06 第二王子のお仕事2
「知っての通り、我が親父殿は子福者であらせられる」
並んでカウンターについてすぐ、カイヤ殿下は話の続きを始めた。
基本、あまり感情を交えずに淡々と話す人のようだけど、父親の話題になると、声に皮肉が混じる。
あんまり親子仲が良くないって噂だったな、そういえば。父親の愛人に斬りかかったとか、父親と愛人の子供に斬りかかったとか、父親自身に斬りかかったとか、色々聞いたことがある。
ただ、目の前に居る人物がそんなことをやりそうに見えるかって聞かれたら、答えは否だ。
ちょっとつかみどころがない感じだけど、怖いとかアブナイ雰囲気は全くない。
なお、「子福者」の王様であるが、子煩悩なタイプではないらしい。
これはカイヤ殿下の話じゃなくて、実家のお客さんたちから聞いたんだけどね。
王様は移り気で浮気性、母親への気持ちが冷めると、子供たちへの興味もなくしてしまうんだって。
子供を可愛がるのは、あくまで母親のため。……本当だとしたら、かなり徹底した女好きなわけだ。
その王様が最も長く、最も深く寵愛していると言われるのが、自ら酒場に通いつめてまで射止めたという、例の歌姫である。
彼女の名はアクア・リマ。
今から20年ほど前、お忍びで街に下りていた王様に見初められ、結果としてお城に迎えられることになったという、ちょっとしたシンデレラストーリーの主人公だ。
このアクア・リマには、娘が2人居る。
姉のフローラ姫は17歳。美人でおしとやかな理想のお姫様(という噂)で、そろそろ結婚相手を決めるお年頃だ。
母親への愛が冷めないうちはその子供も可愛がる王様は、「フローラ姫の夫を重臣に取り立てる」と公言しているとか。
とある酒宴では、「王位を譲ってもいい」とさえ言いかけて、慌てた周囲に諭された、なんて話も聞いたことがある。
一方、妹のルチル姫はまだ13歳。
こちらは姉と違って理想とはほど遠く、甘やかされてワガママ放題、大人の言うことなどまるで聞かない性悪娘で、耐えかねた世話役やメイドが何人辞めたか、辞めさせられたか――なんて話も聞いたことが……。
「あの、ちょっと質問いいですか」
さすがに不安に駆られて、私は口をひらいた。
「妹の世話役って、まさかルチル姫の、じゃないですよね?」
「違う」
カイヤ殿下の答えは簡潔だった。
「クリスタリア姫ですよ」と、これは横で私たちの話を聞きながら、それを元に書類を作成しているセドニスのつぶやきである。
「はあ……、そうですか」
と、調子を合わせてはみたものの、その姫君の名前は、正直聞いたことがなかった。
てか、「クリスタリア」って、この国の名前だよね。普段「王国」としか呼んでないから忘れがちになるけども。
国と同じ名前をつけられる王女様っていったい……と思っていたら、「第9王女で、母親は王妃様」とセドニスが教えてくれた。
母親が王妃様。つまりカイヤ殿下にとっては、同腹の妹ってことね。
「ルチルは物欲が強く、しかも嫉妬深い」
カイヤ殿下の説明は続く。
我慢するということを知らないルチル姫は、ほしいものは全て手に入れなければ気がすまない。
流行のドレスや高価なアクセサリー、さらには容姿の美しさや周囲の賞賛まで。
要は「お美しい姫君」とチヤホヤされたいのだ。だから自分よりも美しい人間が、身近に居ることが許せない。
「ルチルも母親似でまあまあの顔だがな。俺の妹の方が美しい」
照れも謙遜もせず身内を誉める。
これって、この人が王族だからなのか、単にそういう性格なのか。
「付け加えると、頭の出来は比較にもならない。妹は聡明で賢く、生まれながらに品がある」
やっぱりこれは性格かな。あるいは兄馬鹿?
クリスタリア姫は12歳。ルチル姫とはひとつ違い。
なまじ年が近いせいもあってか、ルチル姫はクリスタリア姫の美しさや聡明さが許せず、ことあるごとに嫌がらせを繰り返す。
早い話が、いじめをしているのだそうだ。
嫉妬によるいじめ、しかも相手は異母姉妹って、童話に出てくるお姫様みたいな話だな、と私は声には出さずに思った。
王宮には、先々代の国王陛下が愛する后のために整えたという、美しい庭園がある。
クリスタリア姫は現在、その庭園に建てられた離れで暮らしている。
一方のルチル姫は、お城の中に自分の部屋を与えられている。つまり普段は別々に生活しているのだが、それでも同じ王宮内。会いに行こうと思えば簡単にできる。
で、ルチル姫は、たまに思い出したように妹のもとを訪れては、持ち物を取り上げたり、壊したり、暴力を振るったりするらしい。
ルチル姫のいじめからクリスタリア姫を守るため、カイヤ殿下は、世話役のメイドと護衛を雇っている。今回、そのメイドが辞めることになったので、後釜を探しに来た――とのこと。
「守ると言っても、さほど大げさな話ではない」
相手は所詮13歳の子供だから、「適当に叱ってやればいいだけだ」
私は質問のために手を上げた。
「……あの。『叱る』って簡単に仰いますけど、具体的には?」
相手が村の悪ガキなら、尻でも叩いてから説教してやればいい。
だが、子供でも王族相手とあっては、対処が難しい。
そんな私の懸念をよそに、
「どんな手を使っても構わない」
とカイヤ殿下は断言した。
「いや、あの……構わない、って言われましてもね。相手はお姫様で……」
「しつけがなっていない上に、話の通じない勘違い娘だ。必要なら暴力でも使え。顔をひっぱたくなり、吊るし上げるなりして構わんぞ」
「いいんですか!? それ!?」
「だから構わんと言っている」
再度きっぱり言い渡されて、私は絶句した。
「責任は全て俺がとる。誰かに咎められることがあったら、俺の名を出せ。何があろうと、おまえが罪に問われることはない」
「…………」
「ただ」と思い出したように付け加えるカイヤ殿下。「ただ、殺すなよ。後始末が面倒になる」
唖然として、言葉も出なかった。
とはいえ、いつまでも馬鹿みたいに口を開けているわけにはいかず。こほんとひとつ咳払いをしてから、私は言った。
「その……王族うんぬんは抜きにしても、相手は13歳の女の子なんですよね、一応……」
腹違いとはいえ、そっちも妹なんですよね、とも思ったが、口には出さずにおく。
「その13歳の女の子に、俺の妹は、真冬の川に突き落とされたこともあるわけだが」
カイヤ殿下はあくまで淡々と、感情を込めずに言う。
川といっても、庭園の中に作られたささやかな小川だそうだが、「それでも運が悪ければ死んでいた」と付け加えられて、再び絶句。
「そこまでされたら、こちらも相応の対処をするしかあるまい。相手が手段を選ばないなら、こちらも選ぶ必要はない。それだけのことだ」
「あの」
私はもう1度、手を上げた。
質問というより、根本的な疑問があったからだ。
「そんな世話役とか護衛とか雇うより、カイヤ殿下ご自身が妹さんを守ってあげるわけにはいかないんですか?」
聞いた噂では、カイヤ殿下はお城の外に自分のお屋敷を持っているはずだ。まあ、噂の通りだとしたら、子供の教育にはかなり悪そうな居住環境だが……。
「何か理由をつけて、妹さんを引き取るとか」
沈黙。
それまで言いよどむことなく話を進めていた第二王子殿下が、唐突に頭痛でも起こしたように眉間にしわを寄せ、目を閉じてしまった。
「あ、すみません。何か悪いこと言いました?」
カイヤ殿下は無言のままであったが、横で聞いていたセドニスがうなずいた。
「『悪いことを言った』というより、『痛い所を突かれた』、でしょうか」
「は??」
「カイヤ殿下は、今まで何度も妹姫を引き取ろうとしているのですが――」
「……当人に拒絶されている」
カイヤ殿下が口をひらいた。先程までよりも、随分と重たい口調だった。
「それはまたどうして……」
理由を尋ねると、「妹は俺を怒っているらしい」という、実に曖昧な答えが返ってきた。
「何、やらかしたんですか?」
もはや相手が王族という遠慮も礼儀も失いつつある私に、カイヤ殿下は怒るでもなく、
「昔、約束を破った」
と、今度は簡潔な答え。
「あー、約束は大事ですよねえ」
特に、子供との約束は大事だ。……なぜなら、大人から見れば些細なことでも根に持って、一生忘れてくれなかったりするからである。
「私も昔、約束を破った父のこと怒って、しばらく口をきかなかったこととかありますもん」
どんな約束かといえば、王都のみやげに流行りのぬいぐるみを買ってくるという、実に他愛もないものだったのだが。
「参考までに、しばらくとは、どのくらいの期間だ」
真顔で聞いてくるカイヤ殿下。
「えーと、確か3日くらい?」
「短いですね」とは、セドニスの感想だ。質問した殿下は何か考え込んでいる様子だったので、私は彼の顔を見て答えた。
「だって、8つの子供でしたから。3日も親に反抗するって、むしろ長い方だと思いません?」
「……さあ。私にはそういった経験がないのでわかりませんが」
とセドニス。
親に反抗しない良い子だったのか、反抗する親が居なかったのか、どちらともとれる言い方だったので、私は黙っていた。
「俺の妹は、再会してから既に3年以上、俺のことを怒り続けている計算になるが……」
それは長い。ってか、再会って何のこと? と私は首をひねったが、第二王子殿下は私の疑問には気づかなかったようだ。
「父君は何か特別なことをしたのだろうか? おまえの許しを得るために」
「いえ、別に……」
特別なことなんてしてない。ただ、いつまでも拗ねていたら母親にたしなめられ、祖父母に叱られ、当時4歳の弟にまで「おとうさんがかわいそうだよ」とか言われて、折れるしかなかったのだ。
この人、けっこう兄馬鹿なのかな。可愛がっている妹には厳しくできないとか?
「あの、差し出がましいようですか……」と前置きしつつ、私は提案してみることにした。
「妹姫様も、まだ12歳の子供なわけで……。本人の意思ももちろん大事ですけど、ここは大人の権限で言うことを聞かせてみては?」
本気で差し出がましい私のセリフにも、カイヤ殿下はやっぱり怒らなかった。
「実際に、そうしたことがある」
妹姫がぐっすりおやすみのところをお城から連れ出し、自分のお屋敷に連れて行ったのだそうだ。
結果、どうなったか。
カイヤ殿下いわく「聡明で品のある」妹姫は、暴れたり泣きわめいたりはしなかった。
ただ静かに自分の置かれた状況を受け止め、与えられた部屋に閉じこもり、そして――食事をとらなくなってしまった。
早い話が、ハンストされたのである。
可愛い妹にそんなことをされては、カイヤ殿下も打つ手がなかったらしく、姫君は元通り王宮に戻された、と。
それはなかなか、手ごわいお姫様だ。
話を聞いて、私はそう思った。
しかし、異母姉に手ひどくいじめられても、お城を離れて兄上様と暮らすのは嫌なのか。過去に、よっぽど嫌われるようなことでもしたんだろうか?
なんか、そんなひどい人にも見えないんだけど……。
何にせよ、厄介そうな仕事であることはわかった。
同時に、これは「渡りに船」だと思った。
私が王都に出てきた目的は、前述のように、失踪した父を探すこと。そのために必要なのだ。庶民の私が、貴族や騎士様といった身分の高い人々に近づくことのできる立場が。
お姫様のメイドとして、お城で働けるなんて理想的である。
私の日頃の行いがよかったのか。あるいは、白い魔女のお導きだろうか。
思わぬ展開に調子に乗って、若干思考がハイになっていたようだ。ひとつ大事なことを聞き忘れていた。
「ちなみに、お給料はいかほど――」
私の問いにカイヤ殿下は、「それを尋ねるということは、仕事を受ける気があるということか」と逆に聞いてきた。
「現時点では、前向きに検討したい気持ちです」
「そうか。ならば、こちらとしてもひとつ確かめたいことがある」
「なんでしょうか」
「先程おまえが、貴族の雇用主にこだわっていた理由が知りたい」
私は再び、口ごもるハメになった。
「どうやら、一筋縄ではいかない事情があるようだな」
私の反応を見て、カイヤ殿下は小さくうなずいて見せた。「だが、こちらも腹を割って話したつもりだ。そちらもそうしてくれると助かる」
や、そう言われましても。
確かに、今し方の会話を振り返ってみれば――王族の妹いじめなんて、かなり「腹を割った」話には違いない。
私はそれを聞いてしまった。勝手に聞かされたような気もするけど、とにかく聞いてしまった。
でも、だからこっちの事情も明かせ、と言われても困る。
こちらは身分の保証も何もない田舎娘だ。王子様とは立場が違い過ぎる。
私の「事情」は殿下が言う通り、一筋縄ではいかないものだし。場合によっては、身の危険にさえつながりかねない。それを会ったばかりの人にほいほい話せない。
何か、何か適当な言い訳を――。
と、私が考えたことが伝わったのかもしれない。カイヤ殿下は「……そうか」と心もち残念そうにつぶやくと、
「わかった。残念だが、今回は縁がなかったということだな」
え、と顔を上げる。
カイヤ殿下は既に席から立ち上がり、暑苦しい外套のフードをかぶり直すところだった。
「聞いた通りだ、セドニス。今言った条件で、新しい世話役の募集をかけておいてくれ」
「承知致しました」
うなずくセドニス。
「邪魔をした。良い仕事が見つかることを祈っておく」
こちらが拍子抜けするほどあっけなく。
第二王子殿下は、店を出て行ってしまった。