73 不安な夜1
――王様が去った後。
カイヤ殿下とクロサイト様は王宮に向かい、私たちはお屋敷で待つことになった。
だいぶ遅い時刻になっていたが、クリア姫に眠る気はなさそうだった。
父親の訪問、ルチル姫の失踪。何より、パイラのことが気がかりで仕方がないようだった。
私も、心配だ。
パイラはどうして帰って来ないんだろう?
誰かに連れ去られた? だとしたらその誰かは、彼女が婚約者に会いに出かけるのを知っていたんだろうか。
婚約者の手紙が、そもそもニセモノだった? でも、あのしっかり者のパイラが、偽の手紙なんかでだまされるとは思えない。
まさか、婚約者もグル、なんてこと――。
ミステリー小説寄りにずれていく思考を軌道修正。いくら何でも考えすぎだ。
「えっと、お茶でも淹れましょうか」
私はつとめて明るく言った。
まだパイラが行方不明になったと決まったわけじゃない。何か事情があって、帰るのが遅れているだけかもしれない。
こういう時には、気分を落ち着かせる、あったかい紅茶なんかが1番だ。普通の紅茶だと目が冴えてしまうから、ノンカフェインのハーブティーにしよう。
早速お湯をわかし、ティーカップを用意する。
私がお茶を淹れている間、クリア姫は黙ってテーブルについており、ダンビュラは部屋の隅で丸まっていた。
夜の静けさが、冷たい外気と共にひたひたと室内に満ちてくる。
何だか寒気を覚えて、私は小さく身震いした。
見れば、クリア姫も自分の体を両手で抱くようにしている。
寒いのか、不安なのか。どちらにせよ、早く温かいお茶を飲んでもらおう。
薄い琥珀色の液体をティーカップにそそぎ、角砂糖をふたつ入れて、クリア姫の前に置く。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
クリア姫はカップを手に取り、一口飲んで「おいしい」とつぶやいた。
私もテーブルにつき、カップを口に運んだ。ミントとレモングラスのさわやかな香りに癒される。
落ち着いたところで、あらためて考えてみる。
ルチル姫と同じタイミングで、姿を消したパイラ。これは果たして偶然なんだろうか?
パイラは街に出ていたわけじゃない。お城の中で、ほんの少し恋人に会いに行っただけ。
彼女に危害を加えられるとしたら、お城の人間以外ありえない。
クリア姫のメイドを誘拐? するなんて、ルチル姫か、その取り巻き以外やりそうもないと思うけど。
そのルチル姫が行方不明だという。
いったい何が起きているのか――。
「今頃カイヤ兄様は、パイラの婚約者と会っているだろうか」
ぽつりと、クリア姫がつぶやく。
1人で考え込んでる場合じゃなかった。姫様だって不安なのだ。
何か、言ってあげないと。何でもいい、少しでも安心できるようなこと。
焦ると、気の利いたセリフが浮かばないものだ。
私が言葉につまっていると、クリア姫がまたぽつりと言った。
「父様は――」
今度はパイラのことではなく、王様の話だった。
「父様は、いつもああいう感じなのだ」
そう言って、大人びた嘆息をもらす。
「大事な話のはずでも、ふざけていて……いや、ふざけているように見えて。父様が何を考えているのか、私にはよくわからない」
姫様、あんなおっさんのことなんか気にしないで。
……っていうわけにもいかないよなあ。クリア姫にとっては、あれが実の父親なわけで。いくら大人びていても12歳、親の存在はまだそれなりに大きいはずだ。
だったらいっそ、クリア姫に自分の気持ちを吐き出してもらった方がいいかも。そう思い、私は椅子に座り直して、話を聞く体勢を作った。
「嫌な思いをしたのではないだろうか。エルも、ダンも」
私が答えようとすると、部屋の隅で丸まっていたダンビュラが顔を上げ、「別に、いつものことだろ」と言った。
「殿下や嬢ちゃんに比べりゃ、どうってことねえよ」
「ええと……。はい、そうですね。私もそう思います」
とりあえず調子を合わせておく。
「2人とも、優しいな」
クリア姫が笑う。……どう見ても無理をしている笑い方だったので、私は思わずテーブルの上に身を乗り出した。
「姫様、あの。……だいじょうぶですか」
ああ、なんて芸のないセリフだ。
無理をせず、嫌なことがあったら、泣いたり怒ったりしていい。そう伝えたいのに。
「…………」
クリア姫は黙ってティーカップを見つめた。彼女の小さな手の中で、琥珀色の液体がかすかに揺れている。
「私は――」
やがてゆっくりと話し出す。
自分は、父親と暮らしたことがない。
生まれたのは母親の離宮で、王宮に来てからはずっとこの庭園に居た。
王様とは、たまに顔を合わせるだけ。共に食事をしたことすら数えるほどだそうだ。
「だから、あの人は父様なのだと頭ではわかっていても、気持ちが、心が、そういう風に感じてくれないというか」
共に過ごす時間が、親子の情を育てる。
当たり前のことだと思う。離れている時間が恋しさを募らせる場合もあるかもしれないが、それも仲のいい親子に限った話だろう。
クリア姫の場合は、どうだったのか。
「私は、父様に会えないのを寂しいと感じたことはないのだ。……兄様が居てくれたから」
それが答え、か。
クリア姫は、父親のことを別に必要としていない――そう断言してしまったら言い過ぎになるかもしれないが、少なくとも、切実に恋しがっているわけではなさそうだ。
「……こんなことを言ったら、薄情な娘だと思われるかもしれないな」
クリア姫はやや決まり悪そうに付け加えた。
薄情なのは父親の方であって、断じてクリア姫ではない。
そんなことないですよ、と言おうとしたら、またしてもダンビュラに先を越されてしまった。
「んなことねえよ。むしろ当たり前の話だ」
それから、かなり汚い口調で、国王陛下の「ダメ親父」っぷりを罵った。
できればもうちょっと言葉を選んでほしい気もしたが、一応、クリア姫のことを元気づけようとしているんだろうし、口は挟まずにおく。
クリア姫も少し困ったように笑って、それからだいぶ冷めてしまったハーブティーに口をつけた。
時刻は真夜中に近づきつつあった。
殿下がクロサイト様と王宮に向かってから、1時間以上たつ。パイラの婚約者とはとっくに話せたはずだし、そろそろ何か、知らせがあってもいい頃だ。
しかし、お屋敷の外からは何の物音もしない――。




