、焦れたような声がする。「心配しなくても、悪さなんざしねえよ。あんた、俺の趣味じゃねえし」
もうちょっと色気がないとな、とか何とか、失礼なことをつぶやいているのが聞こえる。
いちいちカンに障る男だ。近衛隊では、女性に対する礼儀くらい教えないのだろうか。
「そうですか。お疑いして、大変失礼しました」
私はドアを挟んで慇懃に詫びた。
「ですが、姫君がお休みの場所に、殿方をお通しするわけには参りませんので。殿下のご伝言のみ、お預かりさせていただきます」
どうぞご理解くださいと告げると、クロムは慌てたみたいだった。
「ちょ、待った。そう言わずに入れてくれって。ずっとクソガキ探しに駆り出されて、メシどころか休みもとってねえんだって」
どうやら伝言ついでに休憩していくつもりだったらしい。
「頼む、何でもいいから、食わせてくれ。パンの切れっ端でもいい。ダメなら水だけでも」
近衛騎士ともあろうものが、メイド相手にそこまでへりくだらなくてもいい気がする。
……よっぽど空腹なんだろうか。本当にずっと休んでいない?
「わかりました。今開けますから」
私は玄関の鍵を外し、ドアを開けた。
「はあ……くたびれた」
クロムは言葉通りくたびれた顔をしていた。
ひとまず居間に連れて行き、作り起きしておいたサンドイッチを出す。殿下とクロサイト様の夜食用にと用意した、チーズとハムのサンドイッチだ。
クロムは慌ただしく夜食をかき込み、冷たい水で喉を潤し、「生き返った」と一言。
その時、部屋の隅で寝ていたダンビュラがむくりと起き上がった。
大きな口を開けてあくびをひとつ、猫のようにのびをしてから、のしのしとやってくる。そこにクロムが居るのを見て、「なんだ、おまえかよ」と嫌そうな顔。
クロムの方は軽くあごを突き出し、「あ? なんか文句でもあんのか、化け猫野郎」
顔を合わせるなり、険悪ににらみ合う。……この2人って、仲悪いのかな。
「あの、それで。殿下はなんて仰ってたんですか?」
私は不毛なにらみ合いを止めるつもりで声を上げた。
「ああ。あんたらに伝えてくれって言われたのは――」
パイラのことだった。
彼女は確かに、婚約者と会っていた。つまり、手紙そのものは本物だったのだ。パイラを誘い出すための偽手紙とかではなく。
2人が会ったのは、城内の中庭にある噴水跡。人目につかないため、いつもデートに使っていた場所だそうだ。
小1時間ほど、つかの間の逢瀬を楽しみ、そして別れた。
帰り際、パイラの婚約者は「庭園の入口まで送る」と申し出たが、パイラは「だいじょうぶ」と遠慮した。
1人でお屋敷に向かい――そのまま、忽然と姿を消してしまった。
「とりあえず、何かわかったらすぐに伝えるってよ。殿下の伝言はそんだけだ」
それだけかよ、とダンビュラが顔をしかめた。
「まだ何もわかってないんじゃねえか。そのわりに、知らせに来るのがやけに遅かったが……。さては、どっかで道草でも食ってやがったか?」
「はあ? ここで寝てただけの役立たずが、偉そうに言うんじゃねえよ」
また無意味なけんかが始まりそうになったので、私は「それで、殿下は?」と口を挟んだ。「ここには戻られないんでしょうか?」
それどころじゃない、とクロムは言った。
「一応、仮にも、国王の娘が消えたんだからな」
「一応、仮にも」をことさら強調し、「国王の娘」の部分を、精一杯の侮蔑を込めて発音してから、クロムは言った。
今夜は、城中の人間がおそらく眠れない。街でも、衛視隊がルチル姫の行きそうな場所を探しているはずだと。
「殿下と隊長も、関係者に片っ端から聞き込みに回ってるよ」
クロサイト様は隊長ではなく副隊長だが、細かいツッコミは入れずにおく。彼も疲れてるんだろう。だいぶイラついてもいるみたいで、「なんであんなクソガキのために」とか小声で毒づいている。
「ルチルのことなんざ、適当に探すフリだけしとけばいいじゃねえか」
ダンビュラが言う。
できればパイラの方を積極的に探してあげてほしい――本音では、私もそう思う。ルチル姫探しの方は、近衛隊以外にも人手が割かれているはずだし。
しかしクロムは「そんな簡単に行くか」と忌々しそうに吐き捨てた。
「ルチルの死体が見つかった後で、近衛隊が捜索の手を抜いたせいだとか、それが殿下の命令だとか、難癖つけられたらどうすんだよ。考えなしの化け猫は黙ってやがれ」
死体って、そんな怖いことを、さも当然みたいに言わないでほしい。
一方、考えなしと言われたダンビュラはなぜか怒りもせず、それどころかにんまり笑って、
「へえ? 珍しく頭使ってるじゃねえか。……誰の受け売りだ?」
ぐっとつまるクロム。
もしかして、彼もダンビュラと似たようなことを口にして、誰かに「考えが足りない」って指摘されたのかな。
「あの、ちょっといいですか」
私はルチル姫が「居なくなった」時の状況を教えてほしいと頼んだ。
いつ、どこで、どんな風に消えたのか。王様はくわしいことは何も言っていなかった。
「……姿を消したのはきのうの昼だと」
まだダンビュラとにらみ合っていたクロムは、私の質問に、不機嫌顔のまま説明を始めた。




